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麗かな陽気。 走り抜ける風は、心地よい。 「さて、ここで問題です」 八戒は、前を向いて運転したまま、 突然切り出した。 「?」 走っているジープの中で、 三人は同時に八戒を見やる。 「物には重力というものがありますよね?」 「そりゃ、そーだケド…?」 悟浄が躊躇いがちに口を開く。 八戒の『言葉』の意図が読めない。 そこにいる全員がそうだった。 だが、 八戒はそんな彼らの思いも知らず続けた。 いや、気付いているのかもしれない。 気付いていないフリをしているだけなのかも。 三人は明らかに後者を選んだ。 「だったら、ソレが高いところから落ちてくると、どうなると思いますか?」 それぞれの頭の中で思い描く。 物が落ちると言うのは、 重力だとか引力だとか、 それらの力があってこその働き。 普通に落ちてくるのならば、 ただ、『落ちる』という現象だけで済む。 そう。 済むのだ。 だが。 「落下速度がついて、持っている重量の何倍もの重さになって」 指を動かして、 悟浄は考え付いた『言葉』を途切れ途切れに繋げていく。 八戒は笑顔を浮かべたまま、 その『言葉』に頷いた。 「要するに、危険物になるな」 ため息混じりに言う三蔵。 つまらない、というように彼は目を閉じる。 「何?つまりどういうこと?」 悟空はさっぱり分からないのか、 前の席に乗り出して、八戒に尋ねた。 「つまりですね」 八戒は相変わらず、前を向いたまま口を開く。 よそ見されると、こちらの命も危ういのでそれで構わないのだが。 悟浄は、ふと頭上を仰ぐ。 蒼い空が目に入った。 ……だけなら良かった。 段々と、その悟浄の顔が蒼ざめていく。 悟空と三蔵はその様子に気付かず、 八戒を見やっていた。 「一体…」 何でそんなことを、三蔵はそう紡ごうとした口を閉じるしかなかった。 「こういうコトです」 『へ?』 音をなさなかった疑問を表す『言葉』。 八戒の『言葉』と同時に、 後部座席で凄まじい音が響いた。 「!?」 三蔵と悟空は驚いて後部座席を振り返った。 正しくは、悟浄の方を、だが。 「…八戒!!早く言えって前にも言っただろ!そーゆーコトはっ!!」 悟浄が悲鳴染みた声で返してくる。 何が起こったのか分からずに、 彼らはただ無言で見つめるしかない。 悟浄は、後頭部を抑えながらも、 片手は何かを支えている。 「った〜」 同時に聞こえた、高いトーン。 「…り」 パクパクと口を金魚のように動かす悟空。 ただ、目の前にある事実に頭痛を覚え、 こめかみを抑える三蔵。 額には血管さえ浮かんでいる。 「李厘!?」 悟空が叫んだときには、 彼女は起き上がって悟浄と悟空の間に座っていた。 擦ったのか、片膝を曲げてそれを舐めている。 「あ〜、もお、びっくりしたあ」 ウェーブのかかった長い髪を風が絡めていく。 李厘はどうやら飛竜から足を滑らせたらしかった。 だが、その飛竜の姿はどこにもない。 四人のそれぞれの思いも関係なく、 尚もジープは走り続けていた。 重たい雰囲気。 それは誰もが感じていたが、 誰もが口には出さなかった。 否。 出したくなかった。 が。 「何故貴様がココにいる」 走り続けるジープの中で、 三蔵が口を開いた。 一番空気を重くしていた人物が口を開いたため、 少しは安堵を感じる三人。 しかし、 怒りはひしひしと伝わってきているのも事実で。 「好きでいるんじゃないやい!」 李厘は、彼の『言葉』に反発する。 「なら降りろ」 「言われなくても降りてやるよ!!」 どうやら、彼女の機嫌はよろしくないらしい。 珍しいことだ。 闘いの中でも余裕を見せて、 しかも、楽しんでいる彼女が。 その感情を消し去っているのだから。 強い怒りではない。 弱い怒りでもない。 ただ、憤りを感じている。 そう、思った。 後部座席から足をかけて、 降りようとする彼女に三人は慌てる。 「ちょ…っ!」 悟浄は彼女の腕を捕まえて、 その場にとどまらせる。 「李厘、危ないですよ!落ち着いてください!!」 運転者という立場のため、後ろの状況が分からない彼は、 『言葉』だけで彼女を制する。 「は〜な〜せ〜っ!!」 悟空は悟空でただ見ているしか出来ない。 「さ…三蔵〜っ」 ので、三蔵に縋るように呼びかける。 一方、三蔵は言った本人にも関わらず、 我関せずとばかりに狸寝入りを決め込む。 「…煩くする位なら、大人しく乗っていやがれ」 諦めたように、ため息と共に吐かれた台詞。 呆れたように、でも良いかもしれない。 「三蔵もこう言っていることですし、ね、李厘?」 八戒がなだめるように声をかける。 「う〜っ」 釈然としない表情のまま、李厘は座り込んだ。 悟浄はほっと息をつく。 いくらなんでも、 誰かが走っている車から飛び降りようとする様など見たくない。 野郎ならともかくとして。 しかし、途端に静かになる彼女に、 違和感を感じてならない。 膝を抱えて、俯く。 何もしゃべらない。 「……オイ」 沈黙を破るように、 再び三蔵が口を開いた。 「言いたいことがあるならはっきり言え」 李厘は動かない。 悟浄が冗談めかして口を開く。 「誰かとケンカして家出〜ってわけじゃないだろな?」 「悟浄じゃないんですから」 蔑むような笑いを浮かべ、八戒が言う。 八戒本人にケンカという自覚は全く無いが、 八戒とケンカして、悟浄が家を出て行ったことが何度か、ある。 ケンカといっても、悟浄の一方的なもので、 しかも本気ではなく、その場の勢いで、というものだ。 まあ、子どもの典型的なそれと似ていなくもないのだが。 次の日、もしくは数時間すれば、何事も無かったかのように戻ってくる。 「昔のことだろっ!」 焦るように、悟浄は叫ぶ。 三蔵と悟空の前で、昔のことを掘り返されてはたまらない。 「言いたいことなんて、ナイ」 八戒と悟浄の会話を断ち切る、声。 その音は『無』。 何の感情も宿していない。 言霊とは呼べない、『言葉』。 顔を上げた彼女の面にも、 何も無かった。 いつもの無邪気な微笑みも。 不敵な笑みを浮かべた高慢さも。 「お前達に言うことなんて、何も、ナイ」 『無』。 音だけを宿した、『言葉』。 「関係ナイだろ」 突き放したような印象。 来るな、と。 敵に内情を教えるほど、 李厘は馬鹿でない。 それは弱点となりうる。 自分達の敗北を呼び寄せる結果となる。 大切な者たちを、 危険に晒す恐れがある。 今回、李厘が吠登城を飛び出してきたのは、 母親から大事にしていた本を目の前で切り裂かれた為だった。 ソレは八百鼡が李厘の為に、と作ってくれた、 世界でひとつのモノだった。 姉のように慕っている彼女からもらったモノが、 大切でないはずがない。 もう古くなり、所々綻びていた。 大事にしているが故、だ。 偶然、それを持っているところに玉面公主が通った。 『何よ、ソレ?』 イキナリ、取り上げられた。 『汚いわね』 その手で破られた。 『私の娘なんだから、恥ずかしい真似しないで頂戴』 引き裂かれる紙の音。 一緒に、想いまで引き裂かれた気がした。 ―――酷い でも、何も出来なかった自分はもっと嫌だった。 だから飛び出した。 抑え切れない、憤り。 でも、 敵にそんな事を話すのだって嫌だった。 だから。 「そうだな」 低い、言霊。 真っ直ぐな、 迷いを打ち払う『声』。 わずかに、彼女の目が見開かれる。 「俺には、お前が落ち込もうが、悩もうが関係ねぇ」 『俺達』。 そう言わないところが三蔵らしいというか。 八戒は苦笑する。 「関係ねぇ、が」 トン、と煙草のケースを叩いて一本取り出す。 カチリ、とライターを手にして火をつける。 吐き出された白色の煙。 肩越しに、後部座席を振り返った。 「目の前でそんなツラされると、こっちまで辛気臭くなるんだよ」 八戒の視線が、前方から少々離れた。 サイドミラーを見ているようだ。 ぎゅ、と李厘の拳が強く握られる。 「失せろ。目障りだ」 煩わしそうに、瞳を開く。 紫暗の瞳は、空を漂う雲を映した。 「……っ!」 鼻につく、煙草の香り。 悟浄も、悟空も、八戒も。 ただ、黙っていた。 「あのぉ…」 躊躇いがちに声をかける。 運転席の右隣を見やれば、 飛竜に乗った女性の姿。 「止まっていただけないでしょうか?」 八戒は、徐々に落としていたスピードを、さらに落としてストップした。 キィッと乾いた音が荒野に響く。 顔を上げた李厘の瞳には、 優しく微笑む八百鼡が映る。 「八百鼡、ちゃ・・・」 「お迎えに参りました」 手を差し出すが、 李厘はそれに触れようとはしない。 「李厘様?」 視線を合わせようとしない。 八百鼡は不思議そうに、彼女の名を呼んだ。 「行けよ」 冷たく、言い放つ。 「それとも、闘うか?」 敵同士なのだから当たり前だ。 闘わない理由など、どこにもない。 闘えない理由はあったとしても。 馴れ合いなんか御免だ。 もう一度、言う。 「失せろ」 李厘が飛竜に飛び乗ると、 八戒はエンジンをかける。 あ、と八百鼡は飛竜を飛び立たせる前に三蔵を見やった。 「三蔵殿」 呼ばれて、彼は眼だけを動かして彼女に視線を向ける。 「李厘様を傷付けられたら、私、許しませんよ?」 にっこりと微笑むと、彼女は飛竜を空へと舞い上がらせた。 「……」 おそらく、さっきの『言葉』に対してだろう。 彼の口が悪いとしても、 聞きようによっては酷く、残酷に聞こえることもある。 突き刺す刃のように。 「…知っていたんでしょう?」 八戒が、進路を進めながら三蔵に問い掛ける。 「何をだ?」 不機嫌そうに眉を寄せる彼に苦笑しながら、 八戒はハンドルを切る。 「八百鼡さんが迎えにきていたことを」 ガタン、と車体が揺れた。 だから、『失せろ』と言ったんでしょう? 彼は、暗にそう示した。 後ろの二人は、カードゲームをしているようで、 こちらの会話には入ってこない。 「…吐き出せる場所があるんだ」 やっとのことで、三蔵が口を開いた。 少々だが、間があったように思える。 八戒相手に虚勢を張っても無駄だと判断したのだろう。 「迷う必要なんざねぇだろ」 少し、驚いた表情を浮かべて八戒は微笑む。 「そう…ですね」 頷いて、また微笑む。 「…そうかも、しれません」 空を舞う飛竜。 振り落とされないように、八百鼡の後姿にしがみつく。 飛竜の背で、李厘はただ押し黙って。 「李厘様?」 「…ごめんなさい」 風にかき消されて、殆ど聞こえない彼女の謝罪。 聞き知っていたのだろう。 八百鼡は微笑む。 「李厘様のせいじゃないでしょう?」 ぶんぶんと頭を振り、 李厘はぽろぽろと涙を流す。 その顔を彼女の背に押し付けた。 「ごめん、なさい」 怯えるように、腹部にしがみつく両腕に、 彼女はそっと触れた。 「李厘様。貴女がいつものように笑ってくださった方が、私には嬉しいんですよ」 だから。 李厘は、もう一度呟いた。 また、笑えるように。 皆と、いられるように。 「…あり、がとう…」 小さく呟いた声は、 誰に向けられたモノだったのか。 彼女にしか、わからないけれど。 蒼い空に溶け込むような、静かな。 でも、確かな 『言葉』で。 END |
あとがき |
三蔵×李厘のお話です(一応)。 |