その先に見えるを希望と呼ぶのなら
僕は
こそを望むだろう






『大丈夫ですから』


―――何が?


『振り向くんじゃねぇぞ』


―――何を?




『行け』




―――何処へ?





―――いや、だ…っ」


叫んで幼子は目を覚ました。
降り続ける雨が赤茶けた土に寝転んだままの幼子の身体をしんと冷やす。
季節は冬にかかる秋の終わり。
冬将軍が今か今かと出陣の時を待っている。
しとしとと鳴く霧雨は景色を白に包み込み、ついには覆い隠してしまう。
「…あ、め」
ふ、と呟くも、その声に意味は持たない。
持たせようとはしない。
動けばジャラリと両手足を繋ぐ鎖と枷が音を立てて自己主張をする。
頬についたざらりとした土を払い落とし、悴む両手を擦り合わせた。
ぬくもりは、思い出せない。
そもそもぬくもりなど、この身は本当に織っていたのだろうか。
それすらも分からない。
幼子の元に残っていたのは、枷の冷たさと、押し潰されそうな罪悪の念と、
幼子を幼子足らしめる名だけ。
他には何も無い。
深く深い湖の底に重石を付けられ沈められてしまったであろう記憶には、
ほんの少しも触れることが出来ない。
ないことだらけだ。
そうしてそれが、当然なのだと思い知る。
虚ろに揺れる瞳から、雨とは違う雫が落ちた。
「…?」
幼子は爪の伸びてしまった指で頬を辿った。
仄かに、じんわりとぬくもりを教える雫は幾度流れても絶えることを織らない。
泣きながら目が覚めることはままあった。
名も憶えていない誰かを呼びながら、けれど呼べなくて、
声が枯れるまで叫び続けたこともあった。
なのに、変わらない。
何も、何ひとつとして世界は変わらない。
縦長く区切られた世界は移ろい、幼子を残して過ぎて行く。
狭い幼子の空間だけを、何ひとつ変えること無く。
伸ばした腕すら、消え行くもののように。
「あと…」
どれくらい、と呟こうとして、止めた。
幼子を縛る戒めに、終わりなど無い気がしていた。
事実、正しかったに違いない。
思い出したことすら忘れ、忘れてしまったことすら忘れる。
幼子を蝕む呪は忘却こそを望んだ。
「忘れたく、なかったんだ」
ぽつり、と雨のように零れる言の葉は、大地に染み込むこと無く、
虚ろに小さく冷たい岩牢で響いた。
「憶えて、いなきゃ、駄目だったんだ」
胸を掻き毟るようにして強く握る。
冷たい鉄の固まりも、長く伸びる鎖も、封印に塗れた岩牢の柵も。



「だから、かな」




―――犯した罪こそが、呪詛となりえるのであれば




「だからまだ、俺に終わりは来ないのかな…?」




―――今この刻に、息の根を止めてくれたら良いのに





導も分からず走り続ける。
同じ道をぐるぐると回っていることに気付きながら、
そこから抜け出せる術に気付きながら、
赦されないのだと目を逸らした。
差し出された手のぬくもりこそが、罪咎だとすら思った。
どうせ背負い続けるのなら何処までも。
幼子は未だ、螺旋の回廊を迷い続ける。






END



あとがき。
廻る、痛み。




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