あまりに煩くて、耳を塞いだ。
何故、俺を呼ぶ。
何故、泣いている。
何故、そんなにも真っ直ぐに叫ぶ。


何故、俺を必要とする。



その悲鳴は、耳を塞いでも引き裂くように響いて来て。




Voice




今、思えば。
それは、長安に近付くにつれて、
非道くなっていっていたような気がする。
呼ぶ、と言っても、直接的な声ではなくて、
頭の中に響いてくるようだった。
しかも、ガンガンと遠慮なく響いてくるその『声』は、
聞いた憶えがあるようで、全く憶えがなかった。
その曖昧な感覚が、余計に頭痛を齎した。
前兆、と言って良いのだろうか。



師の形見であり、
己の所有物である聖天経文を探す旅を始めて、歳月が流れた。
情報を集める為に、1つのところに留まろうと決めたのも、
長安へ訪れる理由のひとつだった。
長安に着くなり、三蔵は一番大きな寺院へと足を向けた。
案の定、門の傍には番がおり、年若い少年僧を胡散臭げに眺める。
寺院は、一般に開かれてはいたが、表面上だけであろう。
真に仏門へと身を委ねた、『僧』と呼ばれる者だけが、
寺院に踏み込むことを許されていると、腹の底では思っているのではないか。
三蔵はそんなことを思いながら、彼らへと口を開く。
「こちらの方か?」
「如何にも」
「大僧正にお目通りを願いたい」
「何用か?」
そこで初めて、自分の失態に気付いたかの如く振る舞う。
多少、頭痛の所為で苛付いていたが、こんな所でヘマをする気は無い。
「失礼、申し遅れた」
彼は淡々と、台本にでも書いてあるのかと思えるほどの口調で続けた。
「私は、東亜北方天帝子『玄奘三蔵』。訳あって、こちらに留まりたい」
『三蔵』の名を聞くと、慌てた様子で門番は深々と頭を下げた。
「三蔵法師様でしたか。ご無礼、お許しください」
す、と道を開け、自分が前を歩く。
「ご案内いたします」
どうぞと差し出された手は、高き、寺院を指していた。



客室であろう。
『三蔵』の称号のおかげで、
すんなりと大僧正に目通りが叶い、自室を宛がわれた。
こちらにも、あちらにも十分すぎるほどのメリットがある。
断られる理由が無かった。
1人には広すぎる気がしないでもないが、
静かであることに関しては申し分が無い。
大きくため息を吐き、三蔵はベッドへと倒れこんだ。
「…クソったれ」
悪態を吐く。
辟易するほどの、お世辞の嵐。
一体何度、その軽い口を塞いでやろうかと思ったことか。
先程の目通りは、三蔵がもっとも嫌うものだったらしい。
忘れていたはずの頭痛が、再び襲ってきた。
頭を抑え、寝返りを打つ。
投げ出された草履が、ひっくり返って散らばった。
それを揃えようと手を伸ばしたが、
煩わしくなって、そのままにして寝入ってしまった。
窓から差し込んでくる、柔らかな光。
まだ幼い面立ちが、月灯りの下に照らし出された。


――――
煩い。
――――――!』
黙れ。
――――――――――!!』
呼ぶな。


『ぅぁあああああああッッッ!!!』


泣いてんじゃねぇよ、莫迦野郎。


見知らぬ場所で、泣き叫ぶ見知らぬ幼子を、
遠い夢の中、虚ろに眺める自分がいた。


鎖につながれた、小さく細い腕が、暗闇の中はっきりと見て取れた。




「……ッッ」
暗い天井へと手を突き出し、荒い息遣いで目が覚めた。
伸ばした手を、まるで自分のものではないように、ぼんやりと眺める。
「何だってんだ…」
気付けば、とっぷりと夜闇に包まれ、
していたはずの僧侶達の声も、何も聞えない。
静寂だけが支配する深夜。
汗でじっとりと濡れ、額に張り付いた前髪を邪魔臭そうに掻きあげる。
そうして襲い来る頭痛。
顔を顰め、頭を抑える。
「織らねぇよ…ッ」
胎児のように身を丸め、シーツを掴む。
「織らねぇっつってんだろーがッ!」
段々と増していく、頭を殴りつけられるような感覚が、全てを侵して行く。
「テメェなんざ、織らねぇんだよッッ!!」
ダン、とベッドを叩きつける。
それでも痛みは和らぐことは無い。



「なのに何故、俺を呼ぶ…」



こんな、無力な自分を。




情報を集める為、2、3日出かけることにした。
周りの人間は彼の身を案じたが、
はっきり言って、三蔵には織ったことではない。
大丈夫だと、身支度を整えた。
「ならば、三蔵様。あの山にだけは近付かれぬよう」
見送りに来た年老いた僧侶が、彼に忠告する。
彼が指差した先には、高い、岩山が見えた。
木々は殆どなく、岩だけで作られた寂しい山。
「アレが何か?」
「あの山は五行山。神々に加護されし山」
畏敬の念をもって、彼は言う。
「神?」
「例え三蔵様と雖も、神仏のお怒りには敵いますまい。ですから、どうか」
三蔵を莫迦にするでもなく、
本当に彼の御身を心配しているようだった。
「一応、聞いておこう」
ため息ついでにそう言うと、そのまま足を進めた。
情報集めが第一の目的。
歩いていれば、嫌でも響いてくる声。
その主が傍にいることを、何となく感じていた。
何故かなんて分からない。
感じるのだから仕方が無かった。
山道中を歩いていると、木漏れ日が目の前に幾つも降ってくる。
声を振り払うように、歩みを進める。



突然、劈く様な、声が頭に響いた。



あまりの声の強さに、三蔵は思わず蹲る。
「痛ぅ…ッ!」
見上げれば、ソコには高い岩山。
入り口を閉ざすように、幾つもの木々が道を遮っている。
道と呼べるものが、ソコには無かった。


『神々に加護されし山』


ふと、僧侶の言葉が甦った。


『例え三蔵様と雖も、神仏のお怒りには敵いますまい』


忌々しげに舌打ちをすると、三蔵は茂みを掻き分けて五行山へと足を向けた。



思っていたよりも急な斜面に、何度も足を踏み外しそうになる。
ガラガラと音を立てて、小石が地上へと降りて行く。
「…何で、俺が…ッ。こんなコト…ッッ!!」
息を切らしながら、一歩、一歩昇っていく。
何とか、開けた岩場に辿り付いて、ドカリと座り込んだ。
笠を外し、仰いだ。
見下ろせば、長安の都が小さく見える。
「…絶対ぇ、見つけたらぶん殴ってやる…」
高く昇った太陽を見上げた。
丁度、昼くらいの時間帯だろう。
やっと中腹と言った場所。
舌打ちすると三蔵は立ち上がり、再び登り始めた。



―――――



声ならぬ声。
段々と強くなっていく、己を呼ぶ声。
一体頂上には、どんな奴がいると言うのだろう。
何故、己から出向こうとはせず、ただ待ち続けるのだろう。
もし、己が出向かなければ、ずっとこの声が喧しく叫び続ける。
煩わしかったんだ。
聞きたくなかったんだ。
ただ、それだけだ。
それだけの理由なんだ。


他の理由なんて、欲しくない。




辿り着いた頂には、小さな祠があった。
途端、響き続けていた声は、ぴたりと止んだ。
傾きかけた太陽は、紅く空を、大地を染めていく。
注意深く祠を見つめると、何か、格子のような造りに気が付いた。

(…まるで、牢屋のソレのような…)

まさか、と思いつつもそれに近付く。
数十枚にも張り巡らされた呪符が、いやに目についた。
魔物でもいるのではなかろうか。
もしかしたら、自分はおかしな呪術に捕まったのではなかろうか。
そんな考えが廻っていく。
いつでも闘えるように、ジリジリと近付いた。
祠の中の影が、微かに動く。



最初に見えたのは、曇ることのない黄金の瞳。



息を呑んだ。
魔物かと思って近付いたのに、そこにいたのは。



(ガキ…だと?)



「誰…?」
小さく呟かれた、幼子特有の高い声。
ジャラ、と繋がれた鎖が音を立てる。
格子へと手が伸ばされた。
だから、思わず悪態を吐いた。
振り払うかの如く。
「…お前か。俺をずっと呼んでいたのは」
震える声を抑えて、振る舞う。
「へ?俺、誰も呼んでねーけど…」
不思議そうに見上げる瞳は、嘘などついていなくて。
「いいや、嘘だね」
それでも、嘘だと感じた。
「俺にはずっと聞えていたぜ」
まともに見るには、あまりに残酷な姿。
傷だらけの身体が痛々しい。
細い両手足を戒める重たげな枷。鎖。
「うるせーんだよ、いい加減にしろ」



あんなこと、言うつもりはなかった。



「だから」



殴ってやるんじゃなかったのか、俺は。





「連れてってやるよ。仕方、ねーから」





あの時、何故手を差し伸べたのか。
今考えても、分からない。
ただ、厭だったんだ。
あのガキを、あのままにしていくのが。
ちっとも、俺に似ているところなどないのに。



昔の俺がそこにいる気がしたんだ。



理由なんて織らない。
ただ、そう感じただけだから。




アイツが、俺の手を掴んだのだって、
本当は理由なんてないのかもしれないのだから。





この手にぬくもりを感じたとき。
止まっていた筈の時間が。


何故か。






動き始めた気がしたんだ。






END
あとがき。
三蔵殿の独白・・・とも違うけど。
何となく、書きたくなったのさ。
最近は、曲を聞いてオハナシ考えるのがオオイデス。
これは、『鬼束ちひろ』さんの曲が元。
『耳を塞いでも、叫び続けるから。』だっけかな。
きっかけになった歌詞は。

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