しろ   たそがれ 
純き黄昏





歳月が流れた。
一室に赤児の産声が響き渡る。
冬。
襖を開けば、庭は銀世界だろう。
火鉢に炭をくべて、部屋を温かくしている。
取上げた子どもを見て、櫻雪は歓喜の声を上げた。
「まあ、まあ。黄昏様に似て、美しい赤児ですわ」
湯で子どもの身体を清め、白い布を巻き、彼女に手渡す。
身体を起こし、着物を羽織る。
生まれたばかりの赤児を彼女はいとおしそうに抱いた。
「女、か」
まだ泣き止まぬ幼子の額に、口付けを落とす。
顔を上げ、櫻雪に覇我を呼ぶように頼んだ。

しばらくして、いつもとは違い、静かに襖を開ける音がした。
「黄昏」
聞きなれた、彼の声。
手招きして、彼に子どもを渡す。
「時間のようだ」
危なっかしそうに幼子を抱き、彼女を見やる。
その言葉が何を指すのか、痛いほど分かった。
彼の腕の中に収まる我が子を、優しく撫でる。
「名は?」
「そうだな」
考えあぐねるように、彼女は手を顎へともっていく。
クスリと微笑み、顔を上げた。



「『晴葉(あかは)』はどうだろう」



晴れた日に輝く緑のように、強く育って欲しいと祈りをこめて。

「『晴』を『あかるい』と読んで」
「陰陽博士の『晴』か」
「あぁ」
だが、ふと疑問を覚える。
「『葉』は?お前の名前は使わねぇのか?」
すぅすぅと安らかな寝息が聞こえ始める。
彼女は幼子を見て、微笑んだ。
「私の本当の名は」


忘れようとしまいこんだ、昔の名前。


「『葛葉』」


晴葉の『葉』は私の名だ。
そう言って、彼女は覇我に寄りかかる。



「くず、は?」

どこかで聞き覚えがある。

絶対に、知られたくなかった名前。

あの頃の自分を知る者には。

絶対に。

「思い出したようだな」
ふ、と黄昏は苦笑した。

「お前、あの時の…?」



『何をしている?』
さらりと伸びた髪が、風になびく。
ぎくりとして、少年は後ろを振り返った。
『何だ、餓鬼かよ。驚かせんな』
安堵のため息と同時に、ゴン、と鈍い音が響く。
『誰が餓鬼だ、誰が』
いつの間に拾ったのか、女童の手には棒切れが握られていた。
しかも、かなりの太さがあるものが。
『って〜…』
涙目になりながら、彼は蹲る。
『何しやがる!』
『それはこちらの台詞だ』
声を荒げもせず、女童は嘆息した。
『我が名は葛葉。餓鬼ではない』
気付かなかったが、その女童は愛らしいと言うよりも、
美しいという表現がしっくりきた。
目の前の大きな屋敷は、特に警護の者もいない。
盗みをするには丁度良い場所であった。
だが、その直前に葛葉に見つかったのだ。
『やめておけ』
その言葉に、身体が硬直する。
心を読まれたかと思った。
子どものそれとは全く違う笑み。
『この屋敷には結界が張ってある』
どこか冷たく、それでいて温かな。
『入ったが最後、呪い殺されるのがオチだ』
警護の者がいないのはそのためだ。
警護する必要がないと言うほうが正しいのかもしれない。
この時代、鬼や妖物が徘徊し、闇が蔓延っていた。
『呪い』も現実のモノとして存在した。
それゆえに、その言葉がどれほどの効力を持たせるか明らかだった。
『借りは、返す』
生命を助けられた。
女童にそう告げると、彼はその場から立ち去る。
『返すと言うのなら』
響いた、高い声。
彼は振り向く。
『お前を貰うさ』
『ケッ。言ってろ』
小馬鹿にしたような口調で、彼女は微笑んだ。
『その時は、迎えにいってやるよ』
『いい性格してるな、お前』
『お前じゃない』
『あぁ、悪かったよ。葛葉』



腕の中の幼子と黄昏を見て、彼は言葉を失う。
「どうせ、お前のことだ」
ゆっくりと瞳を閉じる。
「忘れているだろうと思っていたよ」
コロコロと笑う黄昏。
少女らしい笑い。
歳相応な表情をしているのだろうと、ふと思う。
「お前…だったのか」
「私以外の誰がいる」
相変わらず、高慢な態度で彼女は言い捨てた。
「これで、貸し借りは無しだ」
静かに、穏やかに彼女は笑う。
「俺は…っ」
覇我は言い詰まる。

貸し借りが無し?

違う。
自分は数え切れないほどの借りを作った。
数え切れないほどのモノを貰った。



『黄昏』から。



一番、大切なことを教えられた。




「覇我、最期の頼みだ」




もう、目を開く力もない。
力なく、その腕は畳に落ちる。
コト、と壊れた人形のようにその腕は白く、細かった。

「『恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森の裏見葛の葉』」

「詩か?」
短歌の意図が分からず、彼は聞き返した。
「これを、ハルアキに伝えてくれ」
長い髪が、彼女の肩から流れ落ちる。
ぱさり、と羽織っていた着物が衾を覆った。
「月並みな台詞かもしれない」
「黄昏?」








「お前達と出会えて倖せだった…心から、そう思ってる」







微笑んだまま、黄昏はその口を閉じた。
漠然と襲ってきた『死』を、震える手で支える。
「黄昏」
瞬間、火がついたように晴葉が泣き出す。

どんなに想っても届かぬ願い。
分かっていた。
分かっていたはずなのに。

「どうして、こんなに苦しいんだよ……っ!」

歯を食いしばり、声を押し殺した。
頬を涙が伝う。
もう動かぬその抜け殻を、覇我はきつく抱きしめた。




赤児の泣き声が響くその屋敷は、どんな場所よりも静かだった。




大きな門をくぐる。
黄昏の屋敷も結構な大きさだが、この屋敷も大きかった。
すぐそこに、人の気配を感じ、覇我は顔を上げる。
「待っていたよ、覇我」
男は穏やかにそう言うと、彼を屋敷に招き入れた。
黄昏の屋敷と同じ感じ。
多くの者がいるのに、誰もいない。
「父とは別々に住んでいるのだ」
聞かれもしないのに、彼は答えた。
しばらくして、お茶が運ばれる。
一礼して、女房は何も言わずに部屋を出て行った。
「毒は入っていない」
「毒なんざ効かねぇって知っているだろ」
「あぁ、そうだったな」
今思い出したと言わんばかりに、彼はぽんと手を打った。
どうも、つかめない。
式には、人としての生命を脅かすものは殆ど効かない。
毒も、傷も。
力の元となる使役者を傷つけない限り。
使役魔を個体として扱う双闘珠としては関係ないのだが。


「『恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森の裏見葛の葉』」


何の前置きも無く、覇我は口を開いた。
別段、目前の人物も驚かない。
「主からの言伝だ」
足を崩し、一気に茶を飲み干す。
「『ハルアキ』へ」
射抜かれるかと思うほどの鋭い眼光。
「信太の森…」
彼は怯えることなく、見据えた。
どこか、黄昏を思い出す仕草で。
「そう、か」
詩の意味を感じ、彼は微笑んだ。





「ありがとう」






何に対しての礼だったのか。
何か、に対してではなく、全てに対してだったのかも知れない。
風が吹き抜け、一室は静かになる。
覇我は立ち上がると、部屋を出て行こうとした。
「覇我」
呼ばれ、意識だけを背後へ向ける。
「いつも、言っていたよ」
「…?」
「面白いヤツがいると」
笑っているのが分かり、彼は眉をひそめた。



「まるで、手負いの獣のような荒々しさと」



『野生の狼だ、あいつは』



「森を護る強さを持つ」



『本当の強さの意味を知っている』



「見ていて飽きない、『狼』がいるとね」



『大切な奴だ』



目を見開き、押し黙る。
「あれには、少々妬かされたものだが」
くくっと喉を鳴らし、苦笑した。
「君に会って、葛葉の言っている意味が分かったよ」

『葛葉』

彼女を、昔の名で呼ぶ晴明をどこか羨ましく思う。




「彼女の傍にいてくれて、ありがとう」




風が落ち葉を運ぶ音にかき消されそうな声。

一瞬、泣いているのかと思った。
知っているのではないか。
この男は、全てを。
全てを知っているうえで、何も知らない振りをしているのではないだろうか。
覇我の想いも。
彼女の死も。

彼女の為に。

ふと、そんなことを思った。
「信太の森は、彼女との思い出がある場所だよ」
幼い頃、共に遊んだ。
笑いあった時間。
大切な思い出。
いつでも、そこで彼女が笑っているようで。

ずっと、傍にいる。

そんな想いを宿して、あの詩を詠んだのだろう。
だが、知る術など残っていない。

「尋ねていないって顔してる」
クスクスと笑いながら、晴明は覇我を見た。
晴明からは彼の表情など見えないというのに。
「ちょっと、妬いてみただけだよ」
彼の知らないことを知っているという、優越の感情が。
それは、お互いに言えることだと気付いていたとしても。
「…じゃあな」
別れの言葉を告げると、覇我は縁側から庭へと飛び降り、
すぐに姿が消えてしまった。


「あれが、君の初恋の人だろう」


誰にともなく、小さく呟くと彼はクスリと笑う。
「葛葉」
そう、誰に聞こえるはずもない、その言葉を。







想いを残して。

想いを宿して。

深く、深く、その影を残したまま。


『お前達と出会えて良かった』


鬱蒼とした森の中で、淡い光が浮かび、消える。

想いを描くように。



『恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森の裏見葛の葉』








あとがき

すっごく書きたかったお話です。
が、タイムパラドックスが起こっております。
何と、最悪なことに、本編主人公に関する過去話よりも、
サブキャラが軸になった話が先になっちゃいました☆(オイ)
その上、そのサブキャラ、本編にまだ出ていません(死)。
メインキャラになる予定です。その子。
この主人公とは、似ているような、全く似ていないような。
それはまた書きますが。

えっと、解説です。
覇我は、黄昏の初恋の相手。
名前も知らない、憧れだけの存在ですね。
反対に晴明は一番近くにいる、大切な人。
一緒にいるのが自然で、知らず知らずのうちに恋心を抱いていたのです。
でも、伝えられないまま事件が起こって、双闘珠を継いで。
再会したときに、その恋心がまた復活して、ってところでしょうか(笑)。
こう書くとえらく軽いですが。

絶対に知られてはならない想い。
こんな恋もあるということで!
言えば、また何か変わっていたかもしれませんね。
ただ、『式』という立場が、覇我にとって先立っていたんです。
『式』としての役割が。
だから、『護る』っていうのは当然の役割で。

主人公の黄昏は、私の好きな性格そのままですv
強い女性。
でも、自分では強いなんて思ってなくて。
実際、強くないんですけど、その脆さを表に出さない。
強がってるって言うのかもしれませんね。
悪い意味でではなく。

さて、『葛葉』の名前。
これは実際ある物語の中の、安倍晴明の母君です(爆)。
でもでも、父君はこっちでは『保名』じゃなくて、
本当の名前の『益材』を使ったし!!
その辺りは、笑って済ませてください。
ちなみに、あの詩も母君の『葛葉』が姿を消す前に歌った詩です。

このお話でも分かるように、私、日本史ダメダメです。
かなり、適当な日本史です。
安倍晴明についての解説も、詳しいものじゃないです。
だから、日本史ファンとか、陰陽師ファンの方には謝っておきます。
すみません。
『双闘珠』は想像語です。
実際にはいません。
が、その力の強大さゆえに闇に葬られた存在だと思ってください。
決して表には出せない、一つの日本史に存在する設定です。

あ、ハルさんに対する感想ないや(爆)。