エピローグで始まった、腑に落ちない物語。
真っ黒なインクを落として、破り捨ててしまおう。



見慣れた丘の、見慣れた風景。
そこに映った、君の姿。
ちょっとだけ大人びた、君の笑顔。





に溶けた、君が僕を呼ぶ声






どうして、とは思わなかった。
否、思えなかった。
突然出会ったにも関わらず、それは至極当然のようにしてそこにあって、
すっぽりと収まってしまったのだから。
淡い金糸が風に揺れて、光を帯びる。
彼女の飼い犬が一声吼えると、見開いたままだった目を瞬かせた。
「…おかえりは、言わないわよ」
呆れたように溜息を吐くと立ち上がり、彼女は腰に手を当てて目の前に立つ男を睨んだ。
何よその格好、似合わないったら無いわ、とぶつぶつと漏らす。
「じゃ、ただいまも言わねぇ」
悪びれずに彼もまた口を尖らせて明後日を向く。
その様子が癪に障ったのか、不貞腐れたようにして彼女は口を開いた。
「言いなさいよ、それくらい」
「そっちこそ」
折れるという言葉を知らないのか、
彼らは放っておけば延々と続くであろう会話を始めそうな雰囲気を漂わせ始めた。
けれど、お互いが顔を見合わせて睨み合っていたかと思えば、
堪えきれないようにして、同時に噴出してしまう。
何が可笑しいのかも分からないまま、2人は声を上げて笑った。
「アルは?」
「ばっちゃんが裏に居るの見えたからそっちに」
そう、と頷き、彼女は笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を指先で拭いた。
飼い犬のデンもアルフォンスに気付いたのか、裏手に向かって走って行った。
背筋を伸ばして、向かい合う。


「…ただいま、ウィンリィ」


「おかえり、エド」


いってらっしゃいは言えなかったけれど。
ウィンリィはそう言って苦笑した。
「最後だと、覚悟したから」
視線を僅かばかり落として、
見慣れない寂しそうな笑みを零すエドワードに違和感を覚えた。
離れた時間の分だけ、鮮明に浮かび上がる違和感。
「アンタはほんと昔から覚悟ばっかり」
くるりと身体を半回転させ、背中を見せる。
後ろに組んだ手は、強く握られたままだ。
指先が、白い。
「そうかな」
「そうよ」
「そうかも」
「そうなのよ」
相変わらず背を向けたままのウィンリィに、エドワードは小さく微笑う。
軽く、空を仰いだ。
高い空は蒼く、蒼く、どんなに手を伸ばしたところで届きはしない。
いつか見た夢によく似ていた。
「これも、覚悟だったのかもしれない」
ぴくりと揺れたウィンリィの肩に気付かぬ振りをして、エドワードは静かに口を開く。
夢だと思った。
見果てぬ夢だと信じて疑わなかった。
義務を果たしたその後も、二度と逢うことは叶わぬのだと、自分に何度も言い聞かせた。
「こっちへ帰る覚悟。ウィンリィに逢う、覚悟」
そうしてやっと気付く、心に根付いていた確かな想い。
突然湧いたのではなく、最初からそこにあったもの。
だからこそ目の前に提示された可能性に、諦めたはずの手を伸ばしたのはきっと必然だった。
「私に逢うのにも覚悟が要るワケ?」
不服そうに頬を膨らませる彼女に、彼はべ、と舌を出した。
「いつスパナで殴られるのか分かりませんカラ」
アンタねぇ、とウィンリィは振り返って、エドワードに掴みかかる。
その両腕は寸前でエドワードに阻まれてしまい、身動きが取れない。
掴まれた手首をそのままに、ウィンリィは彼をねめつけた。
「図体ばっかり大きくなって、憎まれ口は変わらないのね」
「お前もだろ」
少し力を入れれば手折れそうな腕を恐る恐る掴んでいる彼の心情を知るべくもなく、
彼女は悪かったわね、と文句を言う。
不意に、エドワードとの視線の距離が遠いことに気付く。
あの時は気付く余裕など無かったが、彼は確実に彼女よりも背が高いらしい。
顔立ちも幾分か大人びて、声も少しだけなら低くなった気がする。
「…待ってて、くれたのか」
だから、訊ねられた言葉の意味を理解するまで数秒を要した。
幾度か短い間隔で瞬きを繰り返すと、ウィンリィは首を振る。
「いいえ、待ってなかったわ」
ハッキリと、簡潔に。
エドワードはその台詞に安堵し、落胆した。
そう確かに、落胆したのだ。
「そ、か」
そのような資格など、どこにもありはしないのに。
微かに表情を暗くした彼へ、何て自分勝手なのだろうと思いを廻らす。
どうせまた、余計なことまで考えているのだとすぐに知れた。
「待たせてくれなかったくせに」
ぱ、と束縛されていた両腕を振り解くと、一歩後ろに下がる。
エドワードは近付かない。
この距離が、彼と彼女の境界線。
まだ幼い頃の、幼い想いのままの、彼と彼女の。


「アンタは、いってらっしゃいも…さよならすら言わせなかったじゃない」


―――その背を見送ることすらも


「何もかも中途半端なままで投げ出して」


―――残ったのは、未消化の想い


「とんでもない奴だって思ったわ。知ってたけど」


―――離れて気付くなんて、遅すぎる


彼女の言葉のひとつひとつを噛み締めるように頷く。
「…あぁ」
彼らが焼いた、彼らの炎に包まれて行く家を見上げた時と同じ瞳で。
失くしたくないなら、どうして手を伸ばそうとしないのか。
欲しいものを欲しいと言うことに、どうして罪悪の念が生まれるのか。
苛付く思考を振り解くように、ウィンリィは大きく首を左右に振った。
「待つ必要なんて、無かったのよ」
繰り返すウィンリィに相槌を打とうとしたエドワードを遮り、
更に重ねて言の葉を紡ぐ。



「だってあれは、終わりじゃなかった」



一瞬だけ、彼が目を見開いたのが分かる。
分かったからこそ、ほくそ笑んだ。
してやったりと、意地の悪い笑みを浮かべた。
「少なくとも私にとっては、終わりじゃなかったのよ」
人差し指を、彼の鼻の頭に突き付けて、ウィンリィは下から覗き込んだ。
驚いたような、困ったような表情を浮かべたエドワードに、
そんな顔もするのね、と内心驚く。
「待たなくても、アンタはひょっこり此処に現れるんじゃないかってね」
子どものそれのように笑って、胸を反らす。
くすぐったいような感情に襲われ、エドワードはウィンリィから視線を外した。
「何でそんな、途方も確証も無いこ…」
「無いことなんて無かったわ。現に、アンタは此処に居るもの」
とん、と肩口を拳の裏で叩く。
憶えている。
硬い、機械鎧の質感。
彼女が造った、彼の為だけの最高級の手足。
一体、いつ誰が、それを餞として送ったと言うのか。
「帰って来てくれたじゃない」
布地の上から、彼の腕を掴む右手。
指は硬い肌を滑り、服を握った。
「また、どっかに行くかもしれねぇぞ」
ウィンリィの手に重ねようとしたエドワードの手は、
触れようとした瞬間に絡め取られる。
そうして、彼のそれと組まれる指。
「行かないわ」
確信しているかのような強い言霊にエドワードは息を呑む。
機械鎧の腕を眺めていたウィンリィの視線が、エドワードの視線とかち合った。
リゼンブールの空と同じ蒼。
「私に、逢いに来たんでしょう?」
こくりと頷けば、向日葵が一瞬で咲いたような笑顔を見せる。
指を組んだまま、ウィンリィはエドワードの胸に寄りかかった。
喧しく鳴り続ける鼓動が、届いてしまわないだろうか。
もう、気付かれているのではないだろうか。
気が気ではない。
ウィンリィは楽しそうにくすくすと笑い出した。


「エドが私を想っていてくれるのならそれは、エドが私の傍を離れる理由には程遠いわ」


呆れた声で、彼は嘆息する。
「なんつー無茶な理論立て…」
誤魔化すようにして口を開けば、
きょとんとしたウィンリィの瞳がエドワードを見上げていた。
「違うの?」
思わず、ぐ、と言葉に詰まる。
微かに染まる頬が、何とも彼らしくない。
昔だったら真っ赤になって怒鳴り返していたに違い無いのに。
「…違わない、かも」
ぽそり、と呟いた彼に満足そうにウィンリィは微笑む。
視線を合わせようとしないのは、この際大目に見てあげよう。
「じゃあ、ちゃんと言って。そしたら私も言うから。等価交換、でしょ?」
はぁ?!と素っ頓狂な声を上げて、
エドワードは機械鎧の手で口元を覆った。
今度こそ耳まで真っ赤に染まったエドワードは、居心地が悪そうに視線を泳がせている。
「…お前、此処で言えってか」
げんなりとした口調で、恐らくそうではなくて照れているだけなのではあろうけれど、
苦虫を噛み潰したような顔で目の前のウィンリィをじとりと睨んだ。
当の彼女は面白そうににっこりと笑い、
「此処で言わないでいつ言うの」
と言ってのける。
益々眉を顰めて、唸るエドワード。
「そうじゃなくて、場所の問題とか…」
「私には問題なんて無いわよ?」
往生際が悪いと言わんばかりに、
エドワードと繋いだ手を離したその手で彼の鼻をきゅっと摘み上げた。
紅くなった鼻を抑えて、彼は口を尖らせる。
「…お前、なぁ」
「違うわよ」
「は?」
ウィンリィが手を伸ばして頬に触れたかと思うと、今度は左右に頬が伸ばされた。
先程よりも強く摘まれているのか、ちくりとした痛みが走る。
指が離されれば、ぺちりと頬を叩かれた。
「呼びなさいよ、ちゃんと。私はお前なんて名前じゃないわ」
彼女の両手で顔を挟まれたまま、エドワードは言葉を失う。
その手に触れれば、確かなぬくもり。
君が此処に居る、証。
君と、此処に居る証。


―――名前を呼んで、そっと


「今まで聞けなかった分まで、全部」


―――貴方の声で、何度でも


す、と背中に回された腕に力が篭る。
耳元で囁かれるように、呼ばれる名前。
幾度も、幾度も、幾度でも。

「…ウィンリィ」

「ん」

「ウィンリィ」

「うん」

「ウィンリィ」

「ハイ」

ひとつになることの無い境界線がもどかしい。
いっそのこと、このまま溶けてしまえば良いのに。
強く抱かれていた身体がゆっくりと離れていく。
エドワードはウィンリィの手を取ると、その手のひらに優しく口付けた。



「…ウィンリィさん、ウィンリィ・エルリックになるのを前提にオツキアイして頂けませんか?」



「ハイ、倖せにしてくれるのなら喜んで」



つま先に力を入れてみる。
彼の胸に手を付いて、踵を浮かせて背伸びした。
どちらからともなく瞳を閉じて、
どちらからともなく唇を寄せた。
名を呼ぶ代わりに、啄むような淡いキス。
上手なキスの仕方なんて、知らない。
ただ、嬉しくて。
ただ、愛おしくて。

ただ
―――…君に、触れたかった。


風が通り過ぎ、足元の草がしゃらりと鳴いた。
落ちた、ふたつの影。
デンが待ちきれないと言うように吼えて、エドワードとウィンリィの元へと駆けて行く。
「2人とも、もう良いかな?」
「やれやれ。薪が山積みになる所だったよ」
「アルッ!ばっちゃん!!」
「ばっちゃん、私でも嫁の貰い手あるみたいよ?」
「そりゃ良かったね。エド、くれてやるから持って行きな」
「俺達の家無いんだから住まわせろよ」
「兄さん、お願いしますだろ」
呆れたアルフォンスの声に、皆で笑い出す。
流れた歳月すら忘れてしまったかの如く、当然のようにしてここにあるもの。
その風景に、ただただ感謝して。



蒼い空に広がったのは、真白で新しいページに綴られる、彼らの紡ぐ新しいプロローグ。












END




あとがき。
エドウィン企画サイト様に投稿していたシロモノその5。
トップにリンク張っている↑のサイト様のシャンバラ的増殖お題から。
エドがプロポーズしてくれちゃったー!!
ここまで言わせる気は無かったのですが、話の流れが…。
『言ってとは言ったけど、まさかプロポーズしてくれるとは思わなかったわー』(ウィンリィ後日談)
へたれていてこそのエドです。
これくらい大きくなってくれてないと、甘い恋愛モノなんぞ書けませんよ(笑)。
いつものは甘酸っぱい恋みたいな!
あと、補足。
待つのは、いつ帰ってくるか分からないから。
待たないのは、帰ってくると分かっているから。
だから、ウィンリィは待っていなかったと言ってます。
上手く文章で表現出来たらいいのになぁ。



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