No Can




何も出来なかった。
何もしようとしなかった。

『自分には遠いことだ』と、心のどこかで他人事のような気がしていた。



そんな自分が、思い出す度に情けなくなった。







大量の書類を手にして、二郎神は大きくため息をついた。
ただ、目を通して認印を貰うだけの仕事だというのに、
何故こんなにも気が重いのか。
まぁ、それは上司の性格によるものだと分かりきってはいたのだが、
考えると胃が痛み出す為、考えないようにしていた。
傍若無人な美しい、ヒトの清らかさを象徴とする神の振る舞いは、
おおよそ、凡人では理解でき得ぬほどで。
キリキリと痛み出す胃を抑えながら、上司の部屋の扉を叩く。
「入れ」
「失礼致します」
キィ、と音を立てて重たい扉が開かれる。
足を組み、それを机に放り出して座る観世音菩薩。
手には、地上のモノと思われる雑誌が納まっていた。
「観世音菩薩…」
恨みがましい視線をものともせず、観世音は何だ、と視線を投げた。
「もう少し…っ、本当に少しで構いませんので、振る舞いを落ち着かせてくださいませ!」
「俺以上に落ち着いているヤツなんざ、どこを探したっていないぜ?」
「そういう事を申し上げているのでは…」
「あぁ、分かった。分かった」
煩わしげに机に放り出していた足を床へと戻す。
視線は雑誌へと向けたままだ。
「こちらの書類へ目を…」
「二郎神」
言いかけたが、観世音の呼びかけでソレは中断させられた。
いつになく真剣な面持ちの上司へ、彼は固唾を飲む。



「コレが食いたい。買って来い」



手にしていた雑誌を掲げ、ビッと指差す。
そこには見目鮮やかな、洋菓子の写真がところ狭しと並んでいた。
気が抜けたように、二郎神の肩が下がる。
「コレ食ったらやる気が出るんだけどなー」
にやりと笑う上級神をジトリと睨んだ。
「卑怯な手を…っ」
「いいんだぜ、俺は?結局、喧しく言われるのは、お前だからな」
あからさまに不利な条件をちらつかされ、
二郎神はやむなく地上へと降りることになった。


寒くも無く、熱くも無く、丁度良い気候の土地だった。
時折、ため息をつきながら、二郎神は思い足取りでヒトの波を抜ける。
そういえば、とふと彼は顔を上げた。
「この町は、三蔵一行がそろそろ立ち寄る町であったな」
三蔵一行。
観世音菩薩が、牛魔王の蘇生実験阻止の為に遣わした者達だ。
と言えば、聞えは良いかもしれないが。
彼らもまた、観世音菩薩と負けず劣らず、傍若無人な連中であった。
「三蔵一行、か」
ポツリと呟く。


永遠の命をもつ神、神族はその生命自体も永遠かと思っていた。
けれど、違った。
彼らは間違いなく、死の一途を辿ったし、その魂は廻り廻って地上を選んだ。


悲痛な叫びは、心を貫き、
凍るような涙は、心を閉ざした。
触れることも敵わぬ想いは、全てを圧倒し、
狂ってしまった優しさは、全てを破壊した。




三蔵一行の生まれ変わる前の姿を織る彼は、小さく胸を痛めた。
確かに、観世音菩薩は当事者であったのに。
確かに、金蝉童子も捲簾大将も天蓬元帥も当事者であったのに。
確かに、自分はそこに近い場所にいたはずなのに。
どんな場所よりも、遠い場所に佇み、ただ眺めているだけの自分がいた。



何故、何もしようとしなかったのだ。



何度も襲い来る、後悔の念。
傍にいたからこそ、できることもあったはずなのに。
あったからこそ、観世音菩薩らは動いたのだ。
大きな隔たりが、彼らとの間にある。



もっと、違った未来があったかもしれない。



自分の力を過信しているわけではない。
ただ、そう思わずにはいられないのだ。





もう、叶う事の無い願いだけれど。





目的の物を購入すると、二郎神は帰途へつく。
すると、隣の食堂から荒々しい声が響いてきた。
何事かと、道行く人々と共にそちらを見やると。
「っの、赤ゴキブリ河童――――ッッ!!」
「んだと、全身胃袋猿に言われたかねぇんだよッッ!!」
続いて、幾つかの銃声。
「喧しい!!殺すぞ、テメェら?!」
聞き慣れた複数単位の声に、二郎神は顔を引きつらせた。
「あぁ、スミマセン。お騒がせしてしまって」
にこやかに、周りの人間へと頭を下げる青年の姿が見て取れた。
苦笑どころのハナシではないらしい。
やっぱり居た、と二郎神はあきれ返った。
いつも観世音菩薩にヒヤヒヤさせられてばかりだが、
これはこれで肝が冷えると言うものだ。


―――あぁ、そうか


どこか安堵して、思う。



これが、彼ららしさなのだと。



地上であろうと、天上であろうと。
場所を選ばず、翼を広げる。




『見届ける為さ』




不意に浮かんだ、観世音の言葉。
直接手を出す為じゃない。
神が、天へと居を構えたのは、見下す為じゃない。
ヒトと言う名をもつ彼らが、どこまで行けるのか。





「…見届ける為に」





悩むことなど、何も無かった。
反省は必要だ。
けれど、後悔はいらない。
よく聞く言葉だけれど、何がどう違うのか考えもしなかった。
その境目はどこにあるのか、見当もつかなかった。


今まで、心を患わせていたものが、一瞬にして消し飛ぶ。



二郎神は苦笑すると、そのままゆっくりと姿を消した。



突然、悟空は料理から目を離し、外を見やった。
「どうした、悟空?」
悟浄は怪訝そうに目前の少年を眺める。
じっと、黙りこくってただ一点を見つめていた。
「・・・何か、懐かしい感じがした、気がする」
八戒も三蔵もまた、何度か瞬きして不思議そうな顔をした。
「懐かしい感じ、ですか?」
「ん」
曖昧な表現に、自分さえも混乱したのか振り払うように頭を振った。


「気のせい、かな」


風が、静かに通り過ぎた。



「ただいま戻りました」
「おう」
欠伸をしながら、彼から包みを受け取る。
『認印を』、そう言おうとして口を噤む。
傍らを見やれば、すでに目を通し終わった書類の山。


『コレ食ったらやる気が出るんだけどなー』


出る前に聞いた、観世音の台詞。
なのに、もう出来上がった書類。



―――なるほど



二郎神は複雑な思いで、上司を見やった。




「…ありがとうございます、観世音菩薩」




目を伏せて、喉を鳴らす。
「何のことだ?」
「いいえ、何も」
素手で洋菓子を掴むと、観世音は口の中に押し込んだ。


「そうか」


本当に頭が上がらない。





―――貴方は、私にあれを見せたかったのですね



迷いも、戸惑いもあるけれど。
穢れも、間違いもあるけれど。



決して、諦めることの無い強さを。


真っ直ぐに、前を見据えることのできる強さを。







観世音の自室の扉を閉めて、彼は呟いた。



「何と、慈悲深い」



もう、後悔はしないだろう。
この天上で出来る全てをやりぬこう。




見届ける、為に
―――






END
あとがき。
二郎神殿メインのハナシ。
観世音菩薩も出て来てます。
珍しい?つぅか、無いだろ、こんなハナシ(笑)。
いや、何となく、彼は天界編で影薄いなぁと思いまして。

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