うつくしきもの |
盛大な溜息が漏れた。 出仕から戻った大夫殿が、縁側にて座している。 そよそよと吹く風が、あたたかな春の訪れを教えてくれる。 しかし、それを愛でる余裕も無いのか、 難しく沈んだ面持ちのまま、頭を垂れた。 再び吐き出される溜息。 「何ぞ、保名。如何した」 愛らしい声音とは裏腹に、何ともふてぶてしい物言いに、保名は振り返った。 今更、女童の物言いを正すこともしない。 ずるずると重を引き摺る女童は、果てしなく無表情だ。 「梛子か」 「うむ、ナギぞよ」 雄々しく頷かれ、保名は苦笑する。 梛子は保名の膝によじ登り、あたかも当然の如くに鎮座する。 持っていた蝙蝠扇で、べしべしと彼の額を叩いた。 「…梛子。扇でヒトを叩くのは止めなさい」 力の加減を織らないのか、神妻は容赦なく彼の額を叩き続ける。 熱を帯び、薄らと紅くなっていくのを感じたのだろう。 漸く女童の腕を軽く抑えた。 「保名、溜息。神妻ナギに申してみよ」 少し考えるようにして、保名は空を仰いだ。 梛子は彼から眼をそらさずに、じっと眺める。 「そろそろ孫の顔が見たいと思ってなぁ」 しみじみと漏らす彼に、女童は首を傾げる。 「マゴ?ソレは如何なるものぞ」 「うつくしきものだよ、梛子」 「うつくしきもの?」 うつくしきもの、つまりは可愛らしいもの。 梛子とて女子。 うつくしきものと聞いて、じっとしているはずが無い。 梅の芳しい香りは大好きだし、新しい扇に心ときめかせる。 まぁ、その扇の絵が如何なるものかというのは別の話としても。 普段から大きな瞳を更に大きくし、きらきらと保名を見つめる。 是と頷く彼に、頬を上気させ、小さな手で揺すった。 「うつくしきもの、ナギも見たい」 「しかしなぁ…、肝心の晴明と陵王がなぁ」 本日何度目かの溜息を吐き、ぐりぐりと梛子の頭を撫でた。 出仕した折、友が孫が出来たと喜んでいた。 あちらこちらに通う姫がいなかった保名には、晴明しか子どもが無い。 ソレはソレで別に良いのだが、 周りの人間がそのようにして喜んでいるのを見ると、何とも羨ましくなってしまう。 三日餅も準備出来ないままに迎えた陵王と、 ふらふらとしていた晴明が、ようやっと結婚したかと思えば、暫く清い仲のまま。 蟠りが解けたのか、正式に夫婦になったかと喜んではいるものの、未だに子宝には恵まれない。 急かしても、どうしようもないものではあるが、 保名としては孫の顔が早く見たい。 「ハルとリョオウ?」 「まぁ、仕方がないか」 「ならば、ナギが頼む!」 「な、梛子…?」 意気込んで、膝の上で立ち上がる梛子を慌てて支える。 気配を感じて振り返ると、 ぱたぱたと足音をたて、廊下を走る式神が背後を通り過ぎていった。 家人が戻ったのであろう。 とは言え、この屋敷に住むヒトであるものは三人。 舎人などがいてもおかしくないこの屋敷には、ヒトであるものはたったの三人なのだ。 普通、ヒトが成すべき下々の仕事は、陰陽師である晴明が作り出した式神が行う。 だからこそ、この屋敷は化け物屋敷などとささやかれているのである。 そのようなことをうつらうつらと考えている間に、 がばり、と顔の向きを変え、廊下の端に現れた人影に梛子は突撃して行った。 「梛子!」 止める間も無く、その人影に勢い良くぶつかる。 正しくは、自分の袴を踏みつけ、その拍子に転んだ。 激しく激突された人影は、一瞬傾いだが、何とか体制を立て直す。 「梛子、頼むから足元に気をつけてくれ」 ぶつかった拍子に後ろに倒れこんだ梛子を抱き起こしながら、 ずきずきと痛む足に彼は顔をしかめる。 「大丈夫か、梛子」 後ろからす、と顔を出す美しい少女に梛子は頷く。 水干姿ではあったが、確かにそれは少女だった。 「うむ」 「何をそんなに急いでいたんだ?」 「ハル!ナギはマゴが見たい!見せよ!」 「は?」 見せろ、と言われても。 何が何だか良く分からないままに、晴明は首を傾げる。 「保名がうつくしきものと言った」 珍しく興奮した様子で、晴明と陵王を交互に眺める。 合点がいったのか、晴明は陵王に梛子を渡し、 母譲りの美しい顔で保名ににっこりと微笑んだ。 「………父上様、一体、梛子に何を吹き込まれたのですか?」 このような顔をしている時は、大抵良からぬことを考えている時だ。 幼少の砌より育ててきた我が子だ。 手に取るように分かる。 「は、晴明、私はだなっ」 「父上様?」 放っておいても、出来るものは出来るし、 出来ないものは出来ない。 授かりものであるので、こればかりはどうにもならない。 この後、延々としょうもない親子喧嘩が続き、 次の日の朝には、普段よりも二割増し程の保名の悲鳴が聞こえたという。 了 |
あとがき。 |
ナギちゃんが好きなのですよ。 あの雄々しさと言い、物言いと言い素敵。 白華山と喧嘩している時も楽しくて好きです。 |
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