拝啓 僕の大切な貴方へ。 貴方は今、笑っていますか?それともまだ泣いていますか。まだ僕はそこにいますか、それともいませんか? 君はまだ僕の側にいますか?僕のことをずっと憶えておくつもりですか?明日を見ていますか?未来を探していますか? 誰かを愛することを恐れていませんか? 聞きたい事は山程あります。気にしている事も同じくらい。でも、確かめられないからここでやめます。 君はまだ、誰かもう一度を好きになってください。君がそこにいる限り、幸せと感じて欲しい。 僕はまだ、君のことが大好きですよ。生まれ変われたら、もう一度逢いたいな。 無理かな。 |
『ユウビン』 |
あれは、冬休みに入ってすぐの事だった。 すぐと言っても、もういくつ寝るとお正月…を地で行けそうな日付。冬休みなんて短い物だし、年の瀬はやたらと時間が短く感じられる。 クリスマスは何か特別なことをする訳ではなく(と言ってもケーキはしっかりと作らされたが)のんびりと過ぎた。 あとは正月を迎えるのが一番のイベントになった頃、バイト先―――まぁようするに侑子さんの所にお客さんが来た。 その時俺たちは庭の掃き掃除をしていた。落ち葉が結構溜まってたし。適当にまとめ終わって、場所を移して落ち葉焚きでもしようかという話になった。 俺が裏のほうにちりとりを取りに行っているあいだに、お客さんはやってきた。 「あ、あの―――…えっと、すいません、その、あの」 門の所に立ち、がっしりとした見た目にそぐわないおろおろとした声を出して、お客さんは鞄の下げひもを握り締めていた。…でも、困り果てているのはまっとうな理由があった。おろおろした声もたぶん、てか絶対にその所為だ。 「四月一日ーっ!お客さんお客さーんっ!」 「困ってる困ってるーっ!」 理由:一番に反応(対応じゃない)したのはマルとモロだったから。 最初から庭掃除に飽きていた二人は、ちょっかいを掛けられそうな相手を見つけて物凄く嬉しそうだった。 そしてその喜びを体中で表すために手にしていた箒を放り出すぐらいの勢いで突進し、その人の周りを犬の如くぐるぐると回りだした。 人でも物でも、自分の周りをぐるぐる回られるとどうしても動けなくなるものだ。その輪が自分と一緒に動いてくれるか定かではないから、踏むんじゃないかなーとか色々想像するともう動けない。小さい犬やらハムスターやらの小動物を想像するとさらに厄介だ。 お客さんははやっぱりどうして良いか分からずに立ち尽くしておろおろしていた。―――よし。とりあえず追っ払うか。 「ってこらぁ!一番に困らせてるのは君たちだからっ!ほら離れるっ! すいません騒がしくて…どうしました?」 「あー。四月一日が邪魔したー」「四月一日邪魔ー」 二人をまとめて押しやってようやくお客さんに応対することが出来た。後ろの抗議するような声はもう放っておこう。 「…い、いえ。有り難う御座います…あ」 面食らっていたお客さんも、用件を思い出して顔を上げた。その顔がひどく怯えたように見えたが、まぁ仕方がないかもしれない。 ここに来る一般人というのは(俺含む)たいてい自分でもよく分からない内に来る事が多いのだから。 でも、その予想はどうやら違ったみたいだ。 がたいの良いお兄さんはうつむいて鞄を見下ろし、手を添えようとして止めた。そのまま手を握り拳に替えてもう一度顔を上げる。 「その…『侑子さん』にお届けものです」 「え?」 侑子さん宛てのお客さんだった。 ××* 「どうぞ。…ここへ来るのは始めてですか?」 「いえ、二度目です。去年もこのぐらいに…あの二人の反応はどうにも慣れないようで…」 …じゃあモコナには会ってないかもなぁ。 そう思いつつ、申し訳なさそうにしているお客さんに肩越しに振りかえる。 「それは仕方ないですよ。俺もときどきあの突拍子の無さに引きますから」 妙にきっぱり言いつつ廊下へと歩を進める。玄関でスニーカーから履き替えたスリッパで連いて来るその人は、やっぱり何度か鞄を触ろうとして止める。それで所在なさげになった腕が自然に下がり、また鞄に触れそうになって持ち上がる。そんな事を繰り返しながら歩く。 …落ち着きが無いな…それに、鞄に触りたくないみたいだ。 「その鞄、持ちましょうか?」 そう思って言い出した事だが、お客さんは三回まばたきし、唐突に飛びのくぐらいに驚いて叫んだ。 「え……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」 …え、なんでそこでそんなに驚くんですか? 心の中が表情に出ていたのだろう。お客さんは慌てて元の位置に戻って咳払いを一つ。改めてゆっくりと鞄を下ろして差し出しつつ、まだ不安そうに、 「その、いいんですか?」 「そんなに恐縮しなくてもいいんじゃないですか?」 受け取って軽く笑いかける。どうも緊張しすぎと言うか、怯えているようなきらいがある。 こちらが笑いかければ相手もなんとなく笑い返すようなのが日本人だ。お客さんもぎこちなく笑い返してくれた。 「早く早くー!」 「四月一日遅いー!」 「うおゎ!」 背中と鼓膜に衝撃! 少しだけ和やかになった雰囲気を鮮やかに消し飛ばしてくれた声と体当たりに驚いて振りかえると、俺の反応が楽しかったらしくきゃらきゃらと笑うマルとモロがいた。背後から足音も無しにタックルが来りゃ誰でも驚くよっ! 「遅いってあのなぁ!」 むしろお前等どこに行ってた?とは思ったが、そういう事を聞く前に二人は交互に喋りたてる。 「ヌシ様がね、今日お客さんが来るから、客間にお通ししておきなさいって」 「鞄は先に持って来てって」 「「早くってー!」」 …ってちょっと待て。ようするにお客さんが来る事は確定事項だった訳だな? 「早く言えよお前らぁっ!ってゆーか言われてたのにお客さんのまわり回って困らしてたのかよっ!」 「きゃー♪四月一日が怒るー♪」 「怖いのー!」 両手を握り合って笑いながら跳ねる様子はいつもどーりに人をくった物で、思わず拳を震わせた時、後ろから援護射撃。 『ぅ、ん…声にまるっきり怖がってる様子がないけれど…ほんとーに怖いの…?』 それは確かに俺もよく思う!むしろこいつらが本気で怖がることって何だ?!ってーかあるのか!? 「いっつもそーだよ!この人の言う通り…!――――あれ?」 …今の声、誰のだ? 声がどうも若いような気がして頭が冷えた。口調も今ここに居る誰とも違う。しかも何でかすごく眠そうだったぞ? 後ろを見ると、お客さんがすごい勢いで首を横に振っていた。 それはそうだ。さっき話していた限りで聞いたこの人の声はもっと低かった。この人が言ったんじゃない。心当たりもない。 ―――自然と、目が鞄にむいた。…ん?今もしかして動いた? 顔をお客さんのほうへむけると、ばっちり視線が合った。しばらく顔を見合わせ…結論を出した。 「…行きましょうか。侑子さんが待ってます」 お客さんはコクコクうなずいて帽子を両手で抱えるようにしてついてくる。 その時、今更ながら気付いた。その帽子と鞄に郵便局の〒マークが付いていることに。彼は郵便局の局員としてここに来ている。郵便局が、侑子さんにどんな用事があるというのか。 …まぁ、いずれ分かるさ。 その時、俺はものすごく軽くそう考えた。あとで体を使ってとても納得することをなんとなく予想していたのにもかかわらず、だ。 …あー。慣れって怖い。 ××* 「こっちー!」 「早く早くーっ!」 「え、あの?引っ張らないでください…ってうぉっ!」 何を思ったのかマルとモロが急にお客さんを両側から捕獲し、二人揃って走っていく。侑子さんに『出来るだけ早く』とでも言われたのか無意味に引っ張りたくなったのか知らないが、お客さん…郵便屋さんはいい迷惑だろう。 しかも声からすると角を曲がった辺りであの人がなにかに躓いたらしい。 急ぎ過ぎじゃないかとゆーことは思ったが、たとえあの人が転んでもマルとモロが潰れている所は思い浮かばないのは不思議だ。 「あの二人だからだろうな。っていうかむしろ引きずられたりしてないだろうな、あの人」 耳をすませば、歩いてはいるようで騒がしい声はまだ遠ざかる。…なら大丈夫と見ておこう。 意味もなくうなずいていると、後ろに気配が生じた。 「四月一日」 振りかえるとこの屋敷の主人、ヌシ様こと壱原侑子さんが立っていた。今日は暖かさを重視したふんわりとした服装だ。 侑子さんは、ついと鞄を指差し、 「それは出しておきなさい。起きてくれないとあなたが困るわ」 「え?」 言いつつ指差したのは大きながま口にしか見えない古い郵便鞄。〒のマークも剥がれかけて、くたびれていると言うよりは使い込まれている感がある。 大きく膨らんでいるけど、中身は手紙。だから軽いかと思いきや…以外に重いんだこれ。さっき受け取ってびっくりした。 ―――で、起きるって何が? 「開ければ分かるわ」 それだけ言って侑子さんは客間のほうへと歩いて行った。 「開けるって、この鞄をか?」 それ以外に開けられる物を持っているわけでもなく、ベルトを肩に掛けてがま口に手を掛けた。やっぱり大きいからだろう。がま口は結構硬かった。 ばかっ!という迫力のある音と共に開いた鞄の中身は、やはりぎっしりの手紙。しかし宛名は読めない物が大半だった。 手紙の大半を覆うような位置に大きな黒い塊が一つ入っていたからだ。 鞄の中に入っているせいでただの塊にしか見えず、なんだろうと思って…指先でつついてみた。 ふにゃっ 「うわ」 柔らかい。そして暖かい。どうも丸まっている動物のようで、そぉっと撫でてみると形がよく分かった。 ふにふにと柔らかいお腹があって少し筋を感じる前足があって不思議な感触の肉球があって…で、頭に猫耳。 「猫か」 真っ黒い猫が手紙の山の頂上でぐっすりと眠っていた。…ってかなり異様な光景だよな…。 結構貫禄のある大きな猫だけど、ちゃんと運動しているらしく引き締まった軽い体をしている。 しかし、何故にこんな鞄に入りこんで寝ていたとゆーのか…首根っこを摘み上げてみても四肢がだらりと下がるだけで、熟睡具合を確認できただけ。随分と良い根性をしている。大物って言っていいのかな…?まぁ鞄が見かけによらず重かった訳だ。 で、ふと気付いた。 「…って、こいつはどうすればいいんだ?」 また鞄の中に戻すのも気が引けたので、鞄を閉じてとりあえず抱いてみた。…それでもやっぱり起きない。 すごいねぼすけだ。どーやって起こせって言うんだろう? 肩に掛けるタイプの鞄というのは両手が空くからいい。呼吸とともに波打つ黒い艶やかな毛皮は触っていて気持ち良いし、何より抱えているとすごく暖かい。心臓の鼓動とはどうしてこうも安心するのだろう。 「…抱えられても寝たまんまって、猫としてそれでいいのか?」 広いようで短い廊下はあっという間に踏破でき、苦笑しつつも客間の襖を開ける。 ××* 「来たわ」 「あ、はい来ました、鞄です。…で、あとこの猫はどうしたらいいですか?」 開けた早々に説明みたいな言葉が聞こえたけど、適当に受け流しておいた。 猫を片手に移して鞄を下ろし、侑子さんに差し出すと、受け取らずに一瞬つまらなそうな顔を見せた気がした。…本当に一瞬だけだったから見間違いかもしれない。 客間には侑子さんと郵便屋さんの二人だけで、縁側に面した大きな窓のせいかどこか寒々しい。コタツが据え付けてあるが、二人とも入らずに正座し合っていた。たしかコタツは点けてあったはずなんだけどなぁ…。 表情を戻した侑子さんは俺の腕の中の猫を指差し、 「その猫ならコタツの中央にでも置いてやりなさい。熱さと息苦しさで這い出てくるでしょう。…これね」 最後の一言は郵便屋さんに対する言葉だった。 「はい」 郵便屋さんは手振りで鞄を侑子さんへ渡すように言いながらうなずいた。猫の処遇については言う事は無いらしい。侑子さんに差し出すと今度は受け取ってくれた。…次は猫を起こそう。 言われた通りにコタツのど真ん中の一番熱い所へ猫を押し込んでいる俺を気にも留めずに、客と主は話を進める。 侑子さんは鞄を静かに開け、中を確かめて目を細めた。郵便屋さんが緊張しきっている声で話し始めた。 「今年の分です」 「多いわね」 「こんなご時世ですし、毎年どうしても一定量はあるものですから…」 「そういう物だものね。無いよりは良いわ。ちょっと待ってなさい。…寒いでしょうから、こたつに入っていると良いわ」 そう言うと侑子さんは鞄を無造作に持って襖のむこうに消えた。 俺と郵便屋さんはまた顔を見合わせる。この部屋にはマルとモロも居ない。つまり、郵便局員さんと二人きりでただいま沈黙中。 猫が居ることは居るけど、ただいま意識がない。さてどうしようか? 「―――…コタツ、入りませんか?」 「…あ、はい。そうですね」 膠着状態を壊すのは結局俺。この人は放っておいたらいつまでも正座してここで固まっていそうだ。 ゆっくりとこたつ布団の中に足を滑りこませる。やっぱり暖かい。さっき抱いていた猫とはまた違うけど、こたつは別の方向で暖かい。なんとなく気が弛む。冬は暖かさも感じられるからある意味好きだ。 「…へんなところですね…」 ポツリと郵便屋さんが呟いた。我知らずといった雰囲気だったけど、本当に無意識だったらしい。慌てたように口を押さえて言い直した。 「あ、いや、奇妙とかそういうことでは無くて…不思議って言うか、妙な雰囲気があるというか、その…」 言いたい事は理解できて、それがとても言いにくい事も分かったから俺は苦笑した。 「…なんとなく分かりますよ。ここはそういう所ですから。 俺も時々そんな感じになりますよ。門の所で振りかえった時とか…ちゃんとここにあるのかって思ったりとか、ですよね?」 「あ…っ、ですよね!」 共感できる事が見つかり、コタツの中で二人で笑いあう事が出来た。郵便屋さんも結構楽にしている。 その時、布団の隅が小さく持ち上げられて黒猫の鼻先が出てきた。 猫ははまだまだ眠そうだったが、息苦しさからかのそのそと頭だけコタツ布団から出してきた。眠そうに細められた瞳は紺碧で、妙に印象に残る色をしている。猫はもぞもぞと両の前足を出してみて、しかし寒いのか身体までは出さずにそのまま目を閉じる。 「ねぼすけな猫ですね。さっき鞄から出しても起きなかったんですよ?…抱き上げたまま歩いても起きないって猫として大丈夫なんでしょうかね?」 言葉を選びつつも自然に笑うと、つられたように郵便局員さんも笑った。 「はは…、いつもそんな感じですよ。前なんか犬に吠えられても寝てたんですから」 「えぇ?そ、それは凄いですねぇ」 「でしょう?」 その後もしばらく話していた。 人懐っこそうな笑顔を浮かべるこの郵便屋さんは、今勤めている局に赴任したその日にあの黒猫…ろくさんに気に入られた事。 一日中ひっつかれて困り顔をしていたら、先輩に『そーか。今度はこいつか』とか何とか言われ、その年の年末に行かされたのがこのミセだった事。 その日はろくさんが恐ろしいほど走り回り、革靴で苦労したから今年はスニーカーで来た事。 …とまぁ、そんな事を色々。 笑い声に黒猫がちらと深い紺碧の片目を開け、俺を品定めでもするように眺めたが、小さく欠伸をして全身の力をもう一度抜いた。 俺はあんまり気にしていなかったけど。 「あぁ、ところであの手紙ってなんなんですか?」 「…え゛。……あ―――…」 郵便屋さんの視線が心持ち下がる。言うか言うまいか悩んでいる様子。 「いや、言いたくないならいいですよ」 「…言いたくないとかそういう訳じゃないです。信じてもらえないかな、と思っただけですよ。 あの手紙はですね、…ろくさんが山から弾いた手紙なんです」 「え?」 彼が目で指したのはコタツから頭だけ出して寝ている黒猫。郵便局にいて何をしているのかと思ってはいたけど、手紙を弾く仕事をしてる? ××* 郵便屋さんが話すには、『ろくさん』という名前のこの猫は、普段から起きている方が珍しいくらい眠っているし、気がつくと郵便局内の奥に居るくせに実はどこに住んでいるのかよく分からないという謎多き猫。そして、一番大きな謎でもあるのだが、彼には変わった癖がある。 時たま仕分け前の手紙の山から一枚だけ抜き取るそうなのだ。 この郵便屋さんも一度だけろくさんが手紙を抜くのを目撃した事があったそうだ。ろくさんがそういうことをした手紙は別の所に集めるという局の掟を知らなかった頃だったので、ただのイタズラと思って手紙を戻したのだが、何度山に戻しても同じ手紙を根気強く抜き取ってくる。 古株の先輩に『ろくさんが手紙に悪戯をして困っている』と報告をすると、すぐにその手紙を持って来いと怒鳴られたそうだ。 「はは…ろくさんの弾いた手紙って、皆特別な物だったんです」 「特別な物?」 「えぇ。私も先輩から聞いて驚きました。…あんまり言いたくないんですけど、」 その続きは聞けなかった。ふいに郵便屋さんとの間に鞄が差し出されたからだ。持ち主はもちろん侑子さん。片手に数枚の手紙を持っている。 「残りの分よ。普通の手順で配達して頂戴」 「侑子さん」 鞄はほとんど何も変わらず、侑子さんの片手にあるだけの数枚の手紙が抜き取られただけなのだと一目で分かった。 「あ、ありがとうございました。残りは大丈夫なんですね?」 「少なくとも危険は無いわ。あぁ、その猫は置いていってね」 コタツに半身入ってウトウト寝ているであろう黒猫を指差し、いつもの『代価』を言い渡す時の口調で告げた。 「ろくさんだけ…ですか?去年と違いますけど、ちゃんと帰ってきますか?」 「それは彼次第よ」 「―――じゃあ、大丈夫ですね。愚問でした」 郵便屋さんは迷い無く即答してきた。ろくさんは結構信用されているらしい。 「四月一日、玄関まで送って上げなさい」 用事は済んだようだ。郵便屋さんの表情がほっとしたようにゆるんで見えた。 「――――有り難う御座いました。来年もよろしくお願いします。…それでは、良いお年を」 門の所でちょっと帽子を持ち上げて会釈し、三重の挨拶を言ってその人は去っていった。最後の言葉を言う頃には来た時の怯えは微塵も無くなっていた。 来た時とは見た目のほとんど変わらない古ぼけた鞄を肩にさげて去っていく後ろ姿は、革靴ではなくスニーカーを履いているところを除けば本当にただの郵便屋さんに見えた。 いつのまにか玄関口に立っていた侑子さんの手にはもう手紙は無かった。 「…侑子さん」 「なぁに?」 「あの人、普通の人ですよね?」 「あの人はね」 さらりと言い放ち、侑子さんは居間に戻って行った。―――と、くるりと振りかえり、 「あぁ四月一日。いつもの部屋から白い袋を持ってきて」 「いつも侑子さんがいる部屋ですか?はい、分かりました」 ……郵便屋さんはもう怖くなかった。という事は彼女が抜き取ったあの手紙が彼の恐怖の対象だったという事だと…気付いてるー?四月一日少年。 ××* 「持ってきましたよ」 いつも侑子さんがいる部屋にあった『白い袋』は麻のようなざらざらした素材の布袋だった。あまり大きくも小さくもないが、妙に分厚い布で出来ているのが特徴と言えば特徴。開け口に通してある紐を結ぶ巾着タイプだが、随分とぞんざいに紐が結ばれている。 少しずっしりした重みのある中身みたいなのに大丈夫なのか?…って言っても布が厚くて中身の形すら分からないんだけど。 「有り難う。それじゃ、それ持ってお使いに行って来て頂戴」 「…お使いですか?」 なんとも改まって来たものだ。いつもなら品物だけ言って『よろしくー!』なのに。 「そ。――――商店街を二往復して来て」 「………………は?」 「よろしく♪」 …結局あまり変わらないようで。よく分からない指令もいつも通り。 反論できる立場も理由もないので、うなずきながら三角巾とエプロンを外した。代わりのように袋を担いで靴を履く。 「それじゃ、いって来ます」 「なるべく早くねー」 「「いってらっしゃーいっ♪」」 「がんばれよー!」 三人と一匹(?)というちょっと他ではお目に掛かれない組み合わせでのお見送りを受け、そしてその言葉にちょっと違和感を覚えた。 「ん?って待て、最後のはなんだモコナ?!」 「にしし♪」 結局教えてくれなかった。 ××* 「なんかあの笑顔で送り出されると不安になるよな――…」 手渡された袋を肩に掛け、商店街の一往復を終えた頃。 特に何事も無い事に不信感を覚えつつもまぁ平穏が一番かなーと商店街の店先を眺める。ついでだし。 …そろそろおせち料理を考えたほうがいいかな?侑子さんは絶対に『作って来い』って言うだろうし。 ミセに出入りする前は一人でそんなイベントごとをやるのは手間が掛かるので本格的には作っていなかったが、侑子さんやモコナやマルやモロ(ひょっとしたらひまわりちゃんも)…まぁ百目鬼は関係無いとして。食べる要員がたっぷり出来たおかげで、そういった手間もあまり苦ではない。 この間のクリスマスだって、結構楽しかった。…まぁ結局は酒盛りのどんちゃん騒ぎだった訳だけど。…でも、楽しかった。 ああいう平和な騒ぎっていうのは何回あっても良いと思う。 が、まぁそんな平穏は問屋が卸してくれる訳がなかった。 ふと、背後から声が聞こえた。 『四月一日君尋くんか…じゃあ四月一日少年でいいね?』 「は?」 若い少年のようなくぐもった声で放たれた前後の脈絡が全く無い言葉は、ちょうど背中の袋の中からしていた。 俺は一瞬考えた。とりあえず今の所悪寒や体調不良は無いし、なにより侑子さんが預けてきた袋だ。少なくとも悪い物は入っていない筈。 前に持ってきてぶら下げ、話しかけてみた。 「…誰だ?」 『んー?気にしない気にしない』 ニヤニヤした声で答える内容は袋の中に居ることを否定しなかった。 「気にするなって…怪し過ぎるぞ…?」 ほどけかかっていた紐をほどくと、中を見てみようかなーと一瞬思った。 しかし侑子さんが封をした物を開けるというのは蛮勇行為だと刹那に思い直した。そこまで人生捨てちゃあいない。 素直に結び直――――そうとして気付いた。紐が結んであってもなくても変わらない。むしろ、ひらかない。布袋としてありえないほどぴったりと閉まり、こじ開けようとしてもまず無理だ。袋を破いたほうが早いと思う。 「え?」 『あー、開かないだろう?そーゆーモノだから。…でさー、ちょっと後ろがヤバそうだよ?覚悟してから振り返ってみな?』 「……………………」 袋の中という外が見えないはずの位置から“後ろがヤバそう”&“覚悟して振り返ること”と来た。…こんなパターンは助言に従うが吉。素直に振りかえった。 「後ろ?」 ―――――――物凄くでっかい金色の目玉と眼が合った。ちなみに目玉の後ろには紫っぽいぐにゃぐにゃした身体があって、ついでに団体さんだった。 「で…――――――――…うぇっ!!?」 ドでかい目玉に真正面からぴったりと視線を合わされて、背筋に氷が走ったようなもう二度と体験したくなかった感覚を思い出した。 …なんでこんな近くに来るまで気付かなかった?! 追いかけられてこの距離になった事は幾らでもあったが、ここまで近づかれたのは久々だ。 グロテスクという言葉を体現したモノを目にした寒気と、その距離に対する怖気で引きつった俺にのーてんきな声が掛かった。 『ほら走れ四月一日少年!あれらの標的は君だぞーっ!商店街のお散歩の残りは一往復かな?』 走った。 商店街のど真ん中がスタートライン。確かに残りは一往復だが、時間は半分で済むだろうさ。あぁ。でもンな事ちっとも……! 「うーれーしーくーね――――っ!!!」 『四月一日少年元気だねー。そして声でかくない?』 顔の見えない声に盛り下げられつつも、追いかけられているお陰でセルフにテンションは上がって行く。周囲の目を物ともしないのは環境による慣れと不可抗力(いつもの事だし気にしてられるか)だ。 しかし、最近はこうやって追い掛け回される事も少なくなって来ていたので久しぶりではあった。できればその勢いのまま一生そんな事無くなればいいのになぁと思っていたが、思わないほうが良かったのかもしれない。 冬もだいぶ深まっていたが、やはり陽射しを浴びればぽかぽかしてくるし、走れば暖かい。散歩には最適な適度に寒くて良い陽気の落ち葉が入り込みまくっている商店街通りでも爆走すればむしろ暑くなった。―――って言ってもあれだよ。嬉しくない。 ××* ぴりりりり… 音がした。わずかな振動と共に機械が作り出す歪な音色が。幾つかの音が一塊で鳴り、グループとなって連続して響きつづける。 早く手に取れ、早く繋げと喚き続ける。 …音?えーと…あ、携帯。 その音が自分の携帯電話の呼び出し音だと気付くまで数秒かかった。コートの胸ポケットからいくらか手間取りつつ取りだし、 「電話っ?!誰だよこんな時に……!」 覗いた液晶には、一人の女性の名前が書かれていた。 ―――壱原侑子。 ボタンを押すのに躊躇いは無く、むしろコンマ一秒すら許せないほどの最速スピードで耳元に当てた。 「はいこちら四月一日っ!ただいま元気に商店街のアーケード下を爆走中ですよおかげさまでっ!侑子さんっ!何ですかこれはぁ―――っ!?」 『何って…ただの手紙よ?』 「それってさっきのですよねぇっ?ただの手紙持って出たぐらいで誰がこんな面白爆走レースに参加しますかぁぁぁぁぁっ!!!」 『…四月一日だものねぇ。いつもながら凄いわ』『さっすが四月一日だなー!』『『速い速いー♪』』 「――――――――…………」 四人からそれぞれに全く嬉しくないコメントを賜った。どうしてやろうかと一瞬本気で考え、携帯電話を握りつぶす所まで行ったらしい。ミシリと嫌な音がしたので慌てて手から力を抜いた。 『そこから一番近い公園まで行きなさい。そこまで行ったら袋は開くわ』 「公園?」 そう言えばこの近所に小さいながらも公園があったような気がする。そこまでの道を頭に描き、 「…本当ですね!?」 『あら。私の言葉を疑えるの?』 「………………」 あぁ…確かに疑うとかそういう次元じゃないよなぁ―――… 電話越しであるにもかかわらず何処かに逸らしたくなる目線をしっかりと前に固定し、走り続ける。止まれば後ろのアヤカシにとっ捕まるのが目に見えていたからだ。 「信じてますよ、勿論!」 その一言で電話を切った。あとはもう走るだけだ。袋を抱えなおし、もうすぐ途切れるアーケードを仰いでから前をむく。 「くっそぉ…なんでこんな中途半端な年末にもなって爆走する破目になるんだよ――――っ!!!!」 『…んー、そりゃま、四月一日少年だからじゃない?』 「なんで顔も合わせた事もないやつからそんな理不尽な理由を掲げられなきゃいけないんだよっ?!」 とりあえず体力だけは無駄と思えるぐらいにある事が嬉しいのか悲しいのか。 叫びながらの疾走でも別に平気なのはやっぱりよく追いかけられてたからなのかなぁ… ××* 走り続け、いい加減嫌になってきた頃にようやく目的地が見えてきた。 団地と住宅街の境目に位置するこの公園は、どちらの住人からも好かれていないのかそれとも別の意志でも働いているのか人が全く居なかった。 「公園っ!ここだよな?」 ずざー、と靴に悲鳴を上げさせながら急激に制動をかけて、入り口にある簡単な柵を掴んで九〇度以上身体を回転させて飛び越えた。それについて来れなかったのか大半のアヤカシがそのまますっ飛んで行く。 …とはいえ、すぐに戻ってくる。できるだけ奥へと走る間に袋の紐をほどく。 「開けよ…!」 侑子さんのお墨付きだ。開かない訳はなかった。 さっきあれだけやってびくともしなかった口がするりと中から開くかのように開き、中から黒い物がひょこりと出てきて前足を上げた。 「よぉっ」 黒くてもどこか艶のある毛並みにしなやかな体、一番印象的な紺碧の瞳には見覚えがあった。 「…さっきのねぼすけ猫?」 一拍置いてから、何かが恐ろしい勢いで黒猫の頭を飛び越してきた――――ただの『手紙』が。 ぃんっ! 「うぉわあぁぁっ?!」 顔の横1cm足らずの所を紙が掠め、思わず俺は袋から手を放した。 「落とすなよぉ、四月一日しょーねん」 声はやはりこの猫だったらしい。ひょいと軽い動きで落ちる袋から抜け出し、服を伝ってコートの肩まで登って来た。 「だいじょぶだって。手紙はあれだけだよ」 耳元でささやいた黒猫の言う通り地面に落ちた袋にはもう何も動く物は入っておらずぺしゃんこで、『動く物』の側だった数枚の手紙は公園の中空に浮かんでいた。 数秒にも満たない間ふらふらと滞空していた手紙は、それぞれ別の方向へ行き先を定め、散らばるように飛び出そうとした。 何かを目指すように。 そしてその瞬間に――――飛びこんできたアヤカシに喰われていた。 「――――…なっ?!」 団体のアヤカシは、絡まりあって境界線すら解らなくなるほど固まって突っ込んでいった。 刹那の間に一枚の手紙は半分になった。一枚はすでに無く、残りはどこかしらが抉られていた。 一瞬だけ見えた手紙の最後の形はそんな物だった。その後はアヤカシが群がり、俺の位置からは見えなくなる。ぐにゃぐにゃと動くアヤカシの後ろ姿は夢中の一言に尽きた。大口を開け、たとえ一部他のアヤカシまでもを食い千切るとしても躊躇い無く食い掛かる。 さらに食らい付くアヤカシに俺は見えていない。全てのアヤカシは眼前の手紙に夢中で、へたり込んだ人間なんぞ歯牙にもかけない。 「…大丈夫。あの手紙は特別でね。あーゆー手合いには酒みたいなもんさ」 黒猫の言葉を裏付けるように、争うように手紙を貪っていたアヤカシは、手紙が無くなった時点で突然動きを止めた。狂ったように蠢いていたのがまるで嘘のように緩慢な動きでお互いを見合う。そして示し合わせたようにすれ違った。 俺が唖然としている間に公園は様変わりして行った。 アヤカシ達は、ふらりという、まさしく酔っ払いのような動きをして、見る見るうちに離散してやがてどこかへ行ってしまった。後には何も残らず、食い散らされた手紙は紙片すら残されていなかった。 始めて見る光景だった。 「おーいってばー。四月一日少年?」 ぺしぺしと頬を叩いてきた紺碧の瞳の黒猫は、瞳を細めてもう一度名前を呼んだ。 「四月一日少年。ほら立って。帰らないと」 「…なんで?」 「魔女から言われたお使いは達成したでしょ?」 「…あぁ」 商店街を二往復。店まで帰ることで複が二回目だ。 ××* 黒猫を肩に乗せ、袋を丸めて手に持って家の隙間を歩く。 俺の歩調に合わせてゆったりと揺れる黒猫は、たまにぺしぺしと肩を叩く。それをきっかけにして俺は口を開いた。 「…あれ、なんなんだよ?」 ひょい、と猫が頭を上げた。んー、と呟き、上目づかいでどこかを眺めて考えてから答えた。 「手紙。…遺書だよ」 「遺書?」 「死を覚悟した時に書かれた手紙。その上、何かを伝えたいって言う強い思いを持ってる人が書くとあんな手紙が出来上がるのさ」 あっさりしているような、悲しんでいるような、謳うような、呟くような。表情の付かない声はその分虚ろで落ち着かなかった。 「強い思いは力を持ち、その力を紙に言葉として映せば、言霊の力すら加わったその手紙は当然強い力の塊になる。 それはアヤカシにとってはまさしくお酒。 いや、むしろ麻薬に近いかもしれない。強すぎる人の思いは毒に近い…濃すぎるんだ。 死を目前にして、それでも伝えたいという思いは強く、切ないほどに狂おしい言葉の手紙となってアヤカシを引きつける。彼等が会いたい人の元へ、その彼等が危険を連れて行かせる訳にはいかないだろう?」 そんな理由で、この碧眼の黒猫は手紙を弾くのだと言う。伝えたい事があるのは解っている。だからこそ届けてはいけないのだ。 「時間を置いても落ち着いてくれないほどに強い手紙は、こうして処分してもらうしかない。…人の想いを踏みにじる事だけどね。 落ち着いてくれたまだ弱い手紙は軽くお払いしてもらって、動きを封じた上でちゃんと届けてもらう。ときどきあるでしょ?行方不明だった手紙が見つかって、遅れて届けられるって。 年末まで溜め込んで、魔女の所へ持っていってどちらなのかを判別してもらうのさ。」 「…郵便局ってそんな事してたのか?」 「いや?多分ウチだけ。その所為かそういう関連はぜんぶこっちに流れてきてるけど」 局員が持ちかえった手紙の消印は全国の物があるという。それこそ沖縄の過疎地の郵便局の消印と、大阪の新幹線が見物できるような所の局の消印と、北海道の牛が見守る局の消印のついた手紙…その全てが同じ鞄に入っているとのこと。 「そこらの雑魚いアヤカシなら僕が何とかできるから。 そんな弱い奴なんかよりも、強すぎたヒトの思いのほうがよっぽど恐ろしいよ」 ヒトのほうが恐ろしいと猫は呟く。ミセに出入りするようになってからよく聞くようになった言葉だ、とぼんやりと思う。 「人って、そんなに強いか?」 「ヒトが強いかは個人差。でも強く願う事はそれこそ誰にでも出来るから。…そこが一番怖いとこだろうね」 俺の肩にかぶさるように乗り、歩調に合わせて揺れながら遠い声で告げる。 耳元でそれを聞きながら、商店街にそって住宅街を歩きつづけ、ふと思い立って聞いた。 「そう言えば、侑子さんへの代価は?なにも持ってきてなかっただろ?」 「うん?…ふっふっふっ。我が郵便局の七不思議の筆頭を舐めるな!帰ったらその丸めてる袋を逆さにして振るする事♪」 楽しげな声と共にぱたぱたと後足で背中を蹴られた。こういう所はまさしく動物だ。 …しかし、ここに居る猫が七不思議。喋るあたりは入ってるのか? 「まぁ、逆さにするのは家に帰ってからでいいよ。今日の実働は君だったからね。たぶん四月一日少年が受け取ると思うよ」 「…?」 ××* ミセの前まで来ると、ここでいいと猫がいきなり言って来た。 「え?侑子さんには会っていかないのか?」 「さっき会ったし。あそこにいるとお酒呑まされるからさぁ…」 くたっと体から力を抜き、ぼやくような口調で言った。 「あー」 酒が苦手ならば年がら年中酒の匂いが必ずあるあそこは確かに苦手かもしれない。 「それじゃ、今度会う時は来年の年末だね。魔女に、いや侑子によろしく」 ミセの前までだらだらとぶら下がって喋ってきたが、門を通る前にぴょいと門柱へ飛び移った。 しなやかに柱の上で身を回してこちらむきに座った猫に、俺は別れの挨拶の前座として話しかける。 「なぁ、来年もあの人と一緒に来るのか?」 「一年経っても逃げてないから…たぶん彼だね」 前足をぺろりと舐めて顔を拭った。猫の表情と人間の表情は違うから、感情を表すのは声だけ。その声は少し笑っているような感じがした。 「でも俺は来年の年末にいるのか分からないけどな」 「あぁ、バイトくんなんだっけ。―――…でも数年は平気で居そうな気がするよ?」 「…そ、そんな予言じみた事言うなよっ!」 しかも喋る黒猫なんぞとゆー当たりそうな見かけのに言われるときつい物がある。本当に来年もここで掃き掃除してそうで怖い。 「はははっ、天上の意思のお告げさ♪まーバイト頑張れ!」 くるりと歩き出して、肩越しの笑い声でそう言って駆け足で角を曲がって行った。黒い尻尾の先が捻れているのにその時始めて気付いた。 「彼も大変ね」 急に後ろから声がした。侑子さんだ。 「侑子さん。―――…大変って、あの猫のろくさんですか?」 「…どうして名前が『ろく』なのか分かる?」 にやりとしたいつもの笑い顔でそう聞いてきた。さっきまでのお喋りで由来なら聞いている。 「黒いから『くろ』を逆にして『ろく』…自分でそう言ってましたけど?」 それ以外にあるのか? 「それもあるわね。 四月一日、2×3は?」 「6ですね」 「それよ。アレは文の神だから」 …文を二三(フミ)と読んで、2×3=6→ろく。 「……え………はい?つまりはあの猫って神様ぁ!?」 「あら。そんなに驚く事じゃないわ。日本には元々八百万の神々が居たって言われているのよ? その袋はあげるから。おせち料理の用意もあるでしょうし、今日はもう良いわよ」 あっさりとした説明だけして、その後は驚いた声にはもはや全く取り合わず、問答無用でおせち料理を持ってくる事を命じて、侑子さんは笑いながら身を翻した。開いた縁側にはマルとモロ、そしてすでに熱燗を覗き込んでいるモコナが居る。俺が帰ってくる前にもう酒盛りを始めていたようだ。 冬になり、どこか遠慮がちになった風は俺だけに触れて行った。 ××* 家に着き、鍵を閉める。 また妙な経験をしたなぁと思いながら手の中の布袋を見下ろした。 「…物…入ってるのか?」 厚手の袋は中身の形がよく分からない。とりあえず言われた通り逆さまにしてみた。 ぺしゃんこに思えた袋から転がり出てきたのは、以外に大きな縄飾りと手のひらサイズの硬い紙片。 「しめ縄…と、手紙か」 それはお正月になれば色々な所で目にする、神を迎える準備として悪さをする物を締め出す縄。 今ではすっかり形骸化しているけど、元々は結界の基礎ともなる物だって聞いた。正月は本来神を迎え入れる儀式なのだとも。 裏返った紙片をひっくり返すと、妙に丸々とした字で一文のみが書かれていた。 『ご利益付きだから。byろく』 万年筆で書かれたなんとも簡潔な言葉。思わず小さく笑い、これを書いている黒猫を想像した。 「あの手でどうやって書いたんだか…。 でもすごいな、神様のご利益付きのしめ縄か。今年の正月は静かに過ごせるかな」 文の神のお墨付きのご利益の確かなしめ縄。確かに代価になるだろう。 今年はピンポンダッシュも減るかもしれない。―――触れなくて捕まえられない犯人は本当に困るんだよ。うん。 …そこではたと気付いた。 「そんなもんを俺なんかに渡してよかったのかな。代価なんじゃ…」 でも、思い浮かんだのは笑顔で身を翻した侑子さんの姿。 「…………」 もう一度笑い、靴箱の上にしめ縄を丁寧に置いた。これを吊るすのは正月になってから。 「さてと。おせち料理でも作ろうかな」 侑子さんからも頼まれた事だし、今年は少し凝った物を作ってみようかと思う。 「お重はどこら辺に仕舞ったかな…?あ、その前に買い物か。おせち料理の食材はさすがにストックが無いしな…」 財布だけポケットに突っ込んでドアを開ける。 靴箱の上のしめ飾りに一瞬動きを止め、一度だけ軽く叩いてから外へ出た。 やっぱり今日は冬だし寒い。夜になればもう少し冷え込むだろう。 そうだ、郵便局にもおせちを持って行ってみよう。ろくさんには…一応見かけは猫だし、少し味を薄めた食べやすい物を用意して。 年賀状を捌くので一杯一杯になっているであろう郵便局にも、せめてそれ以外で正月気分を届けてみよう。 明日、俺は何をするんだろうか。 |
カンシャのキモチ。 |
| 氷紅梦無さまから頂きました。 我儘言って、絶妙な『×××HoLiC』小説をば! 四月一日君が四月一日君らしくてピンポイントにツボです。 うれしくねー!!と叫んで疾走するところなんか、もう惚れろって言わんばかりです(言ってない)。 マルとモロも可愛くて、侑子さんもしたたかであぁんもうっっvv うへへへへへ、猫さん触りたい。 四月一日君のおせちに肖りたい。 雰囲気に合わせて書体もいつもと変えてみました明朝体。 タイムリーな小説をありがとーございました! |
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