さぁ、終わりを迎え、始まりに向かおう。 |
A happy new year! |
深々と降り積もる雪が冬の寒さを思い出させ、 老婆はストーブの前だと言うのにぶるりと身震いをさせる。 白いドレスは木々だけでなく家々の屋根にも覆い被さり、 さながら雪の女王が降り立ったようでもあった。 ケトルからも同じ真っ白な、けれど温かな湯気が立ち昇る。 じんわりと部屋に温もりを漂わせ、作業の手も織らずゆるりとペースを落とした。 ひとやすみしようと、持っていたドライバーを作業台に置く。 ビスがひとつ転がり、椅子から降りて拾おうとした時、 足元でまどろんでいた愛犬がぴくりと耳を動かしたかと思うと不意に立ち上がり、 扉に向かってピスピスと鼻を鳴らした。 それが、合図。 「ぶはぁっ!寒ぅっっ!!」 「だから1本早い汽車で帰ろうって行ったのに!!」 「んなコト言ったって、どっちにしても間に合わなかったじゃねぇか!」 寒さを孕んだ空気が少しでも中に入り込まないようにと、 荒々しく開かれた扉を慌てて閉める男女が一気に部屋を賑やかしく彩った。 「何だい、泊まってきたら良かったのに」 呆れて嘆息するピナコに、エドワードとウィンリィはむぅっと頬を膨らませた。 良い加減子どもでは無いというのに子ども染みたその仕草にまた呆れる。 「折角帰って来たのに、ンなこと言うなよなー」 「生モノ買っちゃったから、帰って来るしかないじゃない」 「はいはいはいはい、分かったからさっさと雪払って体あっためな」 夕食を終え、夜更かしの為の簡単な夜食を準備してリビングへと集まる。 それほど酒に強いワケでも無かったが、一応シャンパンとワインも忘れない。 暖炉に薪をくべると、橙色の炎が奥の暗がりで揺らめいた。 雪の所為で、ただでさえ少ないリゼンブール行きの汽車はいつもの半分になり、 しかもエドワード達の乗ってきた汽車はまだ昼間だったと言うのに最終だったと言う。 北のブリッグズなら兎も角、そこまで雪深くないリゼンブールで珍しいこともあるものだ。 煙管に火を点しながら、ピナコはカップを3つ手にしてテーブルへと置いた。 「アルは明日来るって言ってたけど、これじゃあ分からないな」 陽もとっぷりと暮れたと言うのに雪明りで薄ぼんやりと浮かび上がる窓からの景色に、エドワードは温かい珈琲に口を付ける。 凍えていた両手が熱にじんわりと感化されていく。 寒気を悟ってか、近寄ろうとしなかったデンも暫くすればウィンリィの足元に擦り寄ってきた。 彼女の腿に顎を載せて、くぅんと鳴いてみる。 「現金なヤツぅ」 くすくすと笑いながら、ウィンリィはその頭を撫でてやった。 「ヒトが多かっただろう?」 デンの様子を何とは無しに眺めていたエドワードは、 よっぽど連れ回されたのか、げんなりとして口を開く。 「おう、ドコに隠れてたんだってくらい多かったぜ」 なぁ、とウィンリィに視線を投げれば、頷いて身を乗り出す。 「そうそう、やっぱり結構親子連れとか見かけたよねぇ」 「…ソコでオレを見るな」 女2人から向けられた居た堪れない視線に、エドワードは明後日の方向を見る。 結婚して半年以上1年未満。 子どもが欲しくないワケでは決して無い。 だが、こればっかりは不可抗力だ。 以前、なら計算するかと言って断固拒否されたのは記憶に新しい。 「曾孫が見られるのはいつになるかねぇ」 耳にタコが出来るほどに呟かれた台詞にエドワードはソファに突っ伏した。 「…毎日ヤってりゃ、その内デキるだろー」 「なっ!アノ日にはヤって無いわよバカ!!」 突っ込みドコロが違うだろ、と言う前にごすりと鈍い音がして、 先程より数ミリ沈み込んだ気がする彼の頭にはスパナが載っている。 ドコから出したんだと言う問い掛けは既に無意味に等しい。 何にしても、この家で男が優位に立てた試しなどない。 恐らく、ウィンリィの父親にしても同じように感じていたに違いないのだと、 エドワードは口に出さないまでも内心確信していた。 「新年を迎えようってのに、全くアンタ達は」 誰の所為だと言いたくなったのをぐっと堪え、 のろのろと重たい頭を持ち上げる。 そう、新年だ。 区切り、とでも言うのだろうか。 1年が終わり、1年が始まる。 毎日のサイクルは変わらないと言うのに、何が違うと言うのか。 思ってみたが、やはり何かが違う。 今年はどんな風にして迎えただろうか。 「トリシャが」 ぽつり、とピナコが言の葉を零す。 忘れることの出来ない母の名が届き、エドワードは微かに、一瞬だけ反応した。 ウィンリィが気付かないはずも無かったが、特に何を言うでも無かった。 「いつもね、言ってたんだ。年が明ける度、毎年、毎年」 先を促すでも無かったが、2人はただじっと彼女の言葉に耳を傾ける。 ―――今年も皆が、倖せでありますように 皆で、では無く、皆が。 そこに意味があったかどうかなど、その時のトリシャでなければ分からない。 ただ、他意はは無く願っていたのか。 それとも、いつ自分が居なくなるか分からないと得心していたのか。 彼女が自分のことを願わなかった理由など、今となっては分からないのだ、何も。 何ひとつとして。 「言うんだ、微笑って」 何言ってんだ、アンタもだろう? そう言うと、決まって曖昧に微笑むだけ。 夫であるホーエンハイムが旅に出てしまってからは、それは顕著になり、 子どもと居る時以外は、遠くをぼうっと眺めて寂しげに微笑むのが癖になっていた。 問い質しても寂しくないのだと、言うのだろう。 「昔から…何にも執着しない子だと、思ってた。事実そうだったろう」 彼女が昔のことを語り出すことはあまり無い。 彼らが思い出すのが辛いだろうと、遠慮している節も見受けられた。 「『仕方が無い』が口癖でね。諦めが早くて、笑って済ませる」 今、エドワードとウィンリィが耳にしているトリシャの姿は、 彼らが織っている姿とは大きくかけ離れていた。 いつも優しく、穏やかに微笑んでいたトリシャ。 何かあれば怒ったり、笑ったり、錬金術が上手く行けば褒めてくれたりもした。 ピナコが口にしているのは、エドワード達が織っているトリシャとは違うトリシャ。 織るのが怖くもあり、興味もあった。 「私はホーエンハイムに感謝してる」 長くはないことを、トリシャは織っていた。 身体が丈夫で無いことを百も承知で、エドワード達を産んだ。 ホーエンハイムと交わした約束とやらを果たせずに逝くことを、 最期の最期で受け入れるしかなかった彼女がそれでも微笑っていられたのはきっと、 ホーエンハイムのお陰だったに違いない。 「アイツが、あの子をこの世界に留めてくれた。感謝しても、しきれない」 ピナコでは出来なかった。 ユーリも、サラも、誰にも叶わなかった。 儚さを織っていたからこその彼女の台詞は全て、朧げで。 世界は、彼女を拒んでなどいなかったというのに、彼女は世界を拒み続けた。 ホーエンハイムを愛して、ようやっと彼女は彼女になれたのだ。 「…母さんは、倖せだったのかな」 冷えかけている珈琲に自分が映っているのを目の端に宿して、 自分の言った言葉を反芻してみる。 愚かな質問だったかもしれない。 泣いている姿は見たことがない。 寂しそうにしていながら、どこか楽しそうだったのも覚えている。 どうしてと訊ねる度に『だってお父さんと約束したんだもの』と上機嫌で鼻歌を歌うのだ。 更に約束とは何かと問えば、内緒なのだと絶対に教えてはくれなかった。 そうして益々エドワードは父親に嫉妬した。 「エド、お前は憎くて仕方が無かったろう。それでも、トリシャは欲しがった」 手を伸ばして、掴んで、離さなかった。 「初めて、何かを欲しがったんだ」 かたん、と風が窓を叩いた。 ちらついていた雪が、風に煽られてまた宙に舞う。 「倖せだったさ」 エドワード達を授かり、ホーエンハイムを最期まで信じて。 彼女がここに居たのだという証が、確かに残っている。 想いは、消えずにあり続ける。 「倖せだったに決まってる」 そうじゃないはずはない。 きっぱりと言い切るピナコに、エドワードは目の奥に熱いものを感じたが、 臆面にも見せなかった。 情けないのも勿論だったが、母の為に泣くのはもう、厭だった。 何よりも彼女がそれを望まなかっただろうし、 自分達の為に泣くウィンリィをずっと見てきたエドワードは、 誰かの為に泣かないのだと決めていた。 そ、と左手が柔らかな温もりに包まれる。 「微笑って、いたじゃない」 顔を上げると、隣に座っていたウィンリィと目が合った。 「おば様、微笑っていたじゃない」 にこりと笑った彼女に、じんと胸の奥が熱を帯びる。 「倖せだったんだね、良かったねぇ」 あぁどうして、こうもあっさりと強がりを台無しにしてくれるのか。 嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、言葉にしようとして、出来なかった。 あたし達も、とウィンリィは口を開く。 「皆で、倖せになろうね」 皆、一緒にね。 頬を摺り寄せてきた彼女に愛おしさが込み上げて、 抱き締めようとしてヒト前だったことを思い出す。 宙を彷徨うエドワードの腕を織ってか織らずか、 カチリと時計の針が日が変わったことを教えてくれた。 柱時計の鐘が鳴り出す。 「おや、明けたね」 「ほんとだ」 「んじゃ、ま」 手元に置いていたグラスとデンのエサ皿に特別にちょっとだけシャンパンを注ぎ、 3人と1匹は顔を合わせた。 何も変わらない特別な日。 何かが変わるような特別な日。 予感と期待と希望とを織り交ぜたような、不思議な感覚。 大丈夫だよ、と囁かれた気がした。 「A happy new year!」 今年も良い年でありますように。 END |
あとがき。 |
新年明けました小説。 しかも未来で新婚さん。 |
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