数年が経った。 久し振りに戻った故郷には、我家の焼け落ちた痕しか無く、 家族は皆、姿を消していた。 そうなれば、弱り果てたホーエンハイムは、 近所であるピナコ・ロックベルを訪ねるしかなかったのだ。 事の成り行きを聞き、最初に浮かんだ言葉は『どうして』だった。 疑問ばかりが頭の中を埋め尽くし、とうとう哀しみには繋がらない。 ピナコはそんな彼に、莫迦だね、と零すだけだった。 軋んだ胸の痛みを誤魔化す術など、彼は織らない。 けれど、それを表現する術も織らないのだ。 家族写真を撮った窓際も、 家を出る前に直していったブランコも、何も残っていなかった。 残り香など、あろうはずも無かった。 何度か脚を運んだ墓地に赴けば、見慣れた墓標が並んでおり、 そうしてまた、見慣れた名前が刻まれた墓石を見つける。 ―――トリシャ・エルリック 暫く呆けたようにして眺めていたが、それはやはり現実のようで、 触れても冷たい石の感触しか伝わってこない。 その下で、ヒトが眠っているなどとは到底信じられなさそうだった。 「トリシャ」 何が現実で、何が夢なのか。 「トリシャ」 何処から何処までが、彼の夢だったのか。 もしかすると、全てが夢だったのだろうか。 最初からあの場所には家などなくて、 トリシャと言う少女は居なくて、 エドワードとアルフォンスと言う子ども達は居なかったのかもしれない。 だが、ホーエンハイムはそう考えてしまった自分を罵る。 (莫迦なことを) 確かにあったではないか。 我が子を抱き上げたぬくもりも。 愛しきヒトが抱き締めてくれた優しさも。 愛したが故の哀しさも。 全て、彼の傍にあったもの。 あったからこそ、彼は此処に立っているのだ。 刻まれた名前を指先でなぞれば、ざらりとした感触が付いて回る。 「生きたい、って言ったのに」 どんな顔をすれば良いのか、分からない。 「約束、したのに」 どうすれば、彼女は笑って居てくれただろうか。 「俺はまだ、ただのひとつも護っていない」 ―――あなた、笑って いつだったか、笑えと言われて涙を零した。 家族がそこにある倖せを、教えてくれたのは彼女だった。 「なぁ、トリシャ」 呼べば、返事があるのだと思っていた。 彼女はいつでも迎えてくれるのだと思っていた。 屈託の無い笑顔で、あなた、と。 ―――もう1度、声を聞かせて 死を、何度も見てきた。 友や仲間を見送り、長い刻を生きてきた。 ホーエンハイムも何処かでは、 それらは自然のサイクルなのだと割り切ることで、 仕方のないものだと思い込むことで、 いつかのトリシャと同じように諦めようとしていたのかもしれない。 だがいつしか諦めきれないものが出来た彼が、 それを自身に思い込ませ続けられたかと言えば答えは否だ。 ホーエンハイムは老いることの無い体を、初めて厭わしく思った。 トリシャと、子ども達と、歳を取って死にたいと、願った。 願って、しまった。 なのに、彼女の死を認めようとしない想いは矛盾している。 パズルの合わないピースを無理矢理にはめ込んでしまったかのようにちぐはぐだ。 自分の心が分からなくなる。 ―――だから今、ホーエンハイムさんが感じていることも、ヒトとして当然なのだと思うわ 同じような気持ちで、昔、友の墓前に立った。 戸惑っていることにも気付いていなかった彼に、トリシャは事も無げにそう言った。 「トリシャ」 そう、同じ。 彼はあの時と同じ気持ちを今、感じているに違いなかった。 ―――哀しいのでしょう? ぴったりと当てはまってしまった単語が、 ホーエンハイムの心を締め付け、息苦しさすら憶えた。 織らず胸元を押さえた彼は徐に立ち上がり、 トリシャの墓石に影を落とす。 「…此処にぽっかりと穴が空いてしまったみたいなんだ」 ぽたり、と墓石に滴が落ちる。 雨が降ってきたかと見上げるも、広がる空は快晴で青く澄み渡っている。 リゼンブールの空。 なのに、ぽたり、ぽたりと墓石を濡らす滴は止まらない。 口を開こうとして、ホーエンハイムはやっと気付いた。 「…あぁ、俺だ」 まるでヒト事のように皺枯れた声で呟く。 彼の瞳から流れるものは、確かに彼のものだと言うのに。 途方も無い感情が滲み、溢れ出す。 ずっと、忘れていた感情だった。 トリシャ、と返事がないと分かっていても口を突く。 ―――あなた、笑って (笑って、と君が望むのならば今度こそ) 彼のヒトへ、想いを捧げよう。 この身体に終わりが無いのであれば、心を全て。 都合の良過ぎる夢でも良い。 いつかのように君の手を取って、夜空の下で笑い合おう。 ―――…今夜、月の見える丘で END |
あとがき。 ずっと書きたかったホーエンハイムとトリシャの過去話です。 えー、ラスト辺りを書く時に原作本家過去話が来たというハプニング(爆)もありました。 途中原作設定と違ってたりするのは年表見間違えてたりとかね! トリシャとホーエンハイムのがサラ達より先に夫婦みたいなことになってます、原作は。 あと、ホーエンハイムが出て行ったのは夜ではなくて早朝。 このページ以外は読む前に書いたんでご容赦を(爆)。 ....*マザーグース[Hey Diddle Diddle]より引用 |
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