彼女達が、何を考えていたのか。
その頃の僕は、思いつくはずも無くて。
向けられた笑顔の何処かで、疑われていただなんて思いたくも無かった。
盲目なまでに、君達を信じていたんだ。
織らないうちに。



Remember





無機質で、けれど何処か温かい感のする音が軽快に零れる。
部屋の中で、椅子に腰掛けていた少女が扉を見やった。
眠っていたのかと思うくらい、ただ静かに瞑想していた。
己を落ち着けさせる為なのか、それとも肝が据わっているのか。
「開いているわ。どうぞ」
金属がぶつかり合うと、ドアノブはくるりと回り、扉が内側へと開かれた。
鳶色のふわっとした猫毛を覗かせ、少年は躊躇いがちに部屋へと足を踏み入れる。
少女と目が合うと、微かに目を見開き、照れた様に微笑んだ。
「おめでとう、リリー」
「ありがとう、リーマス」
風が窓辺のカーテンを揺らし、ふぅわりと孤を描く。
リリーの被っているヴェールも柔らかくたゆたう。
質素で、それでいて彼女の赤毛に良く映える白。
そのウエディングドレスは、
どちらかと言えば快活な彼女が動き易そうなデザインだ。
持っていたブーケを掲げて、嬉しそうにキスをおとした。
「妹が作ってくれたの」
綺麗でしょう?と百合を大きくあしらったブーケのリボンを突付く。
くるくると巻かれたリボンが、彼女の髪を巻いているリボンと同じだと、
気付くのに時間はそれほどかからなかった。
「妹さんは?」
「『魔法使いなんて、いるはずがない』」
「え?」
「妹の口癖よ」
寂しそうに伏せられた睫が、微かに瞬く。
「来ないわ」
「そっか」
憐憫でもなく、無関心でもなく、リーマスは短く返した。
「貴方も、帰るのでしょう?」
「うん、ごめんね。仕方が、無いから」
「仕方の無いことなんて、ひとつも無いのよ?」
そうかもしれない、と彼は微笑む。
彼の学生時代から変わらない様子に、リリーは不思議と落ち着いた。
「でも、妹のことはいいの。約束だから」
「約束?」


―――ねぇ、ペチュニア。お願いがあるの


「秘密、よ」
こう言い出したら、決して口を開かない。
彼女の強情さは身にしみている。
だが、それだけではない意志が秘められている気がした。
それはきっと、彼の立ち入ることの出来ない領域で、
彼が立ち入ってはならない領域なのだろう。
「ジェームズには?」
「今日は朝から顔を合わせていないの」
「大騒ぎだろうね」
「昨日まで手を妬いたわ」
「お疲れ様」
「いやだ、まだ式も終わっていないのに」
「じゃあ、ご愁傷様?」
「あながち外れじゃないかもしれない言い回しは、止して欲しいわ」
苦笑と言うよりも、引きつった笑みを浮かべるリリーは非常に複雑な顔をしていた。
リーマスは嬉しそうに笑うと、翻ったヴェールに手を伸ばす。
「ジェームズを愛している?」
綺麗に直すと、彼女はありがとうと礼を言う。
「そんな言葉じゃ足りないくらい」
「妬けるなぁ」
「ジェームズに?私に?」
悪戯好きな少女の瞳は、彼を楽しそうに見上げた。
「どっちにも」
「貴方達は、私の永遠のライバルだわ」
嘆息して、再度聞えたノックに、返事をした。
「入るぞ」
「その遠慮のない声はシリウスね」
「僕もいるよ」
「分かっているわ、ピーター」
どうぞ、と声をかけると、無遠慮にドアが大きく開かれた。
長身で整った顔立ちの男と、
小柄でかぼちゃを思わせる面立ちの少年。
彼らが同じ歳だとは、誰も思わないかもしれない。
「女の子の部屋は、もっと優しく開けるものよ」
呆れて苦情を申し立てるが、何も聞こえないと耳を抑えるシリウス。
その上、いきなり、ぎっと睨まれてリリーは不思議そうに首を傾げた。
「何よ、その顔」
低く、うめく様な声でシリウスは呟く。
「…何で、ジェームズを止めなかった」
「止める?」
何の話か把握できずに、ますます首を傾げた。
端では、まだ諦めていなかったのか、
とリーマスとピーターが鬱陶しいものでも見るような眼差しを向けている。
「何で、俺が介添人なんだよ?!」
「あぁ、そのこと」
ようやく合点が行った彼女はぽん、と手を叩いた。
シリウスの姿を凝視して、にまぁと笑う。



「面白いからに決まってるじゃない」



どこかで見た光景だと思うより先に、
シリウスが大声で噛み付く。
と言っても、根がフェミニストなので、
それだけに収まってはいるが。
「畜生!腹の底までジェームズに染まりやがって!!」
「生涯を共にするのだもの。こうでもなきゃ、やってられないと思うわ」
「せちがらいこと言うね」
それが、今から式を挙げようと言う相手への言葉だろうか。
ピーターはふふ、と寂しく笑うと、彼らから視線を逸らした。
「お陰で、俺の繊細な硝子の心臓は今にも破裂しそうだぜ」
蒼白い顔をしながら、冷や汗を流す。
口元には気味の悪い笑みすら浮かんでいる。
心臓の音が、こちらにまで聞えてきそうな勢いだ。
「ノミの心臓」
「そう言うリーマスは毛が生えてそうだけどね」
すっぱりとモノを告げるリーマスに、物怖じせずに言ってのけるピーターは、
ある意味大物かもしれない。
くすくすと笑っていたリリーは、それを悲しげなものへと変えた。



「本当に、倖せ。このまま、何事もなければ良いと思うのは我侭かしら」



彼女の言わんとしていることを理解するも、彼らは受け流した。
何も、こんな祝いの席でまで憂い事は考えたくない。
目を逸らすことが、利口ではないと分かっていても。
「倖せを祈るのに我侭?」
「倖せすぎて怖いのよ」
不思議そうにリリーを覗き込むピーターに、苦笑した。
手持ち無沙汰なのか、ブーケのリボンを人差し指に巻く。
するりと外して、今度は中指に。
「どうか、忘れないで」
俯いたまま、穏やかな声で彼女は言の葉を紡ぐ。
「私たちがここにいたこと。貴方達がここにいたこと」
顔を上げて、微笑みを浮かべた。
祈るような面に見えなかったこともない。
ただ、気付くだけの要素はまだ揃っていなかった。




「こうして笑いあった、倖せな時間があったこと」




「バーカ、忘れねぇよ」





「大丈夫だよ、リリー」




ピーターも無言で、頷く。
彼女は、そうね、と目を伏せた。
「忘れたくても、忘れられないわよね」
熱くなっていく目頭を、必死で堪える。
化粧が落ちる、と慌ててリーマスがハンカチを差し出した。






―――僕達は、この風景を決して忘れない






彼らが去り、しばらくすると未来の夫が風のように、窓から入ってきた。
「信じられない」
タキシードについた葉を払い落とし、彼は変わらない笑みを浮かべる。
「天使かと思ったよ、リリー」
「他に言うことは?」
「愛しているよ、僕の奥さん」
「もういいわ、ジェームズ」
彼に反省の色が見えないことに脱力し、髪についた葉に手を伸ばした。
長身の彼は、軽く背を屈める。
「何も起こらないよ、リリー」
唐突な台詞に、一瞬動きを止める。
表情が見えないことに感謝した。
緊張に、顔が強張っていると分かったから。
「…シリウス達から聞いたのね」
「僕が、何も起こさせやしない」
きっぱりと言い切る彼に、リリーは俯いた。
決して友好的とは言えない感情が、自分の中を渦巻いている。
「何かを、誰かを疑うのはとても、辛いわ」
ほんの欠片ほども、疑っていなかったと言えば嘘になる。
信じている、そう口にすることも躊躇われた。
リーマスから借りたハンカチを、握り締める。
「だったら、信じればいい」
「裏切られても?」
「騙すのと騙されるのなら、騙された方が断然いい」
緑の葉から指を離せば、いとも簡単に床へと落ちた。
彼の言い分も分かるが、納得は出来なかった。
騙すとか騙さないとか、そもそも、最初から謀が無ければよい話だ。
けれど、現実はそうもいかない。
決して、楽観できる状況でもない。



「騙されていたのなら、罵るのは自分だけでいいだろう?」



彼の台詞は、いつだって自分以外の誰かに向けられる。
優しく、強く、そして重たく。
自分には終ぞ、無頓着だった気がしないでもない。
彼が求めたのは、ヒトの心で、居場所だった。
それを与えてくれた彼等の為には、己の命すら惜しくないのかもしれない。
「貴方は強いのね」
「信じてくれるヒト達がいるからね」
「私も強くなりたいわ」
「それは困る」
「どうして?」
「僕に甘えてくれなくなるじゃないか」
「莫迦ね」
くすぐったそうに肩を竦めると、彼は笑った。
本当に嬉しそうに笑う男だ。
今更ながら、彼が自分に惚れ居ていて、
自分が彼に惚れていることを思い出した。
「不思議だわ」
溜息混じりに吐き出された台詞は、諦めとも、呆れとも取れた。
されるがままに、目を閉じていたジェームズは、上目遣いに彼女を見やる。
「何がだい?」
「貴方に出会った頃から、ちっとも変わらないのよ」
終わったわ、と彼の額を小突く。
名残惜しそうに、姿勢を戻した。



「顔を合わせる度に、貴方に恋をするみたい」



その台詞に、目を瞬かせると、彼は無邪気に笑う。
「甘いな」
キスをしようと近づけた唇を、口紅が付くからダメよ、と手で遮る。
少し拗ねた表情を見せて、彼は彼女の手の甲に口付けた。




「僕は君を四六時中想っていて、その度に恋をするよ」




不自然さも無く、さらりと吐かれた甘い台詞に、
リリーは頬を紅く染めた。




「莫迦」




優しい風が彼らを包み、慈しんだ。







僕が信じることを止めた時、君達はもう一度死んだんだ。
僕が、殺したんだ。
心にぽっかりと空間が出来たように、
虚ろで、何も無かった。
君達の仇討ちだなんて、きっと君達は望まない。
何をしたらいいのか、見当もつかなくて、ただ、生きていた。
倖せな時だけを、心に刻んで。
君が忘れないで、と願った風景だけをただ、想って。




僕達は、忘れることなく生きていたんだ。






END

あとがき。
結婚式、リリー視点。
ペチュニアとの約束、そのうち書きます。
根っからの悪いヒトなんていないといいなぁ、とか思うのは甘いでしょうか。
ふと、気になったのは、例のあのヒトは一体どんな目的で動いているのでしょう。
世界征服でもないし、もし、マグルを消すことが目的であったとしても、
それは結局何のために?
これから描かれていくのかしら。

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