刻は戦国。
室町の終わり。
廻り行く血の因果が大地に蔓延り、ヒトとひとでなしの世を示す。
喰らう為に屠るか、己が益の為に屠るか。
真に恐ろしきはどちらであろうか。
其れすらも分からぬ程に、ヒトの世は乱れていた。



薄暗く、どんよりとした曇り空が重たく地上に圧し掛かる。
秋の高い空が嘘のように低い空は、見ているだけで息苦しくなってくる。
早々に本日の宿を決めなければ雨でも降り出しそうだった。
深紅の魔除けの衣を羽織った、見るからにヒトではないものがくん、と鼻を鳴らした。
「おい、降り出すぞ」
傍を歩いていた仲間に、少年は愛想の欠片もなく言い放つ。
直ぐ其処に小さな村が見えていたが、彼らが辿り着くまで待ってくれるだろうか。
変わった衣を纏った少女は肩に乗った幼子に、分かる、と訊ねた。
「降るには降るが…なぁ、犬夜叉。こんな時期に降るもんかのう」
「え?」
訝しげに眉を顰めた幼子は、仰々しく腕を組む。
其方をちらりと見た犬夜叉も軽く顔を顰めていたが、
此れは何時ものことだから特に気にすることも無い。
「俺が知るかよ、七宝。御天道様に訊いてみな」
「訊けるもんならとっくに訊いとるわいっ」
「ねぇ、雨じゃないの?」
足元に尻尾が二股に分かれた猫を連れた少女が、彼らの会話に首を傾げた。
「お前達の口振りでは、まるで違うものが降るようだ」
手に錫杖を持つ有髪僧も少女に倣う。
面倒臭そうに嘆息する犬夜叉は、こり、と米神を指先で掻いた。
「雪だ。此の匂いは間違いねぇ、と思う」
「雪?だって未だ秋よ、犬夜叉」
「んなこと、言われなくても知ってらぁ。かごめ、何か感じねぇか?」
かごめと呼ばれたのは、変わった異国の衣を纏った少女。
大きな襟に、短い袴。
幾ら動き易そうだと言っても、武田の透波ですら此のような恰好はしないだろう。
背負っている得物は弓矢のようだが、共にある布袋が更に訝しさを際立たせていた。
「何か、って言われても」
きょろきょろと辺りを見回してみるが、其れらしい気配も妙な感覚も無い。
彼らが探している四魂の欠片の気配も同じく。
「変わったとこは無さそうだけど。珊瑚ちゃんと弥勒様は?」
「かごめちゃんに分からないなら、私に分かる訳無いよ」
慌てて珊瑚はひらひらと手を振って、首を左右に動かした。
「然し、面妖な。人里も近いし、何も無ければ良いのですが」
「法師様が何もしなければ、何も起こらないと思うよ」
人間関係に関しては、と補足する珊瑚の後ろに愛染明王が鎮座ましましているような気がしたが、
此処は見なかったことにしておこうとかごめ以下一同は無言の内に頷き合う。
何とか喧嘩は犬も食わないとはよく言ったものだ。
夫婦となる誓いを交わしている二人は喧嘩するほど仲が良い。
「珊瑚、私はお前一筋だ」
「…其れが一番信用ならないんだけどね」
ぎゅ、と手を握られた珊瑚はじとりと半眼で目の前の弥勒を睨みつける。
剣呑な雰囲気から逃れるか、雨露を凌ぐか、
どちらにしても道を急いだ方が良さそうだ。



足を踏み入れたのは、小さな村だった。
今まで訪れたことのある他の村と貧富は大差無く、
農作業に勤しむ村人や、道端で遊ぶ童の姿が見受けられた。
家の造りも質素で、端々が崩れた土壁に重石を乗せた木の屋根、筵の吊るされた玄関。
保存用に軒下に吊るされた野菜が風に揺れている。
入り口付近で村人に呼び止められた弥勒だけが、村長らしき人間へと会いに行って四半刻。
今夜もまた、良からぬ影が云々と言って宿を借りるつもりなのだろう。
暇を持て余していたかごめ達が、
そろそろ辺りを散策しようかと言い合っていた頃に弥勒は戻って来た。
「御待たせしました」
「で、今日は村長を騙くらかしたのか?」
「如何して御前は添う、人聞きの悪いことを」
「違うの?」
きょとんと目を瞬かせるかごめと珊瑚に、弥勒は心外だとばかりに溜息を吐いた。
「此の先に空き家が在るそうです。今宵は其処を御借りしても良いと」
此の先と言われ、一同は顔を上げる。
人家が立ち並ぶ其の更に奥、其処に空き家は在った。
だが其れは空き家と呼ぶには余りあり、
どっしりとした門構えの中に広がる敷地は結構なものだ。
屋敷と呼んで差し支えの無い建物は、其れなりに手入れされており、
言われなければ無人だとは分からない。
庭も草が生い茂っている様子も無く、垣根は切り揃えられている。
「本当に此処って空き家なのかい、法師様」
明らかに疑っている口調で珊瑚が弥勒を振り返る。
其んなにも信用が無いのか、彼は本当ですって、と肩を落とした。
「相当な地主だったらしいですよ。跡継ぎが居らず、御当主が亡くなられてからは誰も」
「其の割には綺麗よね」
「村の者が時々手入れをしているそうです」
雨戸を開いて中を覗いてみれば、障子の代わりに御簾が掛けられ、
多少黴臭さは感じたものの我慢出来ない程ではなかった。
縁側に掛けて説明する弥勒に、犬夜叉は露骨に顔を顰めた。
「誰も居ない屋敷を、手入れする必要が何処にある?」
確かに、と頷く七宝も、彼の言い分も分からないではない。
御簾が風に揺られ、しゃらりと鳴いた。
ひとつ息を吐いて弥勒が口を開く。
「人情に厚く、村人から慕われていたと聞きました。其のような方の屋敷が荒れることを、彼らが良しとしなかったからでしょう」
「遺していたって、そいつが生き返る訳でも無ぇだろうに」
「ヒトとは得てして其のようなものなのです」
御前にも分かるのではないか、と言外に視線を投げる彼に、犬夜叉は目を逸らす。
珊瑚の足元で雲母がみゃあと鳴いて屋敷に上がった。
追うようにして珊瑚と七宝も其れに倣う。
犬夜叉が目を逸らした理由が分かったからこそ、
かごめは話を聞いていても何も言わなかった。
立ち入る隙など、最初から無かったのかもしれない。
嘗て愛した巫女を少年が思い出していることなど、事情を知る彼らであれば容易く知れた。
(…私、厭な子になってる)
心の奥に浮かんでは消える感情を振り切って、かごめは無理矢理明るく笑う。
「私、珊瑚ちゃん達のとこに行ってるね。此の御屋敷広そうだから探検して来る」
「あ、あぁ」
「御気をつけて」
沓を脱いで屋敷に上がり込むかごめの後姿を見送り、犬夜叉は気不味そうに視線を泳がせる。
其のような顔をするくらいならばと言いたいところだが、彼は破滅的に要領が悪い。
弥勒は肩に掛けていた錫杖を立てると、とん、と地面を叩いた。
「犬夜叉、桔梗様を想うなとは言わん。だがな」
「…なぁ、弥勒。あそこ…」
「こら、御前はヒトの話を聞い…」
「添うじゃねぇよ、糞坊主!」
話を逸らそうとしていると思った弥勒だったが、如何やら違うらしい。
不承不承ながらも犬夜叉と同じ方向を仰ぎ見た。
彼の指差した先には、手入れの行き届いた垣根が青々と茂っている。
光沢のある葉は山茶花だろうか、其れとも寒椿だろうか。
考えていると、垣根の端にぽつりと浮かぶ紅に気付く。
深い黄色が中心にある深い桃色の花弁、開く花は紛うこと無く椿だった。
「あんなところに花が咲いていたか?」
「気付かなかっただけだろう」
「弥勒」
真剣味を帯びた犬夜叉の声色に、弥勒は目を閉じる。
矢張り妙に思えた。
手入れされた屋敷も、庭も、目の前に居る法師が言った其の理由も。
何が、と問われても、恐らくはっきりとした答えは見付からない。
直感的に感じた違和感は、未だ拭えずにいる。
眉間に皺を寄せ、犬夜叉は弥勒を睨みつけた。




―――…此処は、血の匂いがし過ぎるんだよ」




ぱさり、と音がして振り向けばもう一輪、紅い椿が開いていた。








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