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Voice |
今、思えば。 それは、長安に近付くにつれて、 非道くなっていっていたような気がする。 呼ぶ、と言っても、直接的な声ではなくて、 頭の中に響いてくるようだった。 しかも、ガンガンと遠慮なく響いてくるその『声』は、 聞いた憶えがあるようで、全く憶えがなかった。 その曖昧な感覚が、余計に頭痛を齎した。 前兆、と言って良いのだろうか。 師の形見であり、 己の所有物である聖天経文を探す旅を始めて、歳月が流れた。 情報を集める為に、1つのところに留まろうと決めたのも、 長安へ訪れる理由のひとつだった。 長安に着くなり、三蔵は一番大きな寺院へと足を向けた。 案の定、門の傍には番がおり、年若い少年僧を胡散臭げに眺める。 寺院は、一般に開かれてはいたが、表面上だけであろう。 真に仏門へと身を委ねた、『僧』と呼ばれる者だけが、 寺院に踏み込むことを許されていると、腹の底では思っているのではないか。 三蔵はそんなことを思いながら、彼らへと口を開く。 「こちらの方か?」 「如何にも」 「大僧正にお目通りを願いたい」 「何用か?」 そこで初めて、自分の失態に気付いたかの如く振る舞う。 多少、頭痛の所為で苛付いていたが、こんな所でヘマをする気は無い。 「失礼、申し遅れた」 彼は淡々と、台本にでも書いてあるのかと思えるほどの口調で続けた。 「私は、東亜北方天帝子『玄奘三蔵』。訳あって、こちらに留まりたい」 『三蔵』の名を聞くと、慌てた様子で門番は深々と頭を下げた。 「三蔵法師様でしたか。ご無礼、お許しください」 す、と道を開け、自分が前を歩く。 「ご案内いたします」 どうぞと差し出された手は、高き、寺院を指していた。 客室であろう。 『三蔵』の称号のおかげで、 すんなりと大僧正に目通りが叶い、自室を宛がわれた。 こちらにも、あちらにも十分すぎるほどのメリットがある。 断られる理由が無かった。 1人には広すぎる気がしないでもないが、 静かであることに関しては申し分が無い。 大きくため息を吐き、三蔵はベッドへと倒れこんだ。 「…クソったれ」 悪態を吐く。 辟易するほどの、お世辞の嵐。 一体何度、その軽い口を塞いでやろうかと思ったことか。 先程の目通りは、三蔵がもっとも嫌うものだったらしい。 忘れていたはずの頭痛が、再び襲ってきた。 頭を抑え、寝返りを打つ。 投げ出された草履が、ひっくり返って散らばった。 それを揃えようと手を伸ばしたが、 煩わしくなって、そのままにして寝入ってしまった。 窓から差し込んでくる、柔らかな光。 まだ幼い面立ちが、月灯りの下に照らし出された。 『――――』 煩い。 『――――――!』 黙れ。 『――――――――――!!』 呼ぶな。 『ぅぁあああああああッッッ!!!』 泣いてんじゃねぇよ、莫迦野郎。 見知らぬ場所で、泣き叫ぶ見知らぬ幼子を、 遠い夢の中、虚ろに眺める自分がいた。 鎖につながれた、小さく細い腕が、暗闇の中はっきりと見て取れた。 「……ッッ」 暗い天井へと手を突き出し、荒い息遣いで目が覚めた。 伸ばした手を、まるで自分のものではないように、ぼんやりと眺める。 「何だってんだ…」 気付けば、とっぷりと夜闇に包まれ、 していたはずの僧侶達の声も、何も聞えない。 静寂だけが支配する深夜。 汗でじっとりと濡れ、額に張り付いた前髪を邪魔臭そうに掻きあげる。 そうして襲い来る頭痛。 顔を顰め、頭を抑える。 「織らねぇよ…ッ」 胎児のように身を丸め、シーツを掴む。 「織らねぇっつってんだろーがッ!」 段々と増していく、頭を殴りつけられるような感覚が、全てを侵して行く。 「テメェなんざ、織らねぇんだよッッ!!」 ダン、とベッドを叩きつける。 それでも痛みは和らぐことは無い。 「なのに何故、俺を呼ぶ…」 こんな、無力な自分を。 情報を集める為、2、3日出かけることにした。 周りの人間は彼の身を案じたが、 はっきり言って、三蔵には織ったことではない。 大丈夫だと、身支度を整えた。 「ならば、三蔵様。あの山にだけは近付かれぬよう」 見送りに来た年老いた僧侶が、彼に忠告する。 彼が指差した先には、高い、岩山が見えた。 木々は殆どなく、岩だけで作られた寂しい山。 「アレが何か?」 「あの山は五行山。神々に加護されし山」 畏敬の念をもって、彼は言う。 「神?」 「例え三蔵様と雖も、神仏のお怒りには敵いますまい。ですから、どうか」 三蔵を莫迦にするでもなく、 本当に彼の御身を心配しているようだった。 「一応、聞いておこう」 ため息ついでにそう言うと、そのまま足を進めた。 情報集めが第一の目的。 歩いていれば、嫌でも響いてくる声。 その主が傍にいることを、何となく感じていた。 何故かなんて分からない。 感じるのだから仕方が無かった。 山道中を歩いていると、木漏れ日が目の前に幾つも降ってくる。 声を振り払うように、歩みを進める。 突然、劈く様な、声が頭に響いた。 あまりの声の強さに、三蔵は思わず蹲る。 「痛ぅ…ッ!」 見上げれば、ソコには高い岩山。 入り口を閉ざすように、幾つもの木々が道を遮っている。 道と呼べるものが、ソコには無かった。 『神々に加護されし山』 ふと、僧侶の言葉が甦った。 『例え三蔵様と雖も、神仏のお怒りには敵いますまい』 忌々しげに舌打ちをすると、三蔵は茂みを掻き分けて五行山へと足を向けた。 思っていたよりも急な斜面に、何度も足を踏み外しそうになる。 ガラガラと音を立てて、小石が地上へと降りて行く。 「…何で、俺が…ッ。こんなコト…ッッ!!」 息を切らしながら、一歩、一歩昇っていく。 何とか、開けた岩場に辿り付いて、ドカリと座り込んだ。 笠を外し、仰いだ。 見下ろせば、長安の都が小さく見える。 「…絶対ぇ、見つけたらぶん殴ってやる…」 高く昇った太陽を見上げた。 丁度、昼くらいの時間帯だろう。 やっと中腹と言った場所。 舌打ちすると三蔵は立ち上がり、再び登り始めた。 『―――――』 声ならぬ声。 段々と強くなっていく、己を呼ぶ声。 一体頂上には、どんな奴がいると言うのだろう。 何故、己から出向こうとはせず、ただ待ち続けるのだろう。 もし、己が出向かなければ、ずっとこの声が喧しく叫び続ける。 煩わしかったんだ。 聞きたくなかったんだ。 ただ、それだけだ。 それだけの理由なんだ。 他の理由なんて、欲しくない。 辿り着いた頂には、小さな祠があった。 途端、響き続けていた声は、ぴたりと止んだ。 傾きかけた太陽は、紅く空を、大地を染めていく。 注意深く祠を見つめると、何か、格子のような造りに気が付いた。 (…まるで、牢屋のソレのような…) まさか、と思いつつもそれに近付く。 数十枚にも張り巡らされた呪符が、いやに目についた。 魔物でもいるのではなかろうか。 もしかしたら、自分はおかしな呪術に捕まったのではなかろうか。 そんな考えが廻っていく。 いつでも闘えるように、ジリジリと近付いた。 祠の中の影が、微かに動く。 最初に見えたのは、曇ることのない黄金の瞳。 息を呑んだ。 魔物かと思って近付いたのに、そこにいたのは。 (ガキ…だと?) 「誰…?」 小さく呟かれた、幼子特有の高い声。 ジャラ、と繋がれた鎖が音を立てる。 格子へと手が伸ばされた。 だから、思わず悪態を吐いた。 振り払うかの如く。 「…お前か。俺をずっと呼んでいたのは」 震える声を抑えて、振る舞う。 「へ?俺、誰も呼んでねーけど…」 不思議そうに見上げる瞳は、嘘などついていなくて。 「いいや、嘘だね」 それでも、嘘だと感じた。 「俺にはずっと聞えていたぜ」 まともに見るには、あまりに残酷な姿。 傷だらけの身体が痛々しい。 細い両手足を戒める重たげな枷。鎖。 「うるせーんだよ、いい加減にしろ」 あんなこと、言うつもりはなかった。 「だから」 殴ってやるんじゃなかったのか、俺は。 「連れてってやるよ。仕方、ねーから」 あの時、何故手を差し伸べたのか。 今考えても、分からない。 ただ、厭だったんだ。 あのガキを、あのままにしていくのが。 ちっとも、俺に似ているところなどないのに。 昔の俺がそこにいる気がしたんだ。 理由なんて織らない。 ただ、そう感じただけだから。 アイツが、俺の手を掴んだのだって、 本当は理由なんてないのかもしれないのだから。 この手にぬくもりを感じたとき。 止まっていた筈の時間が。 何故か。 動き始めた気がしたんだ。 END |
あとがき。 |
三蔵殿の独白・・・とも違うけど。 何となく、書きたくなったのさ。 最近は、曲を聞いてオハナシ考えるのがオオイデス。 これは、『鬼束ちひろ』さんの曲が元。 『耳を塞いでも、叫び続けるから。』だっけかな。 きっかけになった歌詞は。 |