So Long




『お前の名前、聞いてなかったよな』



それが、アイツの最後の言葉。



『じゃあな、悟空』



それが、アイツの最期の台詞。



アイツは、『またな』ってゆわなかった。
いつもみたいに。





ある日の午後。
悟空は、金蝉の部屋で退屈そうに外を眺めていた。
「金蝉、またどっかいっちゃうしさー…」
蒼い空は風に乗った雲を映し出す。
窓の縁に頬杖をつき、視線を更に下に落とす。
風が花の香りを運び、殺風景なこの部屋も
その時だけは華やかになる。
彼は静かに目を閉じた。
(昼寝でもしよっかな)
「……イ、オイッ!」
下から、不意に誰かの声が聞こえた。
その声はあまりにかすかで、少し間違えば
風の声かと思ってしまう。
聞き覚えのある声に、悟空は目を開けた。
「ナタク!」
嬉しそうにナタクの名を呼ぶ彼を、ナタクは慌てて制す。
周りを見回しながら、口に人差し指を立てた。
「わ!バカ、静かにしろって!」
彼の声は、あくまで小さなものだった。
悟空もつられて、小さな声になる。
「どしたの?」
「降りてこいよ」
「うんっ」
彼は即答すると、金蝉の部屋を出ていった。





キラキラと、太陽の光が木の葉の間から漏れている。
風に揺られて、ザワザワとそれらが音を立てた。
悟空は、見慣れない風景にあたりを見回しながらナタクの後をついていく。
観世音の城の中でしか生活しない彼には、全てが新しいものに見える。
下界ではともかく、天界でこのような風景を見ることは殆どなかった。
出歩くと言えば、金蝉にくっついて別館に行くとか、その程度のものだ。
「あんまりよそ見してると…」
「いてっ!」
「……ぶつかったな……」
下に伸びてきていた木の枝に、顔をぶつけたようだ。
あまりのお約束な風景にナタクは苦笑する。
「何やってんだよ」
「笑うなよっ、ひっでーなっ!」
そういう悟空の表情も笑顔である。
二人は、仲良くケンカしながら森の奥へと進んでいった。
ふと、小鳥のさえずりが、高いところから聞こえてくる。
悟空は、その方向を見上げた。
「なあ、ナタク」
「ん?」
「鳥って…どこまで飛んで行けるのかな?」
「どこまでって?」
近くの木に登りながら、
適当な太さの幹に二人は腰掛けた。
遠くの空を見上げて、太陽の光の眩しさに目を細める。
「ずっと、ずっと向こうまで飛んで行けるのかな?」
「…お前は、どこまで飛んで行きたいんだ?」
静かなナタクの問いに、悟空は否定するように首を振る。
「違う、どこかに行きたいんじゃない」
「じゃあ、何だよ?」
「まだ下界にいた頃、いつも思ってた」
楽しそうに笑いながらしゃべり出す彼の言葉に、耳を傾ける。
聞こえるものは、悟空の声の他には風の声と、鳥の声だけだ。
「鳥って、どんな世界が見えるんだろうって」
地上にいる自分たちと違って。
どんな世界を見て、
どんな世界を感じて、
どんな世界に触れるのだろう。
想像するだけでも楽し気な悟空とは反対に、
ナタクの声は重かった。
「……全ての鳥が、どこまでも飛んで行けるわけじゃない」
小さな声で呟くナタクの声に、悟空は顔を彼に向ける。
「え?」
「鳥籠の中にいる鳥だっているんだ」
飛べない鳥もいる。
翼を広げても、
飛ぶ為の空がなければ、飛ぶことはできない。
鎖につながれていれば、飛ぶことなどできはしないのだ。
今ここにいる、自分のように。
「でもさ、それならその籠から出せばいいじゃん」
悟空の答えに、ナタクは思わず顔を上げた。



「だってそうだろ?もし出さなくても、鳥ってさ、自分で鳥篭開けたり出来るんだから」



鳥篭の中の小鳥は閉じ込められているけれど、
出ることは自由だ。
自分の力で、はばたくことが出来る。
飼い主の手を傷つけたとしても、
籠の扉が開いた瞬間に、飛び出すことが出来るのだ。




―――繋がれた鎖を切るのは自分自身だ―――




飛び出せるか?
あの手を振り解いて。
あの目に正面から向かい合って。
それだけの勇気が、俺にあるか?
「……飛んで見せるさ」
「へ?何?ナタク」
「いや、お前の言う通りだと思ってさ」
「ふぅん?」
不思議そうにナタクを見つめる、悟空の額を軽く小突く。
その力で、思わず後ろから落ちそうになる。
「わ?!」
これにはナタクも慌てたようで、彼の腕をつかんだ。
片方の手は、落ちないように木の幹をしっかりと握っている。
重心を戻し、体勢を立て直すと、二人は同時に安堵の息を吐いた。
「あっぶね〜」
しかし、落ち着いたと同時にお互いに笑い出す。
風のざわめきも、鳥のさえずりも彼らの笑い声にかき消されて行く。
兄弟のように仲の良さそうな二人に、太陽が笑っているようだ。
「この景色ってさ、春になったら桜でいっぱいになるんだぜ」
「桜?」
「そ」
「それならさっ、お花見しよう!」
「え、花見?」
「天ちゃんたちと、ゆってたんだ。桜が咲いたらって」
身を乗り出して、ナタクに話しかける悟空の目は
子どものそれそのものだ。
悟空の言葉に、ナタクはいたずらっぽく微笑む。
「行く行く!じゃあさ、俺とお前で、桜が一番綺麗に咲く場所探して、驚かしてやろうぜ」
ナタクも、悟空といる時だけは子どもらしく振る舞えるようだ。
一緒になってはしゃいでいる自分がいることに心地よさを覚えた。
眩しく真っ直ぐに、光が射し込んでくる。
日が傾いたのだろう。
先ほどまで影になっていた彼らのいた場所も、
太陽の光でいっぱいになった。
その光を見つめていた悟空は、ポツリと呟く。
「明るい時にも太陽って光っているんだな」
「は?太陽は明るい時に出るもんだろ?」
「暗い時にも出るもん」
「????」
(……暗い時?)
少々疑問に思ったナタクだったが、
悟空が冗談を言っているように見えなかったため、
頷いておく。
「へぇ?」
(金蝉のことか?)
こいつと同じ、黄金色の髪を持った奴。
何度か見たことあるけど、
いっつも無愛想で機嫌悪そうで、
あんまり近寄りたいとは思わなかったけど。
「…な、金蝉ってどんな奴?」
「金蝉?…うーんと…すぐ怒るし、ぶつし、すっげー恐い」
でも、と言葉をつなげる。
「でもさ、すっげー綺麗だと思う。何か、あいつの周りだけきらきらしてんだ」
それは、見かけだけではなく、内面的なものまで。
(何で分かるんだろ)
誰かにそばにいて欲しいと思った時、
そばにいてくれた。
口には出さなかったけれど、すごく嬉しかった。
誰にも愛されない自分を、友達だと言ってくれた。
その言葉だけで、
その存在だけで、俺は救われたんだ。
「……タク様!ナタク様!!」
不意に、彼の名を呼ぶ者の声があたりに響く。
その呼び方から察するに、無断で出て来たのだろう。
堅く強ばる彼の横顔に、悟空は不思議な感じを覚えた。
「ナタ…」
「しっ!」
いきなり、彼の手に悟空の口は塞がれる。
「?」
こちらからは、ナタクの表情が良く読み取れない。
(ナタク?)
もし殺せと言われている悟空と共にいることが
李塔天に知れたら、今度こそどんな手を使っても
悟空を殺せと強要するだろう。
彼が、どんな小賢しい手を使うか分からない。
結果、悟空を危険な目に合わせる。



『殺せ』



冷たい、父の瞳。
大嫌いな、父の笑み。
それから生み出された、残酷な言葉。



―――冗談じゃない



(そんなことさせない)



きゅっと口元を結ぶと、ナタクは悟空の口から手を放す。
なるべく静かに話すように促すナタクの呼びかけに、
悟空は瞳だけでうなずく。
「…お前の名前、聞いてなかったよな」
何度か会ったことがあるが、色々なことがありすぎて
結局おざなりになっていたのだ。
最後に彼と目が合ったときは逸らされ、
彼は呼びかけには答えなかった。
否、答えることが出来なかった。
「あ、そうだよなっ。俺、悟空って言うんだ」
金蝉につけてもらったんだと嬉しそうに話す悟空を、
ナタクは優しくみつめる。



『悟空』



―――目に見えないものを、悟ることの出来る者



漠然と、彼の脳裏にその名の意味が浮かびあがる。
(ぴったりじゃん)
「そっか」
「ナタク?」
「…俺が見えなくなったら帰れ」
降りる体制を取りながら、ナタクは悟空に忠告する。
悟空にそれが忠告だと伝わったかどうかは別として。
「約束だからな」
「へ?う…ん?」
訳が分からず返事をする悟空に笑みを向けると、
ナタクはその幹から飛び降りた。
「じゃあな、悟空」
器用に幹から幹へ飛び移りながら、着地する。
飛び降りたところが、探しに来た者の目前であったため、
彼を驚かせたようだ。
「ッ!?…ナタク様!」
最初は、あまりに近すぎて何が現れたのか分からなかったのか、
一呼吸置いて、ナタクの名を呼ぶ。
「何だよ。探していたんじゃなかったのか?」
落ち着いて、体制を戻すと彼は、
子どもの体に、大人の瞳を持った少年へ小さく一礼する。
「……李塔天様がお呼びです」
「分かった」
段々遠くなっていくナタクの姿を見ながら、
悟空は言い知れない不安に襲われる。
ドクンとなる小さな心臓を、ぎゅっとつかむ。



―――何で…?



「…ナタク、何で?」
ぽつりと呟くその声は、先ほどの笑い声とは反対に、
木々のざわめきにかき消されて行った。


部屋に帰ると、そこには金蝉の姿があった。
「悟空、どこへ行っていた?あまりうろつくなと…」
「ごめん」
いつもと違い、素直な返事を返す彼に、金蝉は一瞬面食らう。
とぼとぼと、窓辺に向かう彼の背中を目で追った。
持っていた書類を揃えて机に置くと、彼に歩み寄る。
「どうした?」
「…俺、ナタクを怒らせたかもしんない」
突然の台詞に、彼は目を瞬かせる。
傾きかけた太陽から目を外し、視線を落とす。
腰のあたりまでしかない悟空の身長では、
視線を落とさなければ、彼の表情など見えはしない。
まだ成長途上の幼い手は、金蝉の服をつかんだ。
「怒らせるようなことしたのか?」
「してないっ!」
「なら、違うんだろ」
「でもっっ!!」
悟空の声は、語尾が小さくなって行く。
「ナタク、この前みたいに『またな』ってゆってくれなかった」
そんなこと、と呆れたようにため息をつく金蝉だったが、
彼にしか感じることの出来ないものがあるのだろうと思う。
その名の如く。
それは、今までの実績に基づいて導き出す答えよりも正確だ。
導き出せないものなのかもしれない。
「…言い忘れたんじゃねえのか」
気休めにもならない言葉だと自覚しながら、
金蝉は間抜けな答えを口に出す。
先ほどよりも傾いた太陽の光が、
部屋の中に差し込んで、全てを紅く染め上げる。
一瞬、金蝉の脳裏にある考えがよぎる。
(まさか…)
どうか、
杞憂であって欲しい。
だが、もしそうだったら。
(こいつに言えるわけがねえ)
軽く首を振ると、悟空を落ち着けるように彼の頭に手を乗せた。





ギィと、重たい扉が閉められる。
李塔天の自室だ。
その机の前に立つと、
ナタクは人形のような、感情の無い瞳を李塔天に向けた。
李塔天はそれを気にする風でもなく、
口元を卑らしく歪める。
「…何でしょうか、父上」
「分かっているはずだ」
ピクリと、彼の手が動く。
「あの異端児の始末はどうなっている?」
ナタクの瞳の揺らぎを感じ取るかのように、
李塔天は同じ台詞を紡ぐ。
「分かっているはずだ」




―――繋がれた鎖を切るのは自分自身だ―――




ナタクは一度瞳を閉じると、
静かに瞼をあげた。
「俺には出来ません」
「何だと?」
不機嫌そうに繭を釣り上げる李塔天に、
圧倒されるでもなく、ナタクは不敵な笑みを浮かべる。
「出来ないと言ったのです」
李塔天の拳にバンッと強く叩かれた机は、
壊れんばかりに軋み、音を立てた。
「お前には拒否権など無い。お前は私の人形なのだ、ナタク」
しかし、ナタクの瞳は逸らされることはない。
「あの異端児に何を吹き込まれたか知らんが、お前は大人しく私の言う通りに動けば良い」
「嫌だ!」
強い口調で返すナタクに、李塔天は目を見張る。
「俺は、もう貴方の言う通りにはならない!あいつは…悟空は…」



『カッケ―――!!それスッゲ見てえ〜!!』



『ナタクに会いに来たんだ』



悠然と、闘神太子の名にふさわしく。



『会いに来たんだ』



意志の強い、その瞳で。
力強い、微笑みを持って。



「俺の友達なんだ!!」



呆然と成り行きを見ていた、周りの者がざわつき始める。
小さく舌打ちすると、李塔天は立ち上がった。
「…ふん。所詮は不浄の者ということか」
横に手を挙げる李塔天の周りの者への指示を遮るように、
ナタクは剣を具現化させた。
牛魔王との戦いにも用いた剣だ。
一室に緊張が走る。
「!!」
「…俺がいなくなれば、あんたがのさばることだって出来ないはずだ」
(ごめん、悟空。俺は、この方法しか選べない)
剣が李塔天を貫くことはなかった。
その剣の切っ先を真っ直ぐに自分の心臓へと向ける。
真っ赤な鮮血があたりに広がり、
深々とナタクの胸を貫いた。
背中からは、剣の切っ先が出ている。
ぽたぽたと流れ落ちる紅い血は、剣の柄まで流れ落ちる。
白い手は、真っ赤に染まって行く。



―――ごめん、な





―――悟空




「ナタ…ク…?」
不思議そうに後ろを振り返る悟空に、
金蝉は問いかける。
「どうした?悟空」
「ん。何か、ナタクに呼ばれた気がした」
しかし、そこには誰もいなかった。





そして、この天界にも、
その名を呼んだとて、
返事をする者はもう、いない。
その声で、悟空の名を呼ぶ者も。






END

あとがき キリリク小説です。3210を踏んでくれた、友人みかん汁へ。悟空メインで、何でも良いということでしたが、・・・誰がメインだ・・・?何だか、ナタクっぽいけれど、一応、悟空メインです・・・よね?(汗)金蝉が亡くなった時は描いたので、今度はナタクバージョンということで。次は、天蓬と捲簾でしょうかねえ。今まで書いた話に繋がるようにはしてるんですけど、やっぱり、不都合が出てきますね。台詞が繋がってないですよ〜(汗)。鳥が鳥篭に閉じ込められるのは、飛べるからであって、飛ばない鳥を鳥篭に入れる必要はないんです。飛んでいかれると困るから、鳥篭に閉じ込めておくのです。飛ぶことが出来ないためじゃない、そういう風に私は思います。


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