不意に、唐突に、思わず。
無性に泣きたくなる日があるのは何故だろうか。








いをせた







「オイ」
背後から声がかかる。
「聞こえてねぇのか」
呼ばれているのは分かる。
理解出来ている。
「悟空」
だのに、振り向くことが出来ない。
振り向けない。
振り向きたくない。
彼のその瞳に映った自分は、昔とは違う姿で。
幼く、小さかったはずの身体は確かに、成長していて。
「三蔵は、怖くなかった?」
唐突な問いに、三蔵は驚くことも無く何が、と訊ね返す。
「大っきくなるコト」
渡り廊下の柵に腰掛けたまま、悟空は背後の三蔵に訊ねた。
ようやっと振り向いたかと思えば、その目は虚ろで、ココではない何処かを映している。
映さなければならないと思わせるような感覚で。
「…別に」
三蔵は暫く間を空けた後に、ぽつりと返す。
その無言の間がむしろ肯定しているのではないかと思わせる。
けれど、悟空はそれ以上を追求することは無かった。
「俺は、怖いよ」
へへ、と笑うが、上手く笑えずに瞳が翳る。
体勢を戻して、三蔵へと背中を向けた。
金晴眼は禁忌の証。
例えば、ヒトと妖かしの交わりは、何が起こるか分からないから禁忌だと言う。
ならば、起こってしまった事項に対しての禁忌とは、何に対しての禁忌か。
それとも、幼子であったはずの妖かしを留める為の術だったのか。
ヒトで無きもの、妖かしで無きもの、そうしてまた、広がる大地と同等のもの。
彼の幼子であった少年は、その身に祝福を受けながらも、
否、受けたからこそ嘗て囚われていたのかもしれない。
「怖いんだ」
おかしいよね、と首を傾げてもう一度外に視線を投げる。
答えは望まれていなかった、きっと最初から。
おかしくないと答えても、おかしいと答えても、悟空は同じ顔を見せるだろう。
ほっと安堵したような、今にも泣き出しそうな、曖昧なカオを。
「怖くて怖くて、仕方が無い」
ぶらぶらと足を動かし、悟空は俯く。
間接部が痛む度、伸びて行く手足。
生きていれば必ず起こり来る事象が、気持ち悪くて仕方が無い。
「お前はいつも、曖昧なものに畏れを抱くな」
ぽつり、と三蔵は口を開く。
悟空に近付くこともせず、かと言って離れることもなく。
かちり、とライターを擦る気配がした。
その後すぐに、独特の煙草の香りが広がる。
漂う紫煙。
「あい、ま、い」
ぼんやりと口にしてみるが、どうにもしっくり来ない。
悟空はゆっくりと一度瞬きをしてみる。
「曖昧だろ。いずれそうなるものを思って、危惧する。そうなるかどうかすら分からねぇのに」
不安を抱くものこそが、ヒトや妖怪、考える力を持つものだけの特徴だ。
そうならない為に何を成すか。
成すことが出来るのは神ではない。
絶対であるが故に無力な神以外のものだ。
「分から、ない」
反芻してみる。
ゆっくりと、ゆっくりと悟空の中に染み込んで行く言の葉。
「もしかしたら明日死ぬかもしれない。生きていても、眠ったままかもしれない」
そんなのは腐るほど居る。
自ら命を絶つものも。
世界はそれでも廻り続けるし、皆、己が道を歩んでいく。


「必ずそうなるとは限らないことしか、この世には無い」


運命というものがあるのなら、それは定められた軸を差すのではない。
絶えず変わり行く、彼らの生き様を振り返った時に呼ぶものだ。


「だから、夢も見る。思い、描く」


夢が無ければ、綺麗ゴトが無ければ、ヒトは何を希望として生きれば良い。


「ヒトはそうして生きていくしか無ぇんだ」


三蔵は言う。
生きて、足掻いていくしか無いのだと。
「幻想かもしれない夢に縋って?」
子どもらしくない発言にはもう慣れた。
三蔵はフィルタを噛み潰し、寺院内の廊下であるにも拘らず、足元に煙草の吸殻を捨てる。
足で踏み潰せば、白い煙が天へと向かって1本の線になる。
「何も無いよりはマシだろう」
ふぅん、と頷いた後、悟空はくすくすと笑い出した。
訝しんで睨むと、笑いを噛み殺して振り返った。
「…三蔵が夢とか可笑しい」
「喧しい」
漸く、いつもの幼子らしい顔に戻ったかと思えば、相も変わらず失礼な。
不服そうに、もう1本の煙草に火を点ける。


「夢見ても、良いんだ」


ぽつり、と悟空は漏らす。
小さな、風にかき消されてしまうような掠れた声で。


「明日が来るんだって。俺は生きて行くんだって」


たったそれだけのことを夢だと言うのか。
三蔵は軽く眉を顰めた。
確かに、500年の時は長かったろう。
姿も変わらず、ただ、自分以外の刻が過ぎていくのを眺めていることしか出来なかった歳月。
悟空にとっては、同じ明日が来て、なのに時間は止まったままで。
生きて行くのではなく、生きている。生かされている。
死ぬことも赦されず、ただ。
だからこそ、前に進むことを厭い、畏れた。
囚われた罪すら思い出せぬまま、己が刻の過ぎていく様を。
「忘れる覚悟でも出来たのか」
三蔵は問うた。
ゆるゆると首を振ると、手すりから廊下側へと飛び降りる。
自分よりも背の高い三蔵を見上げ、口を開いた。


「忘れないよ。忘れたことも、全部」


大きく背伸びをして、そのまま動きを止める。
「忘れないまま、歩いていくことだって出来るんだって、思ってても良いんだよね」
金晴眼を僅かに細める。
大人びた、らしくない笑顔。
けれどその時の幼子にはあまりに似つかわしくて、
ワケも分からず苛立った。
幼子の中にある闇はどれほどの深さだと言うのだろうか。
そうして悟空は微笑う。



「だって、これは俺の夢だから」



いつか覚める夢だから。
そう言いかけて、呑み込んだ。
覚めて欲しくないのだとは言えなかった。
予期せずして流れた涙が、悟空の全ての言の葉を奪う。
嗚咽にも、泣き声にもならず、言の葉も音も呑み込まれ、
三蔵はただ静かに刻が流れて行くのを見ていた。










END





あとがき。
久しぶりの寺院時代!
ホントは天界編強化月間と行きたいのですが(爆)。
耶雲編に続く話を考えてますが、それはまたおいおい書きます。

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