To Be or Not To Be
何とか、鳥江に辿り着いた時には、
兵も少なくなってしまっていた。
「項羽様、ですね」
老人の声。船の前に立っている。
どうやら、船出の用意をしていたようだ。
ふと、掛けられた声に項羽に付き従っていた兵が
剣を抜こうと身構える。
項羽はそれを手で制し、目の前の老人へと目をむけた。
彼が口を開くよりも先に、その老人は口を開く。
「江東は小国といえども、その土地は広うございます。民も十万、貴殿が王たるには十分かと存じます。さあ、項羽様、どうぞ船へ。今、船を持つのは私のみ、漢軍がやってきても、渡る事はできません」
話の内容からして、彼は、亭長のようだった。
しかし、彼の予想とは反して、項羽は穏やかに微笑んだ。
「天が、私を滅ぼそうというのだ。逆らうわけにもいくまいて。鳥江を渡るのは止めにしよう」
「項羽様!?」
前方からはもちろん、後方からも、非難染みた声が聞こえる。
それでも、項羽は笑みを絶やさない。
しかし、それは自嘲気味なものにかわる。
「昔、あの国の子弟とともにこれを渡った。しかし、今は誰がいようか?」
「御父上様方が、迎えてくれましょうに」
亭長の言葉も、何の気休めにもならない。
彼は首を振った。
「たとえ、父上や兄上が私を王としてくれようとも、それはただの哀れみだ。一体、どんな顔をして会えば良い?」
皆、しんと静まり返り、彼の言葉を聞き入っている。
「私は、自分自身を恥ずかしく思うのだ」
彼は、そう言うと、馬から下りた。
「項羽様、何を!?」
後ろにいた兵が、驚いて声を上げる。
この戦況の中で、馬から下りるなど、死を意味するに近しい。
項羽は、そんな兵に一瞥を加えると、亭長へと向き直る。
「この馬を貴殿に差し上げよう」
愛しそうに、馬のたてがみをなでる。
別れが分かっているのか、スイも彼へと顔を近づけた。
「貴殿へ、敬意を表して」
冗談のように聞こえる言葉でも、嘘だとは思わない。
「これには、5年もの間乗ってきた。実に良い名馬だ。いつかは、1日に千里を駆けた」
スイへ、同意を求めるように項羽は、それへと目をむける。
「私と死を共にするには、あまりに惜しい。受け取ってくれぬか?」
この状況でも、勇ましく思える彼の姿に、しばらく言葉も失った。
亭長は、彼への義を持って恭しく応えた。
「頂くわけには参りません。私は、貴方から御預かり致しましょう」
―――どうか、御武運を
彼は、そう言って頭を下げた。
「馬から下りよ、そして、闘うのだ!」
他の兵は馬を下り、短い得物だけで応戦した。
しかし、今まで闘ってきた敵などより、数段強い。
漢の兵は、そう感じざるを得なかった。
馬を下り、そして、兵も少なく、得物も強いものではない。
なのに、何故?
そうしているうちにも、項羽は、漢軍の兵を次々と倒していく。
一本の剣で、ある者は首を、ある者は腕を、ある者は足を切り落とされていった。
返り血を浴びながら、それでも剣を振るう事は止めない。
その姿、まるで鬼神の如く。
だが、神たり得ない。人間なのだ。
彼の体には、確実に傷が増えていく。
浅いものもあれば、深いものもある。
通常の人間であれば、貧血でも起こして倒れている事であろう。
目の前の兵を切り倒して、ふいに見上げた。
そして、彼の目が見開かれる。
―――あれは、誰、だった?
記憶をたどる事もなく、答えはすぐに出た。
だが、考える事を拒否している。
だが、間違いない。
目前にいたのは。
「お前は…お前は、私の昔馴染みではないか!」
悲痛な叫び。
耳を塞ぎたくなるような、そんな声。
彼の昔馴染み、呂馬童はその姿を目にして、すぐに背けた。
スッと、彼の腕が伸び、指差す。
「あれが、項羽だ」
気のせいか、彼の指も、声も震えている。
少しの罪悪感でも残っているというのか。
項羽は、彼を仰ぎ見て叫んだ。
「漢では、私の首に多くの賞金を懸けているらしいな」
闘う兵、全てが項羽へと視線を向ける。
時が止まったように、静まり返る。
「ならば」
彼は、構えていた剣を握り直し、それを首の後ろへとまわす。
その切っ先へもう片方の手を伸ばし、つかむ。
血にまみれたその剣も、腕も作り物のようだ。
人形が操られているのかと思うほど。
「この命、貴様にくれてやろうぞ!なぁ、馬童よ!!」
ザンッ。
その腕に力を入れて、自分の首を切り落とす。
人形ではない証。
真っ赤な血が、ボタボタと流れ落ちる。
その血は大地に染み込みながら、徐々に広がっていく。
一同は、その場面を呆然と眺めていたが、
一人が我に返ると、つられて皆が我に返った。
「項羽の首は、私のものだ!」
そんな声があちらこちらから聞こえる。
項羽の兵は、闘う気力が失せ、次々に切られていく。
何の事はない。
ただ、動かない人形が増えるだけ。
バラバラの人形になってしまっただけ。
END
あとがき
これも国語のテスト用に作成した物です。
が、時間が足りず、全部書けませんでした(泣)。
まあ、最初から足りるとは思ってはいませんでしたが。最初の船の話あたりは、飛ばしました
よ。たった、数行にまとめて。時間がないと思ったら、中途半端な物しか出来ないのですね。
題名は、ハムレットの台詞から取った、”生きるべきか、死ぬべきか”というものです。