ざくろ  
柘榴







赤い、紅い、果実。
口の中で弾けて甘酸っぱさが広がった。
ぎっしりと詰まった小さな実の透き通った紅はまるで。


(まるで?)


まるで、そう
―――…。


(何だって言うんだろう)


幼子は頭を振って、手の中の果実を半分に割って齧り付く。
小さな種は飲み込んでしまった。
ぼろぼろと零れていく雫は紅玉を思わせる。


―――黄泉戸喫


(何だっけな)


不意に浮かんだ単語に首を傾げることも出来ない。


―――って言うんですよ、ソレ


(誰が言ったっけな)


口の中に広がったはずの酸味が徐々に甘味を増していく。
それに慣れようとしているのか、溶けようとしているのか分からなかったが、
確かに幼子の中に吸い込まれているのは感じた。
じっと、手の中を見つめる。
口にしたが最後、二度と戻れなくなる、と聞いた気がした。


―――嘘吐け、東洋西洋ごっちゃにしやがって

―――グローバルって言って下さい。それに、根本は同じですよ


(同じ)


何が、とは思わなかった。
否、思えなかったのかもしれない。
考えるのが恐かった。


(恐い?それこそ何が)


握り締めると、紅い果汁が指の間を滴って地に落ちる。
ぽたり、と黒い染みが大地に浮かぶ。
ぞくり、と背筋から這いずり上がる心地悪さ。


―――こんなものでは無かった


(何が)


―――あの時、目の前に広がった紅は


(あの、時…?)


―――伸ばせなかった、この腕は


「止めろよッッ!!」
幼子は織らず叫ぶ。
誰に対してでもなく、自分自身に。
目尻に浮かんだものを手の甲で拭い、ずきずきと痛む胸をどん、と叩く。
けれど治まらない。
内側から滲み出してくるかのような痛みは幼子を確実に侵食していく。
「分かってるよ…分かってんだよ!!」
幼子は叫ぶ。
それは弁解ではない。
ただの叫びだ。
己すらも納得出来ていないただの。
「仕方無ぇじゃん!俺に何が出来たってんだよ!?」
握り締める手からは、明らかに果実から溢れたものではない紅が滴る。
仕方が無い。
自分で口にしたと言うのに、何と白々しい台詞なのだろう。
これっぽっちも思っていないくせに。
未だに、諦めきれてなどいないくせに。
言葉にすればするほど、それらは虚ろの色を宿していく。
意味が無い、そう思った。
ワケの分からない焦りと、恐怖と、虚無感。
その内のひとつも説明すら出来ないと言うのに。
「ごめ…」
そうして、ワケの分からないままに口にしようとした瞬間に遮るものがあった。
音、では無かった。
言葉、でも無かった。


けれど確かに聞こえた、声。



―――安心しろよ



心の奥から溢れてくる声にならない想い。



―――誰もテメェになんざ、これっぽっちも期待して無かったんだからな



幼子はゆっくり、ゆっくりと振り返る。
意中のものを目にした途端、風が一斉に吹き荒れる。
全てを、かき消すように、覆い隠すように。
春の雪が一面に舞い踊った。
とうとう堪えきれずに頬を伝うものを感じたが、構わなかった。
その面影を一瞬にして忘れてしまったとしても構わなかったのだ、きっと。


足元に散らばった柘榴の実が、紅い影を宿して揺れた。




end





あとがき。
黄泉戸喫と言う言葉を使いたかったんです。
柘榴はヒヤシシンスの話だっけなー?



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