虹 を 見 に 行 こ う



それは、本当に些細なことで。

どうしてそれで、ケンカ出来たんだろうって思えるくらいで。

黙っていたわけじゃなくて、ただ、忘れていただけだった。

私にとってはそれほど大切なことじゃなかったのだけれど、

あの人にとっては、大事なことだったらしくて。

口論しているうちに、頭に血が上って、思わず家を飛び出した。

雨の中、傘も差さずに。



ぽたり、ぽたりと雫が髪から落ちていく。

降っている雨に紛れて、分からなくなってしまう。

時折、傘も差さずに歩いている私を振り返る人がいるけれど、

気にする余裕もなかった。

考えれば考えるほど、バカバカしくて笑いがこみあげてくる。

同時に、涙も溢れてきた。

どうせ、雨に濡れて泣いていることだって分からないのだから、

思いっきり泣いてやろうかと思った。

ずぶ濡れになって、服も重たくて、仕方がないからパン屋さんの軒下で雨宿り。

香ばしい薫りがただよってくる。

今の私には、その薫りさえも温かかった。

ため息をついて、目を閉じた。

そういえば。

出会ったばかりの頃はどんな感じだったっけ?

同じ大学で、同じ専攻で、偶然隣の席だった。

話し掛けられて、口を開いた。

不思議と気が合って、時々一緒に遊んだり、勉強したり。

自然と付き合うようになった。

プロポーズしてくれた時は、涙が出るほど嬉しかったのを覚えてる。

左手を空に翳すと、僅かな灯にシルバーの指輪が煌いた。

確かな、愛の証。

結婚したばかりの時は、何もかもが新鮮で、何もかもが手探りで大変だったね。

大変だったけれど、楽しかったね。

時には、ケンカもした。

意見の相違は当たり前。

違う人間なのだから。

あれから、一年も経つんだ。




「あれ…?」




ふと、私は顔を上げた。

そうだ。

ケンカもした。

でもどうして、ケンカなんかしたのだろう。

どうして、私は彼の一挙一動に、こんなにも一喜一憂させられるのだろう。

腹が立ったり、喜んだり、悲しんだり。

私のことではナイのに。





トクン。





そうして、気付く。

いつも。

いつも。




あぁ、そうか。






「私が、あの人を愛しているからなのだわ」






辿り着くのは、同じ答え。






「謝ろう」






たった、一言で済むのだから。

私が歩きだそうとしたその時、目の前が暗くなった。

見上げると、見覚えのある翠色の傘。

「…あ…」

そこには雨は降っていなくて、代わりに優しいあの人の笑顔。




『ごめんね』




重なる台詞。

私たちはきっと、とても間抜けな顔をしていたと思う。

だって、同じことを思って、同じことを言ったのだから。

こんなことってあるのね。

あんまりおかしくて、同時に噴出してしまったわ。

気が付けば、雨は本当に止んでいて、あの人が持って来た傘も必要なかった。

「いらなくなっちゃったね」

そう言って、私は傘を一本受け取って、もう片方の手を彼の掌に重ねた。

冷たくなった手を、包み込む温かさ。

体温だけのことじゃない。

ココロが、この想いが温かい。

「不思議だわ」

「何が?」

「ケンカしている時は、どうしようもなく腹が立つのだけれど」

重ねた掌に重みを預けて、寄りかかる。

「何故かしら。結局は貴方のことを許せてしまうのよ」

「奇遇だね」

彼は笑って、私に言ったわ。

「実は僕もそうなんだ」




私たちは全く違う人間なのだけれど、どちらか片方が欠けてしまうと、

物足りない気がするのだ。

まるでそれは、欠けた部分を補い合うパズルのピースの様で、

どれか1つだけでも足りなかったら、出来上がらない。

私たちはいつでも未完成。

いつか、出来上がるその日まで、ゆっくりゆっくり歩いていこう。




そう、貴方と一緒に。





「そうだわ」

私は、突然声高に叫んだ。

「もうひとつ、貴方に言わなければならないことがあったの」

もう、驚かない自信があったのだろうだけれど、ちょっと当てが外れたみたい。

彼の腕を掴んで、小さく耳打ちした。



「あのね」



その時の彼の驚き様ったらなかったわ。

初めて見たもの、あんな顔。

今までで一番驚いた顔。

私はそれがおかしくって、また笑い出した。

水溜りを渡ると、小さく水面が揺らぐ。

映っていた白い雲も、蒼い空もゆらゆらと崩れた。

「ねぇ、見て」

私は空を指差した。

二人で見上げると、同じ様に蒼い空が広がっていて、そこには大きな虹がかかっていたの。





「今度は三人で見れるといいね」





私は彼に囁いた。

彼も微笑んで頷いた。




私たちの旅立ちの日にも、確か虹が出ていたね。




とてもとても倖せな時間。

とてもとても倖せな世界。





優しい想いの広がるこの世界を、早くアナタにも見せてあげたい。

虹と同じに色とりどりの想いが重なるこの世界を。





だから、ね。





一緒に虹を見に行こう。







END





 。
いつもの雰囲気と全く変えてみました。
本当にただの日常。
身に覚えってありませんか?
覚えていないくらい些細なことでケンカして、
気付けば、やっぱり許せている自分がいること。
これは、新婚(?)家庭をモチーフにしてみましたが。
まぁ、たまには筆休めってことで。

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