谷底の太陽と届かない空 |
騒々しいバイク音すら気にならないくらいに賑やかなこの街は、 しばしばにわか景気の谷と呼ばれる。 ざらりとした岩場ばかりで気温の高いラッシュバレーは、 ごつごつしい機械鎧の技術が最も発展している街だ。 ヒトの出入りも激しい。 見知らぬ者などそこら中に居る。 「よ、ドミニク!」 「…出たな、リゼンブールの女豹め」 びくりと一瞬怯えた素振りを見せた男は、げんなりとしてバイクに跨る女を一蹴した。 作業着のまま、オイルに汚れた腕や顔を気にもせず、 彼女は大きく口を開けて豪快に笑った。 「そんな怯えなさんな。もう、間違えて轢いたりしないからさ」 ひらひらと手を振り、エンジンを切る。 身軽に飛び降りたかと思うと、 木箱の上に腰掛けて煙草を噴かしていたドミニクの隣に腰を降ろし、脚を組んだ。 自分も愛用の煙管を取り出し、火種を灯す。 「ったりめーだ!そうそう何度も轢かれてたまるか!!」 紫煙を燻らせ、ピナコは可笑しそうに笑った。 「悪かったって言ってんじゃないか。あ、そこの兄さん、1本恵んでおくれよ」 通りかかったのは見知りの者だったのだろう、 彼女は買出しの帰りと思われる男に声を掛け、 缶入りのジュースを1本頂戴した。 放り投げられた缶を片手で受け取り、愛嬌良く笑って手を振る。 「男がいつまでも細かいこと言ってんじゃないよ」 「言い出したのはお前だろうが」 「あれ、そうだっけかね?」 ぷし、とタブを立てる。 煙管を脇に置くと、口を付けた。 よく冷えたサイダーが口の中で弾け、喉を潤す。 「おい、ピナコ。お前、店はどうした」 空を見上げたが、まだ陽は高い。 まだ店終いには早い時間だ。 「今日は早めに切り上げさせてもらったんだ」 一気にサイダーを飲み干し、肩から掛けていたタオルで額の汗を拭う。 ちょっと用事があってね、と言う彼女をドミニクは珍しそうに眺めた。 何よりも仕事を一番にするピナコだったからこそ、不審に思った。 「っかー!これがビールだったら尚良いのにねぇ」 空になった缶を上手くダストボックスに放りいれ、ガッツポーズを見せる。 その勇ましい姿に、彼は深々と嘆息した。 ピナコは黙ってにこりと笑ってさえいれば、それなりに美人だ。 にも関わらず、男ですら音を上げたくなる仕事量をこなすわ、 立ち居振る舞いは豪快だわ、 兎にも角にも男勝りな女である。 料理上手だと言う、似合わない一面も持ち合わせてはいたのだが、 それを上回るイメージが何とも強すぎた。 「嫁の貰い手がなくなるぞ」 ぼそりと呟けば、ピナコは鼻を鳴らしてにやりと唇を歪めた。 おもむろに左手の軍手を外し、彼の前に高々と掲げた。 「居たんだな、これが」 彼女の左手の薬指には、石のはめ込まれたシルバーリング。 豆やひび割れだらけの荒れた手には似つかわしくない装飾具。 ドミニクは目を丸くしたまま、咥えていた煙草をぽろりと落とした。 地面でじゅ、と火種が潰れる音がする。 「故郷の奴でさ。ずっと、あたしのこと待っててくれたんだ」 微かに頬を染めるピナコは、思っていたよりもずっと女だった。 亜麻色の髪も恐らく手入れなどされていなくて、 柔らかいだろうに熱帯地域の気候の所為でばさばさだった。 「あたしと肩並べられたら考えてやるって、冗談言って昔、1度は振った。そしたらさ、この前帰ったら、そいつ医者になってた」 織らない顔ではにかむ彼女に、苛立ちを覚える。 (…何で) ドミニクは苦虫を噛み潰したような、ぶすりとした顔で何気ない素振りを見せた。 「不覚にも、格好良かったんだなコレが」 彼の様子に気付くことなく、ピナコは続けた。 「肩並べるどころか、追い越された感じ。んで、気付いたらあたしの方が口説いてた」 ほら、と言いながら、煙管に溜まった灰を落とす。 新しい火種を灯して、肺腑の置くまで煙を吸い込んだ。 「あたしが機械鎧一番って知ってたんだよね、あいつ。他に目を向けられるようになるまで、待っててくれた。辛抱強いっつーか、莫迦っつーか」 照れ臭そうに笑うピナコは、あたしもだけどねと漏らす。 組んだ脚の上に頬杖を付いて、行き交う人々を眺めた。 機械鎧を装備した者も珍しくなく、 彼らの自由に少しでも手を貸すことが出来る技師の仕事を誇らしく思う。 痛みに耐え、リハビリに耐え、立ち上がったヒトたちの笑顔を織っているからこそ。 「これから帰って、色々打ち合わせ。仕事も今月いっぱいで辞めて、リゼンブールで自分の店やっていこうと思ってる」 煙管の火種を潰すと、腰を上げた。 ぼんやりとしているドミニクの前に指を付きつけ、ピナコは顔を顰めた。 「ちょっと、あんた聞いてんの?」 「…あ?ん、あぁ」 「何なに?もしかして寂しいとか?」 「んなワケあるか!清々するぜ!!」 「そうかい?私は寂しいけどね」 きしし、と笑って、ピナコは肩越しにドミニクを見やる。 背伸びをすると、くるりと踵を返した。 「まだ、店主以外には言ってないんだ。皆にも挨拶していかないと」 ひとつ息を吐いて、がりがりと頭を掻く。 言の葉に成り切れない声を発し、ピナコは唸る。 ともかく、とぶっきらぼうに言い放ち、地団太を踏んだ。 「そーいうワケで色々世話になったね。ありがと、ドミニク」 笑うピナコは、ドミニクも知っている顔で、先程まで見せていたしおらしさはどこにも無かった。 心の奥で、何かがつきん、と鳴った。 何が鳴ったのかは分からなかった。 「お前らしくねぇな、気持ち悪ぃ」 ふん、と鼻を鳴らして、 ドミニクはあっちへ行けと言わんばかりに手のひらを上下させた。 「放っといておくれ」 べ、と舌を出し、ピナコも憎まれ口を叩く。 簡単に別れの挨拶を済ませると、再びバイクに跨り、走り出していった。 その背を見送りながら、ふと思う。 誰が何と言おうとも、本当にほんの少しだけ。 小指の爪先の、更に僅か。 だがそれでも、否定したくなる。 寂しいだなんて、気のせいに違いないのだから。 賑々しいはずのにわか景気の谷が、 ほんの少しだけ静かになった気がした。 end |
あとがき。 |
何処まで遡れば気が済む自分! 唐突に書きたくなって書き殴ったシロモノです。 |
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