きっと貴女は最後まで、約束を護ってくれるわね? きっと、私の最期まで。 |
■□Surely□■ |
まだ肌寒さの残る午後の日差しの中、 2人の姉妹は庭で小さなお茶会を開いていた。 うんと熱くしたティーポットに、 ほんのり甘いジンジャークッキー。 「こんなお茶会、初めてだわ」 呆れるともつかないため息交じりの台詞に、 姉は清清しいほどに破顔する。 吐き出す息は微かに白い。 「懐かしいわね、その厭味」 「事実よ」 冷え切ってしまいそうな体をさすりながら、 少しでも暖を取ろうと、温かい紅茶を口に運ぶ。 しばらくの沈黙。 時折、丁度反対側にある家の正面を車が通り過ぎる。 庭は不思議と煙たさも誇りっぽさも感じない。 もしかしたら、姉が『何か』しているのかもしれないが、 それを理解することを、頑なに拒んでいた。 ―――それは、あってはならないこと 妹は、声に出さずとも心の中で1人ごちた。 「…やっと」 ぽつりと呟く。 え?と姉は尋ね返した。 「戻ってくる気になった?」 その台詞に、感情は篭っていなかったけれど。 彼女は、困ったように笑った。 織っている。 彼女が普通の生活に戻ることなどない、と。 そもそも、何が普通で、何が普通でないのか。 感じている世界が違うのだから、これが正しいとは言い切れない。 だからこそ、妹は自分がある世界こそが普通なのだと信じたかった。 子どもの頃、夢見た世界を信じようとはしなかった。 「結婚するの」 ジンジャークッキーをひとかけら口に放り込む。 何となく織っていた事実に、そう、とだけ答えた。 けれど、妹のそっけない態度も気にしない。 「リリー姉さんは、もう私の織らないヒトになるのね」 何度か見たことのある、くせのある黒髪をした青年。 のらりくらりしている風体に見えて、何よりもリリーを大切にしていることは分かった。 口を利いたことは無かったけれど。 あんな男の所に行くのか。 両親はそれを許したのか。 「そんなこと言わないで、ペチュニア」 こちらを見ようとしないペチュニアの肩を抱いて、寄り添った。 昨晩、帰ってきた時に、両親にその話をしていた。 彼女が部屋を出た後だった。 朝起きてくると、食卓のテーブルに置かれた両親宛ての招待状が目に入った。 ペチュニアの名前は無かった。 「嫌いよ、姉さんなんて」 悔しかった。 自分だけがのけ者にされたことではない。 そんなことはどうでも良い。 魔法学校からの入学許可が舞い込んだその日から、憎まない日など無かった。 本当に憎んでいたのは。 ―――魔法なんて、大嫌い 家族だった、自分だけの姉を奪い去った魔法の世界。 ヒトである自分には見る事の叶わぬ、夢の国。 もしかしたら、ウェンディを連れて行ったピーターパンを、 両親は憎んだかもしれない。 姉の心を捉えて離さなかったのは、ここではないどこか。 自分ではない、誰か。 両親ではない、誰か。 だから嫌い。 だから憎んだ。 何でも出来る姉を羨み、慕った。 尊敬もしたし、嫉妬もした。 事ある毎に比べられて、歯痒い思いもした。 それでも好きだった。 好きだったからこそ、憎かった。 裏切られたとすら、思った。 本当は違うと織っているのに。 帰って来る度に、たくさんの楽しい話を聞かせようとしてくれた姉を、 異質なものでも見るようにして避けていたのは自分。 聞いてもいないのに、何度も愛しているわ、と笑いかけてくれた姉を。 遠く離れたと思ったのは、そう思わなければ寂しさに潰されてしまいそうだったから。 「ねぇ、ペチュニア」 呼ばれて、顔を上げる。 好きだと言っていた彼女の金髪を撫でながら、 リリーはほんの少し声のトーンを落とした。 「お願いがあるの」 無言で、見つめる。 沈黙を肯定と受け取り、彼女は続けた。 「私達、今、とても厄介なものに狙われているの」 腕を離し、俯く。 倖せに満ちているとは、到底思えない表情。 マリッジブルーではない。 それだけは分かった。 「本当にとても厄介なものよ」 忌々しげに吐き出される台詞は、彼女を遠い存在に思わせた。 自分の織らない所で、織らない何かに身を置いている。 両親の話で、彼女が素晴らしい力を持った魔女だと聞いたことがある。 興味の無いフリをして、ちゃんと聞いたことは無かったが。 「私達だけじゃない、他の皆も。いえ、全ての者達があいつの標的だと言ってもいい」 両手を組んで、強く握り締める。 指先が白くなっていく。 彼女が話す内容が、あまりに突拍子も無くて、 ペチュニアは眉を顰めた。 「何の話なの?」 映画だとか、ドラマの話でもしているのだろうか。 そう思えるほどの、現実味のない話。 ふ、と真剣に見つめる姉の瞳。 彼女は口を噤んだ。 「近いうちに、もしかしたら私達は命を堕とすかもしれないわ」 はっきりと告げられた言葉。 危惧していることがそれならば、彼女の言うことは事実なのだろう。 「勿論、死ぬつもりなんてないけれど」 苦笑して、付け足しても変わりない。 どういう状況なのか、想像して余りあるが、 とりあえず彼女が危険に晒されていることは理解できた。 服従か、死。 理不尽な選択を迫られるほどの、危険に。 「もし、私達に何かあって、その時私達に子どもが授かっていたのなら」 真っ直ぐに見つめ、リリーは笑う。 何故、笑うのか。 何故、微笑む事が出来るのか。 ますます、ペチュニアには分からない。 分からないからこそ、戸惑った。 「貴女に、預かって欲しいの」 厭な鼓動が、脈打つ。 もやもやとした不安が、とぐろを巻いて心を覆う。 「私達はきっと、必ずその子を護るから」 彼女は何を言っているのだろう。 彼女が話しているそれらは全て。 「何故」 全て、彼女が死んだ後の話だと言うのに。 無関心を装い、抑揚の無い声で言葉を紡ぐ。 そうでなければ、きっと大声を出して叫んでいた。 「姉さん達が無事では済まないような相手から、私が姉さん達の子どもを護るとでも思うの?」 言っても、リリーはただ微笑むだけ。 苛立ち、彼女の不安を仰ぎたてる台詞を選ぶ。 「助かるのなら、喜んでその子どもを差し出すかもしれないのに?」 「えぇ、そうね。けれど、そうあることを私は望んでいるわ」 ペチュニアの台詞に身じろぎもせずに、彼女は頷いた。 ただ、と呟く。 「貴女の所に在るのなら、あいつは絶対に手出しが出来ない」 思案顔に、何を言えばいいのか。 適当な台詞が思いつかない。 彼女をここに繋ぎとめるだけの台詞が、どこにも無い。 「時が来る、その日まで絶対に」 ペチュニアは繰り返し、問う。 何度、問うたとしても、全てが分かるはずはない。 一向に、向こう側が見えてこない。 「何故?」 「貴女の所に在ることこそに意味がある。そういう風になっているの」 小さく肩を竦めて、リリーは首を傾げた。 紅い髪がさらりと揺れる。 いつだったか、ペチュニアのように金髪が良かったと駄々を捏ねた事があった。 『いいじゃないの、綺麗よ』 『良くないわ。赤って何の色だと思う?ケチャップとか、唐辛子とか。あぁ、厭だわ』 『苺の色じゃない』 『苺?そう、ね。苺の色でもあるのだわ』 『私、苺好きよ?』 『そうね。私も好き。ペチュニアが好きだと言ってくれるのなら、私、このままでも良いわ』 あの頃と変わらぬ笑顔で、リリーは笑う。 子どもの様にあどけなく、けれど大人びた優しい笑顔で。 「何故と聞かれても、私も困るわ。どう説明すればいいのか分からないのよ」 嫌いだと言い張って、突っ撥ねてきた。 どんな虚勢も、姉には見抜かれていたに違いない。 それでもどこかで、やっぱり嫌われているのかも、と心痛めたこともあっただろう。 時折見せた、寂しげな笑顔は忘れ難かった。 「厭な未来を予言するのね」 視線を逸らし、カップをプレートに戻した。 「目を逸らしても、仕方の無いことだもの」 つきり、と痛む。 今まで、死と向かい合ったことなどない。 狙われるとか、殺されるとか。 自分の周りではなく、何処か違う世界の話だと漠然と思っていた。 身内が巻き込まれるなどとは、微塵も思っていなかった。 無性に怖かった。 畏れた。 「私も彼も狙われている。それは逃れようの無い事実。今の所は平気だけれど」 魔法族ではないヒトの世界であるここも、 リリー達がいれば危険に巻き込むだろう。 彼女達は、ずっと遠くの未来まで予見する必要があった。 「もう少ししたら、誰にも分からない場所へ行くわ」 愛しているから、離れなければ。 大切だから、もう会えない。 「もう、ここには帰らない」 それでも、危険なことには変わりないけれど。 「だから、ペチュニア」 リリーが手を差し出すと、ふわりと一通の手紙が現れた。 魔法学校を卒業した彼女が、魔法を使うことを咎める法律など無い。 「これを、受け取って頂戴?」 真白な面に、『ペチュニアへ』と書かれた招待状。 同じモノを、今朝見たばかりだ。 「…ズルイ、わ」 微かに目を見開き、すぐに俯く。 ペチュニアは小さく呟いた。 リリーがどんな決意をもって、 今ここにいるかを織らしめておきながら。 ペチュニアがどうするべきかを、 悟らせておきながら。 「誰が行くものですか、こんな結婚式」 受け取り、立ち上がった。 彼女の目の前で、2つに破いて見せる。 手を離せば、それははらはらと無数の羽根になった。 くるりと背を向け、口を開く。 「姉さんなんて、大嫌いよ」 震える声で、紡がれた言葉は真っ直ぐに届く。 リリーは微笑んだ。 「ありがとう」 ―――貴女は聡い子だから、きっと私の意図を読んでくれる 「愛しているわ、ペチュニア」 ぱちん、とシャボン玉が割れるような音がして、 振り返るとそこには誰もいなかった。 それは、ペチュニアがリリーと逢った最期の、日。 早朝。 新聞を取ってくると言って、男が玄関の扉を開けた。 何かにぶつかり、視線を落とす。 「何だ、これは!」 玄関先で大声をあげている夫へと、エプロンで手を拭きながら駆けていく。 「どうしたの、バーノン」 「どうしたもこうしたもない!」 見てみろ、と一通の手紙を差し出す。 端々はバーノンが強く握っていた所為で、くしゃくしゃになっていた。 見覚えのある文字に、見覚えのある名前。 『アルバス・ダンブルドア』 そう、差出人が綴ってあった。 姉を、魔術界へと導いた男。 足元を見やると、1歳になろうかという赤子がバスケットの中で眠っていた。 ―――あぁ、この日が来てしまった 熱くなる目頭を堪え、口元を強く縛る。 「朝一番に孤児院にでもぶち込んでやろう」 お荷物とも思える赤子を睨みつけ、彼は顔を真っ赤にして意気込んだ。 ―――愛しているわ、ペチュニア 細い腕を伸ばし、夫の腕を掴む。 「待って、バーノン」 太い腕まで真っ赤にして、彼は妻を睨みつけた。 一度怒ると手がつけられない。 気付かれないようにして、溜息を吐く。 「何だ、ペチュニア」 「この子がもし大きくなって、私達を織って、訪ねて来たら?もし、その時、この子が普通では無かったら?」 その台詞に、顔を顰める。 髭の下で、口をへの字に曲げているに違いない。 「こいつの両親のようにイカれた奴になっていたら、と?」 ペチュニアは頷いた。 「私達まで異常者だと思われてしまう」 周りを気にしながら、耳元で囁く。 誰かに聞かれてはまずいと、わざと示唆しているようにも見えた。 「だったら、最初からここで育てて、普通でない世界から切り離してしまいましょう」 むむ、とバーノンは唸る。 ペチュニアは人差し指を立てて、口元に当てた。 「何も織らせずに、普通の子どもとして育てるの」 ずっと唸っていたバーノンが、ようやく渋々と頷いた。 「小間使いにでもしてやればいいか」 彼は乱暴にバスケットを掴み、居間へと持って行く。 その後姿を見やりながら、ペチュニアはゆっくりと目を閉じた。 涙は流さない。 絶対に、姉を想って泣いたりしない。 彼女はそれを望んでいない。 「…姉さんなんて、大嫌い」 呟くようにして、ぽつりと吐き出す。 彼女が笑ったような気がして、振り向いた。 開けっ放しのドアを閉め、玄関先に座り込む。 涙など、流さない。 魔法なんて大嫌い。 そんなものに関わったからこそ、貴女は危険に巻き込まれた。 貴女が愛した子どもを、 どうしてみすみす危険へと放り込まなければならない? この子が望もうとも、望まなくとも。 誰が教えるものか。 魔法など最初から無い。 魔法の世界など、最初から無かったのだ。 無いものに触れることは許さない。 それが、どんなに愚かしい行為でも。 愛しているから、愛さない。 END |
あとがき |
決して百合の話じゃありません(笑)。 何となく、こんな話を書いてみたくなりまして。 長くなったなー。 |
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