Bad  Timing





一匹の飛竜が吠登城から飛び立ちました。
その背には小さな人影。
でも、いつものように誰に見咎められることもなく、
彼女は飛び立ったのです。






黄金のウェーブのかかった長い髪。
少し動けば、結んでいるその髪飾りが音を立てます。
ちりん。
鈴の音が聞こえても、振り返る人もいません。
それもそのはず。
彼女の耳には妖力制御装置。
姿形は、人のそれと全く同じだったのですから。
自分が妖怪である事に恥じる事も、
妖怪である事を隠す事も知らない彼女が、
自ら進んでそれを着けるはずがありません。
今日は特別なのです。
面倒ごとは出来る事ならば避けたいのです。
「三蔵一行、今日はこの辺りにいると思ったんだけどなあ」
だって、彼女は闘いに来たのではないのですから。
李厘は小さな声で呟きました。
人込みの中でそんな声はかき消されてしまいます。
一つ溜め息を吐くと、人込みに紛れる様にして、
李厘は消えてしまいました。






場面は変わって、三蔵一行。
たった今、李厘が来た町に着きました。
「じゃあ、宿を取ってきますね」
途中で、八戒が4人と別れました。
どうやら食事をしている間に、
八戒が宿を取ってくるように決まったようです。
あぁと、三蔵は軽く頷きました。
悟空は食事と分かると、途端に元気良く騒ぎ始めます。
そこへ悟浄が入って騒がしくなるというのは常のようです。
三蔵が怒り出して、ハリセンを取り出すというのも常なのでしょう。
通行人が、腫れ物に触るように避けながら通りすぎていきます。
八戒は、後ろで何が起こっているのか
完全に把握できているにもかかわらず、
楽しそうに笑っていました。
さすがと言うべきでしょうか。
それとも、慣れなのでしょうか。
それは考えると恐いので考えないでおきましょう。
そんな様子を李厘は高い建物の屋根の上から見ています。
「見―つけたv」
手をかざして、蒼い空の下、李厘はにんまりと笑いました。
先程は気付きませんでしたが、
李厘の手には中くらいの大きさの箱が握られています。
もう、分かった方もいらっしゃいますね?
でも、それはまだ黙っておいて下さい。
李厘のターゲットはまだ気付いていないようですから。
聞かれてしまったら、驚いてくれないでしょう?






食事が済んだのか、煙草を吸う為か、
三蔵が一人食堂から出てきました。
懐を探って、何かを取り出そうとしています。
高い所から見ていた李厘は、チャンスとばかりに彼の名前を呼ぼうとしました。
「さ……」
「三蔵」
しかし、李厘よりも先に彼を呼ぶ声が。
三蔵は人込みの中を振り向きました。
八戒がジープを連れて食堂に近付いてきます。
「宿、取れましたよ。とりあえず1泊で予約してきました」
先手を取られてしまった彼女は、思わず屋根から滑り落ちそうになります。
カラリと音がして、屋根から小石が落ちてきました。
「?」
三蔵と八戒は何だろうと、上を向きました。
見つかりそうになったので、その場所から急いで離れます。
彼らにとっては誰かの気配を読み取るくらい、造作もありません。
李厘はこの時ほど彼のにこやかな笑みを、恨めしく思った事はありませんでした。
「…次でいっか」
屋根から屋根を飛び移り、彼女はまた呟きました。






三蔵一行は、まだ昼間ではありますが、宿に落ち着きました。
ジープに重い荷物を任せるのは忍びなかったのでしょう。
この所ずっと走り詰めで、ジープも疲れていたのです。
部屋に入り、三蔵を除く3名は荷物を降ろします。
あの三蔵が荷物を持つなど、親切な事は殆どしません。
椅子に座った三蔵は、懐から煙草を取り出しました。
しかし、手に取った時の軽さに顔をしかめます。
「八戒、煙草あるか?」
「え?ちょっと待ってください」
ごそごそと八戒が荷物を探っていると、横で悟浄が言いました。
「昨日、煙草切れたって言ってなかったっけ?」
自分の煙草を取り出し、咥えながら八戒を振り向きました。
あ、と短く声を出すと、八戒の手が止まります。
「すみません。今日の買い出しで買うつもりだったんです」
すまなさそうに言うものの、八戒は煙草を控えるには良い機会だと
言わんばかりに微笑みます。
その意図を読んだ三蔵は、舌打ちすると持っていた煙草の箱を握り潰しました。
入り口近くのごみ箱にそれを投げ入れます。
「三蔵?」
「自分で買ってくる」
振り返る事なく告げる三蔵に、八戒は微笑みます。
「分かりました」
しかし、隣にいた悟浄は、何故か蒼い顔をしていました。
悟空は、三蔵の背中を見送りました。
ギィ、と音がして、宿の扉が開きます。
李厘は、宿の傍に立っている木の幹に腰掛けていました。
黄金の髪が見えると、彼女は今度こそと声を出します。
「三…」
「三蔵!」
タイミング良く李厘の声を遮り、男の子の声がしました。
「何だ?」
宿の中を振り向く三蔵の後に、悟空がついて来ています。
「俺も行くっ」
「……何も買わんぞ」
「八戒は良いって言ったもん」
「八戒が?」
「うん。『三蔵についていって、肉まんでも何でも買ってもらえ』って」
「…………」
それは誰がどう聞いても、八戒なりの嫌がらせです。
少しくらい煙草を吸うなとでも言いたかったのでしょう。
いまいましそうに舌打ちすると、三蔵は無言のまま歩き出しました。
慌てて、悟空はその後を追います。
しばらくすると、彼らの姿は見えなくなってしまいました。
李厘は、少々腹立たしくなりましたが、
冷静に深呼吸します。
「…次が…あるよね」
しかし、そう言う李厘の微笑みはどこか引きつっていました。






そろそろ夕暮れです。
空がうっすらと茜色に染まってきました。
李厘は屋根の上に寝転がって、頬杖を突いています。
「あ」
気付くと、下を三蔵が通りかかっています。
容姿も勿論ですが、彼の綺麗な髪は目立つのです。
夕暮れという事もあり、通りには三蔵だけが歩いています。
酒屋や食堂以外は、灯りも消え、閉まってしまいました。
本当に、本当に次こそはと李厘は上から呼びかけます。
「三ぞ…」
「三蔵」
彼の傍に、紅い髪をした男が手を挙げて近付きました。
悟浄は煙草を咥えたまま、歩いています。
ちなみに、歩き煙草は他人の迷惑になるのでやめましょう。
三蔵は不快な顔をして、振り向きます。
「これからどっか飲みにいかねえ?」
「何で俺が貴様と酒を飲まねばならん」
「うわ、ひっでー」
彼は三蔵の口の悪さには慣れているようです。
さほど怒ってはいません。
三蔵も三蔵で、彼のこのような言い草には慣れています。
屋根の上では、三度邪魔をされて李厘が我慢の限界のようです。
怒りのあまり、手や肩が震えています。
堪忍袋の尾がブチリと切れてしまいました。




「…激ムカついた―――ッッ!!!」




突然、頭上から聞こえた声に驚いて、三蔵と悟浄は茜空を仰ぎます。




「?!」




屋根から、黒い小さな影が彼らの前に降り立ちました。
李厘は、降りた瞬間に三蔵をキッと涙目で睨み付けます。
そうして、それが李厘だと気付く前に、彼女は持っていたものを
三蔵の顔面に向かって投げつけました。
「何で、お前らいっつも一緒にいるんだよっ!!」
「好きで…って、り…厘?」
好き好んで一緒にいるわけじゃないと反論しかけて、
ようやく李厘と気付いたのか、悟浄が彼女の名を口にしました。
顔面にまともに包みを食らった三蔵は、落ちてくるそれを受け取りながら、
額に青筋を浮かべています。
「………」
どうやら、非常にご立腹のようです。
彼女を見据えると、李厘も負けじと睨み返します。
しかし、その瞳は涙で揺れていました。
「三蔵の馬鹿ぁっっ!!!!」
うわーんと泣きながら遠くへ走り去る李厘を、呆然と二人は見送ります。
「なんだったんだ…?」
訳の分からないまま現れて、
訳の分からないまま去ってしまった李厘に何を言えば良いのか全く分かりません。
すると、後ろからクスクスと笑い声がしました。
「八戒」
「すみません、立ち聞きするつもりはなかったんですけど」
口を手で押さえながら、八戒は悟空と共に歩いてきました。
「なあ、今の李厘だよな?」
何故こんな所にいるのか、悟空には分かりません。
ふと、三蔵の持っているものに悟空は気付きます。
「それ何?」
「知らん」
そっけなく答える三蔵に、悟空は近付きました。
改めてみると、グレイの包装紙に、ホワイトのリボン。
シンプルな飾り付けの箱です。
「何かプレゼントみてー……あ」
そこまで言って、悟浄は何かに気が付いたようです。
八戒の方を振り返ると、彼はとっくに分かっていたらしく、笑っています。
そして、三蔵の名を呼びました。
怪訝そうな顔をして、それを眺めていましたが、
八戒の呼び声に振り返ります。
つられる様にして、悟空も振り返りました。
「『バレンタインデー』って知ってます?」
「知らん」
これにも、三蔵はそっけなく答えます。
「何それ?」
悟空も知らないのか、八戒に尋ねます。
苦笑しながら、八戒は説明しました。
「キリスト教の殉教者聖バレンタインを記念する日です。それが、今日なんですよ」
「それが?」
さして興味もなさそうに、三蔵は顔を顰めます。
「西方では、愛の印として贈り物をするんです。チョコレートを女性から男性に贈ったり。別に、男性から女性にでもいいんですけど。手紙や、カード、贈り物はチョコレートとは限りません」
「だから、それがどうした?」
こういった方面には鈍い三蔵の事です。
まだ気付きません。
このままでも面白いですが、李厘があまりにも哀れですので、
八戒は、三蔵の持っているものを指差します。
「それ、多分チョコレートですよ」
「は?」
「つまり、李厘から貴方への」
「どーいうことだ?」
まだ気付きません。
ここまで来ると、天然記念物モノです。
あまりのおかしさに、悟浄が堪えきれず笑い出しました。
「折角くれてやっても、相手がこれじゃあな!」
何で笑われているのか分からないまでも、
三蔵の神経を逆なでした事は間違いありません。
懐から小銃を取り出し、悟浄に向かって発砲します。
「ぅわっ!?」
「煩い」
「な、それ食いモンなんだろ?だったら俺欲しい」
それを聞いた八戒は、優しく悟空をなだめます。
「駄目ですよ、悟空」
「何で?」
「それは三蔵のですから」
よく分からない、と八戒を見上げる悟空に、八戒は苦笑します。
「女の子は、それを渡すのにとても勇気が要るんです。」
理解はしていませんが、とりあえず駄目だという事は分かったようです。
つまらなさそうに呟きました。
「ふぅん?」
日が傾いて、先程より薄暗くなってきました。
八戒は騒いでいる二人をとめて、宿へ返るように促します。
「さ、帰りましょう」






森の中にいた飛竜に乗ると、
李厘はもと来た空路を引き返します。
もっと普通に渡したかった李厘は、少々不満でしたが、
渡せただけでも良しとしましょう。
「八百鼡ちゃんが『大切な人』って、お兄ちゃんみたいな人だって言ってた。それって、『面白い人』ってことだよね」
李厘は飛竜に話しかけます。
その呟きからも分かりますが、李厘はどうやら意味を間違えていたようです。
でも、李厘の倖せそうな笑顔を見ると、
それほど違わないのかも…と思ってしまいました。








END

あとがき

もう、何も言いません。こんなにタイミング良く人が現れるかーっ!ってほどに、お約束の偶然を書いてみました。たまには楽しいですよねv(笑)