Thank You For Love





「姉様、紂王が死んだ様よ」
一室のテーブルに浮かんだバーチャル画面を見ながら、
貴人が妲己に伝える。
「そう」
「紂王のパパ、死んじゃった☆」
黄媚は持っていた四不象のぬいぐるみの首を、ぎゅうっと締める。
しかし、すぐに手を放して抱きしめた。
画面に背を向け、妲己は入り口の扉に向かう。
「妲己姉様?」
貴人は不思議そうに妲己に声をかけた。
それに倣うように、黄媚も妲己を見やる。
「これからの計画を、もう一度見直してくるわん」
「え?でも」
「この計画に、穴があったら駄目だからねんvというわけで、妾の部屋にしばらく近付いちゃ駄目よん♪」
クスリと笑うと、妲己は肩越しに向けていた顔を元に戻して、
部屋から出ていった。
「さすがは、妲己姉様ね。どんなに有利であっても、慢心はなさらないなんて」
尊敬するように、ほうっとため息をつく貴人。
その手を頬に当て、しばらく妲己が出ていった方向を眺めている。
しかし、黄媚だけは心配そうな面持ちだ。
「変な妲己姉様」
誰にともなく呟くと、ぬいぐるみを抱きしめていた腕の力を強めた。





ギィ…バタン。
妲己の部屋の扉が開閉される。
俯いて、後ろ手で扉の取っ手を握る。
彼女の顔は、髪が邪魔で良く見えない。
表情を読み取る事が出来ないが、口元には笑みが浮かんでいた。
彼女は顔を上げ、目を閉じる。
部屋の周りに結界を張った。
誰も近付けない様に。
そして、女禍が彼女に気付かぬ様に。
女禍の力は、妲己の力では到底及ばぬほどに強い。
しかし、気配を感じ取られないような結界を張る事は出来る。
突然そんな空間が出来たら怪しまれる事もある為、
限りなく自然に力を行使しなければならない。
カツン…と、靴の音を立てながら、部屋の中央に歩いて行く。
彼女の目の前に一つの映像が現れる。
長方形に区切られており、先ほどのバーチャル画面と同じ原理の様だ。
その中の映像は、周の始まり。
そして、殷の終わり。
武王の持っていた剣が真横に薙ぎ払われた。
紂王の首が飛び、民衆から歓声が沸きあがる。
妲己はその映像を無言で眺めていた。
何度も、何度も、繰り返し。
その瞳には、映像が映し出されている。



―――分かっていたはずでしょう?



足元に、一滴の水が落ちる。
水は、床に円を形作った。
彼女の頬から、一筋の涙が流れていた。
そして、もう一度呟く。



「分かっていたはず、でしょう?」



こうなることは。
女禍の命令通り、殷を終わらせた。
それは、紂王の死を意味するも同じ事。
王の死で、新しい時代は開かれる。
今まで、ずっと王宮で暮らしていたが、
それが崩れようと妲己には哀しみの情などなかった。
ただ、楽が出来ていた場所がなくなった。
それだけだ。
何の未練もない。
殷という時代にも、国にも。
「ないはず、なのに…っ」
押さえ切れなくなり、口を両手で覆う。
彼女の瞳からは涙が止めど無く溢れてくる。
その場にうずくまり、泣き出した。
まだ、紂王にであったばかりの頃を思い出す。
その時の感情が、脳裏に浮かんでくる。
今度はこの人ね。
でも、どの人でも同じ。
どうせ、死んでしまうのだから。
女渦様の作った標通り。
今、生きている事も女渦様の定めたものに過ぎないのに。



―――なのに



どうしてこの人は、こんなにも私を愛してくれるのだろう。



『妲己、良い絹が手に入ったのだ。これでお前の着物を作らせよう』



テンプテーションの所為?



『妲己、美しい花が咲いた。一緒に見に行かぬか?』



いいえ、違う。



『妲己、そちらは危ない。こちらを歩け』



自惚れなんかじゃなくて、分かるの。



『…嬉しゅうございますわ、紂王様』



心から愛してくださっているのだって。
私がやってきた残酷な事、時々悲しそうな瞳で御覧になっていたでしょう?
気付いていたわ。
テンプテーションの効力が、まだ完全ではない時、
時折、正気に戻っていらしたこと。
でもね、気付いていらっしゃらなかったでしょう?
私はその度、胸が締め付けられて、壊れてしまいそうだった事を。
女渦様の命で、紂王様に近付いた。
近付きすぎた。
私は。



「貴方を愛してしまった」



それでも、女渦様にとって、紂王様はただのコマ。
歴史を動かすのに必要な、コマだったの。
分かっていたのに。
十分すぎるほど分かっていたのに。
「それなのに…どうして…ッ?」



―――どうしてこんなに苦しいの…?



愛してしまった、愛してはならない人。
誰も愛せないと思っていた。
ましてや、人間なんて弱い生き物を。



「…紂王様、紂王様、紂王様ぁッッッ!!」



もう返事のない、その名を呼ぶ。
感情が溢れ出すように、その叫びは泣き声へと変わる。
わあぁと妲己は泣き崩れた。
背中を丸め、前のめりにうずくまる妲己からは、
いつもの大胆不敵な雰囲気を感じ取る事は出来ない。
無力な、一人の少女のようだった。





どんな時も伝えられなかった。
伝える事が出来なかった。
伝えてしまえば、自分が壊れてしまう気がした。
だから、今ここで。
もう、貴方には聞こえはしないけれど。





「ありがとうございます、紂王様」





私を愛してくださって。
私を想ってくださって。






END


あとがき
またもや今更な話です。 これは、かなり前に考えていた話で、実際の封神演義を読んで、
同じような展開だったので驚いた覚えがあります。
あ、小説の原作の方ですね。
妲己殿が紂王様を愛してしまったという展開。
紂王様が帰ってきて、妲己殿のそばで亡くなるるのです。
で、演技でも何でもなくて、妲己殿が泣き崩れるというような内容だったような。
(↑うろ覚え)でも、この話は書きたかったのです。こういう展開が好きなだけで
すけど。