何でもないことが、
如何してこんなにも胸を騒がせるのか。
如何しようもないくすぐったい想いが、
心の中を埋め尽くす。
Ticklish
何かが、水辺を跳ねる音がする。
さらさらと、音とも囁きとも言えない川の流れが、
心地よく耳に届く。
川縁に四角いビニールシートを広げ、その上に掛けている影が4つ。
髪の長い娘が二人に、黒衣を纏った法師が一人、その膝元に猫が一匹。
しかし、奇妙なのが彼らの組み合わせである。
娘の内一人はゆったりした小袖を思わせる着物を纏い、
また一人は緑の襟に、紅いスカーフのセーラー服を纏っている。
かと思えば、法師の黒衣の上に重ねられているのは、高位を表す紫の袈裟。
猫がのんびりと揺らしている柔らかそうな尻尾は、二本に分かれて見えた。
周りを見回せば、のどかとも言える風景が広がるだけ。
どんなに控え目に見たとしても、
洋服を纏った少女だけが浮いているのは明らかだった。
それもその筈。
ここは戦国の世。
そして、織田の血を色濃く受け継いだ嫡男が、まだ『うつけ』と呼ばれていた頃。
ヒトもひとでなしも、同じに在った頃のこと。
「珊瑚ちゃん、弥勒様、何か食べる?」
各々が手に持っているのは、
似つかわしいとはお世辞にも言えない、スチール缶の茶。
だが、それを気にして居る者はいなかった。
呼びかけた少女は、ごそごそと黄色のリュックを漁り始める。
「ね、甘いものとか有る?」
座ったまま膝を進め、珊瑚は少女の手元を覗き込んだ。
彼女の荷物からは、真、不思議なものが飛び出してくる。
それを眺めるのは楽しみでも在った。
戦いの中に身を置く彼らは、何度も少女の薬箱に助けられている。
変わった薬草に、見たことも無い程、真白な晒し。
清潔に保たれているのは、一目瞭然だった。
「確か、クッキーが有ったと…あ、ほら」
「かごめちゃんの持って来るお煎餅、美味しいんだよね」
嬉しそうにかごめから、色鮮やかな紙に包まれたものを受け取った。
開くと、甘く、香ばしい薫りが漂ってくる。
「お煎餅とは、ちょっと違うんだけど」
苦笑して、自分の茶の栓を開けた。
ぷし、と乾いた音がする。
弥勒も、珊瑚の手元の菓子を摘み、口に運んだ。
「疲れたときには、甘いものが良いと言うが」
そこまで言って、口の中のものを飲み下す。
「こうしていると、本当かもしれませんなぁ」
「法師様、結構甘いものとか好きだよね」
言いながら、彼女も菓子を口に運ぶ。
噛み砕く前に、口に咥えると、法師の口元に手を伸ばした。
「付いてる」
彼の口の端を指で拭い、自分も菓子を頬張る。
すまない、と法師は苦笑した。
そのような様子すら、かごめには微笑ましく思える。
相変わらず、生傷の絶えない仲ではあるが、
睦まじい彼らを見ていると、嬉しくも在り、また羨ましくも在った。
小さく、気付かれないように溜息を吐くと、
かごめはお茶を口に含んだ。
「かっかごめぇっ!」
「待ちやがれ、七宝!!」
半泣きで飛び込んできた幼子を、茶を零さないように受け止める。
この幼子も大層奇妙な姿で、足は獣のそれであるというのに、
耳が尖っていると言う以外は、まるでヒトの子どもと相違無かった。
丸く、柔らかそうな尻尾がぴくりと振るえ、丸くなる。
「もう、犬夜叉」
呆れた声を出して、上目遣いに追いかけてきた少年を見やった。
深緋の狩衣に、古い刀を帯びた姿は、何とも形容し難い。
男のものらしく節張った指の先は、鋭いつめが伸びている。
髪の合間から覗く耳は、如何見ても犬のそれ。
しかし、何よりも目を引いたのは、
見事なまでの白銀の長い髪。
透き通るような黄金の瞳。
口を開けば、犬歯が覗く。
「テメェ、逃げ足だけは冥加並だな」
「子ども相手に本気になる奴がおるかっ!」
かごめの腕の中に逃げ込んだ所為か、そこから先は手を出して来ない。
涙目で反論する七宝を、恨めしげに見下ろす。
既に小さな頭にはたんこぶがひとつ、ぷくりと出来ていた。
「大人気無いわよ」
「けっ」
聞く耳を持っているのか如何かすら怪しいが、
犬夜叉は顔を逸らし、どかり、と少女の隣に腰を下ろす。
「七宝ちゃんも、何か飲む?」
気を取り直して、かごめは茶を片手に荷物に手を入れた。
仕方が無いとでも言う様に、珊瑚と弥勒は胡乱げに犬夜叉を眺める。
「お前も、少しは落ち着いたら良いのになぁ」
「落ち着いた犬夜叉ってのも、気持ち悪いけどね」
「喧しいっ」
言うと、かごめの持っていた缶を引っ手繰り、中身を一気に飲み干す。
「え?」
空を掴んだ感覚に、少女は振り返った。
確かめるように、何度か手を握っては開いている。
手元を見ていた視線は、徐々に上がって行き、
犬夜叉の視線と交わった。
「…それ、私の」
「あぁ?半分くらいしか入って無かったぜ」
「あんたの、こっちで」
「じゃあ、そっちをお前が飲めば良いだろ」
訳が分からないと言った表情を浮かべて、犬夜叉は首を傾げる。
けれど、かごめの唇は戦慄いていた。
たかが茶を盗み飲んだくらいで、此処まで怒るものだろうか。
それでも、一寸ばかり罪悪感に駆られ、彼は思わず身を引く。
「そうじゃ、無くて」
「なっ、何だよ?」
見る間に、彼女の面は紅く染まって行き、目には涙が溜まっている。
恐る恐るかごめの膝元を離れると、七宝は珊瑚の方へと避難した。
そんな七宝を抱き上げ、珊瑚と弥勒も立ち上がる。
彼らの傍から、一歩、また一歩と距離を置いた。
―――
来るな
三人が思うと同時に、高い声と、地面が減り込む爆音が響く。
「おすわりいぃぃぃっっ!!」
鈍い悲鳴が聞え、続けて少女の走り去っていく背中が映る。
「犬夜叉の、莫迦ぁっっ!!」
埋まったままの姿で、犬夜叉は何とか顔を上げた。
一体、何が理由でこのような状況に陥っているのかは、
全く以って理解出来なかったが、沸々と苛立ちが込み上げてくる。
「俺が一体、何をしたと…っ」
「かごめちゃんとこ、行って来るね。お出で、雲母」
「女子同士の方が良かろう。そうなさい」
抱えていた七宝を降ろし、珊瑚はかごめの後を追う。
雲母と呼ばれた猫は、彼女の後ろに付いて行った。
弥勒は屈み、持っていた釈杖の先で、犬夜叉を突付く。
「まぁ、今回は何がかごめ様の気に障ったかは、私にも分かりかねますけどね」
「だろ?!」
「じゃが、かごめを泣かしたのは犬夜叉じゃ」
何時の間にか手にしていた棒付きキャンディを舐めながら、
七宝が口を開くと、即座に幼子の頭に拳骨が落ちた。
「結果、お前が悪い」
深々と溜息を吐き、ごん、と錫杖が彼の頭に振り下ろされる。
犬夜叉の顔は、再度土の中に埋まった。
少し離れた川辺で、少女が一人座り込んでいる。
抱えた膝に額を押し付け、鼻を啜った。
依然、顔はほんのりと紅い。
「かーごめちゃん」
隣に腰を下ろす気配に目を向けると、よく見知った顔が在る。
「珊瑚、ちゃん」
「いきなり如何したのさ」
柔らかく問うが、かごめはうー、と唸って、黙り込む。
「かごめちゃん?」
「…言わないでね?」
ぽつり、と呟き、ずい、と珊瑚に近付いた。
ぱちくり、と目を瞬かせる。
彼女は呆けた声を出した。
「へ?」
「絶対、言わないでね?弥勒様にも、七宝ちゃんにも」
「う、うん?」
取り合えず珊瑚が頷いたのを確認すると、
姿勢を戻して、膝を抱え直す。
「犬夜叉が私のお茶、飲んだ、でしょ?」
「うん」
「間接キス、になるの」
言っている言葉の意味が理解出来ず、首を傾げる。
「かんせつきす?」
「…間接的に、口付けしたことになるじゃないっ」
一瞬の、間。
途端、響き渡る笑い声。
「そんなこと気にしてたのぉ?!」
顔を真っ赤にして怒るかごめにすら、笑いが込み上げてくる。
腹を抱えて、目尻の涙を拭う。
いきなり笑い出した主人に、びくりと身体を震わせて、
雲母はかごめの向こう側へと逃げ込む。
「そ、そりゃ、この国のヒト達にはそんなことかもしれないけど!」
「もー可愛いなぁ、かごめちゃんは」
笑いが止まらないままで、珊瑚はかごめを抱き締めた。
「内緒よ?何か、私がイヤラシイみたいじゃない」
ちょっとしたことで一喜一憂する少女が、
とても可愛らしくて、何故か心が温かくなる。
「はいはい、了解」
火照った顔を、珊瑚の腕に押し付ける。
かごめの背中をぽんぽんと叩いて、珊瑚は笑いを噛み殺した。
休憩も終了したのか、一行はまた旅路を行く。
奇妙な組み合わせの一行を、時折ヒトが振り返っていくが、
今更気にしたものではない。
「おめぇ、何で怒ってたんだよ」
未だに納得が行かない面持ちで、犬夜叉は隣を歩く少女を睨む。
隣を歩いていた法師すら驚く程に、
後ろで珊瑚が盛大に噴出した。
「珊瑚ちゃんっ!」
勢い良く振り返り、真っ赤な顔をして怒鳴る。
手をあげると、軽く頭を下げた。
「ごめん、ごめん」
むぅ、と唸って、犬夜叉は珊瑚が傍に来るまで立ち止まる。
「やい、珊瑚。お前、何か織ってんな?」
「何にも、織らなぁい」
ねぇ?と、珊瑚はかごめに駆け寄っていった。
後に残された男共は、何が何やら分からない。
疑問符を浮かべながらも、少女達の背中を追う。
「何やら、寂しい気分がするのは気のせいでしょうか」
「多分、気のせいじゃないと思うぞ」
「納得行かねぇ!」
叫び声が、虚空に響いた。
君が好きだから。
君が愛おしいから。
何でもないことでも、些細なことでも。
みんな、みんな、私の心を色付かせて行く。
大好き、って色になって行くの。
END
あとがき
中学生って言ったら、思春期真っ只中だなぁとか。
誰かさんはデリカシー無いから、
こんなこともあるだろうと言うことで(笑)。
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