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Sharp Pine |
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1人の少年の後姿を見送りながら、初老の男が呟く。 「行った、な」 尤も、本当にそうなのかどうかなど、はっきりとは見て取れない。 ぎょろりと動く、見開かれた片目が異様に光って見えた。 「えぇ」 相貌からは、そんなに歳を取っているようには見えないが、 白髪交じりの鳶色の髪は、どうしても彼を年相応には見せてくれない。 つぎはぎだらけの上着のポケットに手を突っ込むと、軽く俯いて見せた。 「リーマス、大丈夫?」 隣に立つ女が、心配そうに彼を見上げた。 「何がだい、トンクス」 くすりと微笑う彼を、ますますトンクスは心配そうに見つめる。 「貴方が、よ」 言葉をひとつひとつ慎重に選びながら、 彼女は聞かれても構わない内容の台詞を口にする。 ほんの少し、辺りに視線を走らせながら。 「貴方、泣きたいくせに、泣いていないわ」 微かに見開かれた瞳を、トンクスは見逃さない。 軽く顔を顰めた。 「泣けないよ」 ぽつり、と呟く。 まるで、冬の空から、雪がひとひらだけ降ってきたような、そんな感じを漂わせて。 触れてしまえば、溶けてしまう雪のかけらのように。 「ハリーだって、泣いていないのに」 フン、と鼻を鳴らして、初老の男が振り返る。 「全く、どこまで不器用なんじゃ、お前らは」 その後にもぶつぶつと何かを言っていたが、よく聞き取れなかった。 苦笑して、リーマスは心を落ち着けるように幾度か瞬きをした。 「約束、したんですよ、ムーディ」 静かに語る彼に、ムーディは怪訝そうな顔を向ける。 微笑んでいるが、そこに感情は宿っていない。 昏い瞳は、一体何を映しているのか。 「例え、誰かが生命を落とすことになっても、全てが終わるまでは泣かない、と」 解いていた手をぎゅ、とポケットの中で強く握る。 空いている片方の手で前髪を掻き上げると、 眉根を寄せて、目を閉じた。 「泣いている暇なんて、無い」 慌てたように、トンクスは彼の腕を取った。 「そりゃ、そうだけど。でもね、リーマス」 「良いんだ、トンクス。ありがとう」 彼女の台詞を遮り、微笑む。 開きかけていた口を真一文字に縛ると、溜息を吐いた。 「ずるいわ。私、何も言えなくなっちゃうじゃない」 「ごめん」 歩き始めたムーディの背を追いながら、 トンクスは右脇にあったゴミ箱に足を引っ掛けて転びそうになる。 危く、リーマスが彼女の腕を取り、大事には至らなかった。 「そうさな、ワシ等に出来るのは、もう誰も死なないことじゃ」 振り返らず、彼は口を開く。 「誰も、あの坊主の為に死んではいかん」 自然、早足になっているのは気のせいだろうか。 2人も早足で彼を追いかける。 「ただでさえ、重苦しいモンを背負っておると言うに、これ以上背負わせる気か?」 不意に立ち止まる彼に、2人はつんのめりかけた。 くるりと振り返り、彼の目が2人をぎろりと睨む。 「ヒトの生命は重い」 えぇっと、とトンクスは考え込むようにして、額に人差し指を当てた。 「つまり、最後に、大丈夫、私は生きているって笑えたら良いんでしょ?」 「1度死に掛けた奴がよく言う」 喉を鳴らして笑うムーディに、彼女は頬をぽ、と染めてそっぽを向く。 頬を膨らませ、口を尖らせた。 「死ぬのを怖いと思っている方が、より強くなれると思うわ」 それもまた然り。 ムーディは頷いた。 だんまりを決め込んでいるリーマスを、トンクスは覗き込む。 暗い影が、目元に落ちる。 「笑える、かな」 尋ねるでもなく、リーマスは口を開いた。 「多くの犠牲を払ってでも、笑えるのかな」 脳裏に、十数年前の出来事が甦る。 突然の別れ。 理不尽な痛み。 何もかもが分からなくなった。 「あの時、私は…笑えなかった」 自嘲気味に浮かんだ笑みは、彼を遠く思わせる。 彼が立ち止まっているのは、駅構内ではなく、きっと過ぎ去った刻。 「失ったものが多過ぎて、泣くことすらままならなかった」 辛辣に細められる瞳に、トンクスは何も言えない。 ―――ねぇ、皆。これは喜ぶべきこと、なんだよね? だけど、それでも。 「一体、何を喜べば良いのか。何を哀しめば良いのか」 こんな虚ろな感情で、一体何を、どう思えば良い? 「それすらも分からなかった」 ふぅ、と息を吐くムーディは、ぐ、と眉根を寄せた。 「お前さんは、困った性格じゃな」 手を伸ばし、リーマスを屈ませたかと思うと、頭をぐしゃぐしゃと撫でる。 癖のある鳶色の髪は、無残にもあちこちへと飛び跳ねた。 「背負わずとも良いものまで、背負おうとする」 彼の台詞に、リーマスは首を傾げる。 「背負わずとも良いもの?」 「皆、お前さんの所為で犠牲になったとでも?そんなものは傲慢に過ぎん」 呆れも交えた口調で、ムーディは続けた。 「ジェームズも、リリーも、己が為、護るべき者の為に闘い、生命を落とした」 誇りに思えとは言わない。 大切な者を失って、それを言うのは残酷だ。 「それは奴等が選んだ道であって、お前さんが後悔するべきことじゃない」 彼等が選んだ道を否定してはいけない。 彼等が生きていた軌跡を、踏みにじってはいけない。 「何も出来んかった、そう思うんなら、今どうするべきか」 彼等が残した希望を、先へと繋げなければいけない。 それが。 それこそが。 「まだ分からん未来や、訪れた過去を嘆くより、今、どうするべきかを考えろ」 彼等が皆の中で生きている証なのだから。 幼子に言い聞かせるように、ムーディはゆっくりと言った。 「いいか、リーマス」 低く、太い声音だが、不思議と優しいものを感じさせる。 ぶっきらぼうな口調が、心地よく、温かい。 彼が、一昨年ハリーの先生としてホグワーツにいたのであれば、 きっと立派に努めを果たしていたであろうに。 「哀しみはヒトそれぞれ。だからこそ、自分自身で乗り越えなければならん」 そうして、忘れてはいけないのだ、と彼は言外に語る。 「あの坊主も、お前さんも。ワシ等だってそうだ」 むぅ、と唸って、少し間を置く。 気遣わしげにリーマスを見やると、ややあって口を開いた。 「奴は誰も恨んでなんぞおらん」 一瞬、リーマスの目が見開かれる。 名前を出さずとも、彼が誰を指しているのか、すぐに分かる。 分かるからこそ、彼がいないと思い織らされた。 「後は、残された者の気持ち次第」 ぽん、とリーマスの肩に手が置かれる。 ほんの少し視線を上げて、ムーディと向かい合った。 「悔いて悔いて、悔い続けて、そこに立ち止まることを奴等が望むとでも?」 静かに目を伏せて、小さく首を振る。 うむ、と頷き、ふ、と笑った。 「奴等だったら、せっついて先に進めと突き飛ばすだろう」 「その先に、落とし穴を掘っていたとしてもね」 トンクスも冗談めかして、彼を覗き込む。 有り得る話だと、リーマスも苦笑した。 「そう、だね」 ただ、とリーマスは俯く。 「遠くない未来、ハリーをあの屋敷に呼び出さなければならないかと思うと、気が重くて仕方が無いんだ」 ほんの少しの時間だけでも、共に過ごしたあの家に。 「彼のいない、あの家に」 楽しい思い出ほど辛いものは無い。 リーマスは身を以って、それを感じる。 ホグワーツに赴くことに、躊躇わなかった訳では無い。 「例え、それが必要だったとしても、それを強いるのは」 「それもあの坊主が乗り越えること。お前さんが心配することじゃない」 繰り返し、ムーディは念を押す。 「子どもなんてのはな、織らない内に大きくなるモンだ。どうしても耐えられなくなって、泣きついて来た時だけ、手を貸してやればいい。そうしないと言うことは、自分で何とかしようとしている時だ。ワシ等が口を出すことでも、手を出すことでもない」 2、3度、荒々しくリーマスの肩を叩くと、穏やかに笑った。 「信じてやれ」 彼の強さ。 彼の弱さ。 彼の、心を。 「はい、ムーディ」 確かに彼は、両親のそれを受け継いでいる。 きっと大丈夫だと、根拠の無い確信を胸の中に宿して。 END |
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ハリポタ5巻ラスト付近。 |
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