キスを、された。 勿論、初めてなんかじゃなくて、何度もしたことがあるキス。 ただ触れるだけの、キス。 なのに、何故だろう。 忘れられないようなキス、だった。 |
あなたのキスを数えましょう |
触れたのは、エドワードからだった。 いつもなら奪うように、不意打ちで悪戯でもするかのように掠め取るのはウィンリィで、 その後、真っ赤な顔で抗議するのが彼だった。 それでも初めてのキスはエドワードからで、 続け様にセカンドもサードも奪ってくれたのを憶えている。 味なんてするはずもないのに、 事実レモンの味もはちみつの味もしなかったキスは息も吐けないほど甘かった。 だが、それはその時だけだった気がする。 いつも通りのエドワードはキスも抱擁も滅多にしない、ウィンリィに触れようとしない。 絶対に結婚するまで手を出さないと断言した彼がキスすらも躊躇っているのかと思えば、 どうやらただ単にタイミングが掴めないのと、 極度の照れが災いしているだけのようだった。 だからこそ頬が熱を帯びていくのを厭が応にも感じてしまい、 ウィンリィは戸惑ってしまう。 エドワードへ自分から口付けるのとはワケが違うのだ。 彼が欲してくれたのだと理解するのはこんなにも困難だっただろうかと、 ぐるぐる回る頭で考える。 「ウィンリィ?」 つい今し方触れたばかりの唇に目が行ってしまい、 どうしようもない恥ずかしさが込み上げた。 年頃の女の子の柔らかそうな唇ではない、間違いなく男のヒトの唇でウィンリィのそれは捉えられた。 違うのだ、ここで照れるのはいつもエドワードで、決して彼女が照れる理由など無いのだ。 言い聞かせるようにウィンリィは早鐘のような鼓動を沈めようと必死になる。 黙りこくってしまった彼女を訝しげに見やるのはエドワードで、 かと言って、彼女が黙りこくってしまった理由など彼が知る由も無く。 もう一度名を呼び、覗き込もうとした彼の顔を思わず両手で押しやってしまったウィンリィは、 手のひらに触れた唇を感じて益々頬を紅く染めた。 ワケが分からない。 考えれば考えるほど、理由の分からない熱が身体中を侵して行く。 「おいこら、何すんだ!」 「や…っ」 両手を掴まれ、エドワードの顔が間近に迫れば逃れられないウィンリィは俯くしかなかった。 恐らく耳まで真っ赤に染まっているに違いない。 否、耳だけではないはずだと火照り始めた身体を忌々しく思う。 「な」 言葉を無くしたエドワードの目にはきっとそれがはっきり映っていて、 どんなに自分は情けない顔をしているのだろうと泣きたくなった。 「…見ない、で」 辛うじて搾り出した声は届いたのだろうか。 深いキスではなかった。 短く、触れるだけのキスだった。 挨拶程度の、恋人とも家族とも友達ともとれるようなフレンチ・キス。 なのに。 ―――エドからだって言うだけで、こんなにも恥ずかしいだなんて 不意に、ウィンリィは身体が傾くのを感じる。 腕を引かれたのだと理解すると同時に、彼の胸へと納まっているのだと気付いた。 「え、ど…?」 「んだよ、見るなって言ったのはお前だろ」 「そう、だけど」 顔は見えない。 見えないけれども先ほどよりも近付き過ぎてしまった距離に、 ウィンリィはまた鼓動が速くなっていくのを認めるしかなかった。 それは、彼女だけなのだと思っていた。 「調子、狂う」 エドワードがぽつりと漏らした台詞に、 え、と少女は顔を上げようとしたが彼の手に阻まれて顔を垣間見ることも出来ない。 頭を押さえつけられたまま、仕方無しにウィンリィはもう一度身を預けた。 (あれ?) 聞こえたのは、エドワードの心音。 ともすれば息遣いまでしっかりと届きそうなくらいに近い距離で、 聞こえないはずのなかった鼓動が今初めて耳へと届く。 「お前がそんなだと、調子狂う」 同じだった。 たった今ウィンリィが抱いているものとそれはまるで同じものだった。 上がっていく体温も、速くなっていく鼓動も、 だとしたら彼が感じているものも同じなのだろうか。 そうしてそれは、どうしたら確かめることが出来るだろう。 細い指が、エドワードの手の甲へと滑る。 ゆっくりと手のひらを重ね合わせ、指を絡めればぬくもりが伝わってくるのは現実の証だ。 彼が息を呑んだのが分かったけれど、離れる気は更々無かった。 ウィンリィは込み上げて来る笑いをどうにかして噛み殺す。 「…恥ずかしい、って思ったの」 でもそうではなくて、とウィンリィはエドワードの胸へと顔を埋めた。 「嬉し過ぎて、どうして良いか分からなかったのよ」 甘い香りに眩暈がする。 囚われているのはウィンリィで、エドワードで、 けれど捉えていることに気付かずに手を伸ばして想いを探す。 もどかしさも歯痒さも不快なものでは決して無くて。 「エドがしてくれたキスは全部、忘れられないから」 全部にどきどきして、わくわくする。 ウィンリィを抱く腕の力が失われる。 押さえられていた体制から元に戻ると、 真っ赤な顔で絶句しているエドワードが蒼い目にすっぽりと納まった。 不思議そうに首を傾げていると、彼の両手はウィンリィの顔をがっしと挟み込む。 唇が触れるくらいに近い場所でエドワードは口を開いた。 「…忘れろよ」 「やぁだ」 「忘れろって」 「やだってば」 本気で困っている彼が分かって、可笑しくなる。 恐らく彼の懇願は必死なものだったのだろう。 笑い出した彼女をエドワードはじとりと半眼でねめつけるが、 幼馴染であるウィンリィにそれは通用しない。 じゃあ、と仕方無しに1歩だけ譲ってみる。 「数え切れなくて、忘れてしまうくらいにもっとキスして?」 程近いところで、エドワードの琥珀色の瞳が見開かれた。 ウィンリィにはその様子がはっきりと見えた。 驚いた色を含んだそれは、思いがけないものを見つけたときの幼い頃と同じもの。 そうしてすぐに、嬉しそうに笑うのだということをウィンリィは知ってる。 胸の奥が、切ないくらいに締め付けられた。 唇が、重なる。 触れるだけではなく、触れ合わせる口付けに熱が溶けて行く。 唇が離れた瞬間に息を吐くともう一度触れて、何度も何度も繰り返す。 呼吸が乱れてきたウィンリィの身体を支えながら、エドワードは尚も口付けた。 「お前ってさ」 「う、ん?」 「…やっぱ、良いや」 言いかけた台詞を誤魔化すように、エドワードはウィンリィの唇を奪う。 少し前までは知らなかったはずの色の付いたキスにただ、溺れる。 もっと、もっと、と止まらなくなる。 細い身体を掻き抱いて、逃さないとでも言うように深く深く口付ける。 かり、と床板を引っかくような音が微かに響いた。 瞬間、目の端に映った黒いものにエドワードとウィンリィはびくりと身体を強張らせる。 2人が睦み合っていたのは扉に鍵も掛けられていない診療所の待合室。 交わしていたのがキスだけとは言え、決して軽いものではなかったことに冷や汗が溢れる。 恐る恐る視線を動かして、侵入して来た存在を確認して更にどっと力が抜けた。 「何だ、デンかよ…ッ」 「びっくり、したぁ」 乾いた笑いであははと顔を見合わせる。 ロックベル家の愛犬はくぅんと2人を見上げて尻尾を振った。 ついでに本当に誰も居ないか一応確認したが、 他の人間が居る気配が無いことに再び安堵する。 抱き合った体制を思い出した2人がぎこちなく身体を離した瞬間、 素肌の背筋を掠めた指にウィンリィは軽く息を呑んだ。 勿論意図されたはずもないのに、ぞくりと肌が粟立つ。 どうして自分ばかりがと思うと腹立たしくてエドワードを睨んでみたが、 当の本人は睨まれている理由に覚えが無い。 ウィンリィ、と呼んでみると真っ赤な顔で益々睨まれた。 「…えっち」 ぽかんとした表情のエドワードはウィンリィの言葉を口の中で反芻する。 やっと言葉が台詞として意味を持った瞬間、素っ頓狂な声を上げて抗議した。 「おまっ、何の言い掛かりだ!?」 「エドのえっち!すけべ!天然たらし!!」 「最後のは何だ!こら待て、ウィンリィ!!」 ばたばたと足音を立てて二階の自室へと駆けていくウィンリィの背中を、 半ば意地でエドワードは追いかける。 幼馴染の延長戦の恋心に色気も余韻も必要なかった。 必要なのだと言うのなら、そのときになれば必然的に求め合う。 想い合う心だけは+αで、他を無理矢理変えることもない。 だから今はもう少しだけ、もどかしい距離を楽しんだって良いはずなのだ。 忘れてしまうくらいと言ったけれど、どのひとつだって忘れられるはずがなくて。 触れた唇に頬が緩むのを気付かれてしまうのはほんの少し悔しいから、 重ねれば重ねるほど甘さを増していく蜜を集めて、いつか。 いつか、とびっきり甘いキスをしよう。 END |
あとがき。 |
雰囲気勝負で!(言い逃げ) |
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