君はたったひとりじゃ無いんだよ。


Not Alone






ほんの少しの静寂が、保健室に広がった。
たった1人の少年が出て行っただけで、このように空気が重たくなるものか。
開きかけた口元を引き縛り、少女は隣の少年をねめつけた。
「どうして止めるの?」
「どうして、って、当たり前だろ」
彼女の様子に眉根を寄せる。
少女の軽くウェーブのかかった金髪が肩口で揺れる。
シーツの上に置かれた手が、強く握られた。
「無神経にも程がある。今、一番辛いのはハリーじゃないか!」
「だからよ!」
彼に反応するように、少女も叫ぶ。
手前のベッドの縁に腰掛けた少女達は、
大して驚きもせずに、彼らを眺めている。
きっと、何度も繰り返された光景なのだろう。
すぐに、
1人の少女は飛び出ていると見紛う程の見開いた瞳を手元の雑誌に落とす。
『クィブラー』と、タイトルが印刷されている。
「私達は、彼が死ぬのを見たわけじゃない。私達の中で織っているのはハリーだけなの」
悔しげに歯噛みし、僅かに俯く。
荒げていた声音も落ち着かせようと、トーンを下げた。
「ルーピンがそう言ったのなら、間違いはないと思う。だけど、ハリーの口からハッキリと聞かないと」
「それが無神経だって、言ってるんだ!」
「違うわ、違うのよ!」
「何がだよ?!」
紅い髪をした少年の台詞を、腕を横に薙いで否定する。
けれど、彼も腹立たしさを隠しもせずに彼女を睨んだ。
呆れたように溜息を吐き、成り行きを見守っていた少女が口を開いた。
「ハーマイオニー、ロンも止めて。静かにしないと」
チラ、と事務室を見やる。
ヒトが出てくる気配は無い。
安堵して、もう一度溜息を吐いた。
「あぁ、ごめんなさい。静かにするわ、ジニー」
ハーマイオニーは自分の態度を謝罪する。
ロンは口を尖らせたまま、そっぽを向いてしまった。
そんな彼の様子を目の端に眺めながら、膝の上で両手を組む。
何度か組み直し、そわそわとさせていたが、不意に動きが止まる。
「だって、言葉にしないと駄目なのよ。ハリーは彼の死を受け入れていない」
それだけじゃない、とハーマイオニーは首を振った。
「現実から目を逸らしてる。それじゃ駄目なのよ」
苛々とした口調で、ロンは彼女を見やる。
「だから、何が」
薄く開いた唇は、微かに震えていた。
けれど、意を決したのか、顔を上げる。
長い蜂蜜色の髪がふわりと揺れた。
「ハリーが泣いている姿を見た?」
怪訝そうな彼の面持ちを気にせず、彼女はまくしたてた。
「誰も見ていない。騎士団の誰も、そんな話はしなかった」
何を言い出すのか。
そのような雰囲気を纏い、ロンは片目を眇めた。
「しなかっただけかもしれない」
少女の口にした騎士団とは、不死鳥の騎士団のことだ。
彼らは、ハーマイオニー達に語ろうとしない事柄を多く持っている。
彼女達を思ってのことだと理解していても、
それはあまりにも理不尽だと感じざるを得ない。
例え、それを前提にしていたとして、
ハリーが泣いただの泣かなかっただのを話題にするのは、
彼個人の尊厳を傷付けかねない内容である。
語られなかったと言う理由も頷けない訳では無い。
それでも、彼女は盾に首を振らなかった。
「そうね、そうかもしれない。だけど、これまでだって、彼が泣く姿を見た事がある?」
言われて、ロンは一瞬驚いたように瞬きをする。
ハリーとて男だ。
そう簡単に泣きはしない。
人前で泣くような、無様な真似など決して。
しかし、言われて気付いた。
「無いよ」
彼は泣かない。
どんなに過酷な状況だったとしても、決して泣こうとしない。
まるで、泣き方を織らないかのような。
気付いて初めて、それを、哀しいと思った。
「受け入れようとする心と、信じたくない心が反発して、ハリーは今立ち止まっている」
少女は、哀しげに揺れる彼の瞳から目を逸らした。
ただ、ぼんやりと立ち止まって振り返ることも出来ない少年を、
如何することも出来ない腹立たしさ。
「彼を想って泣けずにいる」
光を失った虚ろな瞳、感情の篭らぬ作り笑い。
何もかもの輪郭が曖昧になりかけている。
上手く笑おうとして、上手く気丈な振りをして。
彼は何処で、そんな術を憶えたのだろう。
「それはとても…辛いわ」
見ているだけでも辛い。
そのような台詞を誰が言っただろうか。
よもや、自分が経験するとは思ってもみなかった。
「ただ、生きているだけ。ただ、動いているだけ。考えていない。それを放棄している」
自分ではない者の痛みなど、分かるはずがないけれど。
たったひとりで抱え込まないでと願う自分がいる。





「ハリーは、現実を受け入れる必要があるのよ」






彼がどんなに拒んだとしても。






「そうして、泣かなければならない。どんなに、辛くても」







どんなに、痛くても。







「あんなハリー、見ていられない」







ねぇ、君はここにいるんだよね?







彼を想う者が、多くいることに気付いて欲しい。
それは、きっと身勝手な我侭。
分かって、いるけれど。
「笑うことも、泣くことも出来ないなんて、生きているとは言わない。生ける屍だわ、まるで」
腰を曲げて、組んでいた両手に額を押し付けた。
彼女の表情は覗えない。
震える声で、ハーマイオニーは力無く首を左右に動かす。
「癇癪を起こして、怒鳴ってくれた方が、どんなに…っ」
笑おうとして失敗したのか、その声音は嗚咽に似たものに絡め取られる。
「…どんな、に…」
ロンは腕を伸ばすと、蹲ってしまったハーマイオニーの背に手を置いた。
自分も軽く屈み込む。
「ごめん、ハーマイオニー」
彼女の思いなど考えもせずに、腹を立てた自分が恥ずかしかった。
ただ、辛い思い出に触れずに、
織らない振りをするだけが優しさだと思っていた。
彼女には彼女なりの優しさがあった。
「ごめん」
目尻を拭いながら、彼女は身体を起こした。
ロンに向き直ると、無理やりに笑顔を作る。
「いいえ、私の方こそごめんなさい」
にゃあ、と足元で鳴き声がした。
何処からか入って来た赤毛の猫を抱き上げて、ジニーが頷く。
「大丈夫よ」
背を撫でてやると、気持ち良さそうに猫は目を細めた。
「ジニー?」
不思議そうに少女を見やれば、
彼女はこちらを見もせずに微笑んだ。
抱かれた猫が、ごろりと少女の膝の上で仰向けに寝転がる。
「貴方達が思っているより、ハリーはずっと強いわ」
腹を撫でてやれば、ぐるぐると喉を鳴らした。
「そうして、ずっと弱い」
猫の腹を撫でる手をそのままに、ジニーは顔を上げる。
「だからこそ、強くなれる」
ひょい、と猫は器用にハーマイオニーの膝へと乗り移った。
主人の膝の上で丸くなると、目を閉じて、尻尾を身体に寄せる。
「今は、そう。気持ちを整理させる時間にすら気付いていないだけ」
一度、ベッドを軋ませ、少女は身を乗り出した。
す、と人差し指を立てた手を、彼女達の目の前に翳す。
「ずっと見ていた私が言うんだから、間違いないわ」
我関せずで、雑誌を食い入るように眺めていた少女も不意に顔を上げる。
「結局は、なるようにしかならない。問題の解決は、自分でやらなきゃ意味がないもン」
じ、と零れそうな瞳で彼らを見つめ、ゆっくりとひとりひとりを眺める。
その様子にロンとハーマイオニーは苦笑したが、
ジニーだけはくすくすと笑っていた。
「大丈夫なんじゃないの?」
「ほら、ルーナだってこう言ってる」
ジニーがわざと胸を張って、彼女を示す。
苦笑したまま、ハーマイオニーは肩を竦めた。
「あんまり信憑性が無いけどね」
「それでもいいよ、別に」
あら、と漏らしてジニーの肩越しにルーナを見やった。
「ありがとう、って言ってるのよ」
再び雑誌に目を落とし、夢見心地の声で呟く。
「アンタ、変なヒトだね」
「それって、褒め言葉?」
「さァね」
『クィブラー』をひっくり返し、そのページへと顔を埋めたルーナに、
ロン達は顔を見合わせて何度目かの苦笑を漏らした。





ねぇ、織ってる?
君は、ここにいるんだよ。








END




あとがき。

ハリポタ5巻ラスト付近。
ルーナは個人的にツボなキャラです。
誰かに固執してるわけでもなくて、
一般論はこういうのもあるんだぞ、みたいな。
まぁ、我が道を行く女の子です。
ハリーVer.は漫画っぽいので描こうともくろんでおりますが、
暗くなること間違いなし。

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