「学校は行ったほうがいいよ」

私は行けなかったから。
そう、付け加える彼女。
たった、それだけの言葉に、
俺はまた学校へ行くことを決めた。
煩わしいだけのところだったのに。
教師達は、
親が医者だということで、
俺にそれだけの能力を求める。
生徒は生徒で、
俺を不良だと思って、近寄らない。
ケンカを売られることもよくある。
そんな、つまらないところ。

まだ、目標なんてない。
何となく行っているだけ。

でも、昔よりは気が軽くなった。
気のせいかもしれないけれど。



学校での昼休み。
クラスの女子が話しているのが耳に入った。

「でさ、そこの角においしいケーキ屋さん見つけたんだーvトッピングも可愛いのよ」
「ホント?食べに行こうよ」

昼食もとったし、
いつもだったらこのまま図書館にでも行って、
昼寝でもするんだけど。
俺は、半分無意識で彼女たちに話し掛けていた。
「なぁ」
「え?」
笑いながら話していた彼女達が顔を上げて硬直した。
そんなことには慣れている。
が、笑った顔のまま硬直している表情も珍しい。
「な、何…?」
怯えるような瞳で、
彼女達は返事をした。
「それって、どこにある?」
「えっ?!」
質問の意図がわかっていないらしかった。
多分、『それ』が何を指していたのか。
もちろん、俺が言ったのは。

「そのケーキ屋」

さらに硬直する彼女達の顔。
いや、クラス全体の雰囲気。
とりあえず、俺は気にしてなかった。
「え…っと、校門出て、右に行って最初の曲がり角のところの…」
怯えながら教えてくれる彼女達に、俺は苦笑して礼を言った。
「ありがと」


その後、数人の女子がこんなことを話していたのを、
俺は知らない。
五限目の授業に行こうとしているのか、
手には教科書を持っている。
廊下に、女子特有の高い声が響く。
「あ〜、ビックリした!」
「でも、さ」
「何?」
5人ほどだろうか。
時々、教師が注意する瞬間を狙って目を光らせているが、
彼女達は気付かない。
「何か最近、雰囲気変わってない?」
「あ、思った」
「柔らかくなったって言うか」
「あ、もしかして…」
「え?何?」
「彼女でも出来たとか!」
「あははは」
一斉に笑い出す彼女達。
ぴたり、とその笑い声が止まる。

「…そーいうコトか」

などと、噂されていたらしい。
あとから聞いた話によると。



俺は、家に一度帰って着替えた。
例のケーキ屋に寄って、
いつものように紗倖の屋敷へ行った。
お茶請けを買っていくのは、俺の役目で。
大体、紗倖も俺も甘いモノは好きだったし、
時々リクエストを聞いたりして、
その日のお菓子を決める。
木が植えられたレンガ造りの塀の向こうが庭になっている。
塀と言っても、
俺の腰くらいの高さだから、そんなに高くない。
白いテーブルには、
ティーセットが用意されていた。
しかし、紗倖の姿がどこにも見えなかった。
「…?」
ポットがなかったので、
中で湯でも沸かしているのかと思ったが、
そんな気配もない。

おかしいと思った。

異変を感じたと同時に、俺は目に入ったものを疑いたかった。


「紗倖!?」


彼女は、庭に続くガラス張りの扉の向こう側に突っ伏して倒れていた。
手元には、倒れたティーポット。
床に広がるお湯はすでに冷たくなっている。
垣根を飛び越えて、
俺は紗倖の傍に駆け寄った。
抱き起こして、彼女を呼ぶ。

「おい、紗倖!紗倖?!」

何度か呼んで、
彼女の重い瞼が上げられる。

「け…い…?」

ゆっくりと開かれる唇。
俺は、安堵して彼女を座らせた。
「ごめんね、ケーキ…。ダメにしちゃったね」
庭に転がる箱を見て、彼女は抑揚のない声で言った。
「そんなもの、また買ってくればいいだろ?医者を呼んでくるから、ベッドで寝てろ」
立たせるために差し出した手を、彼女は強く握った。

「紗倖?」

無言で首を振る紗倖。
掴んだ手を離そうとはしなかった。
俯いたままで、
表情までは覗えない。

「…こ…に…」

呟いた声は、泣いているように掠れていた。
「紗倖?」
「ココにいて…っ」
顔を上げた彼女の瞳は。


涙に濡れていた。

その頬も。


「どこにも行かないで!」

俺の手を引き、
両手で握る。
そうして、祈るように組んだ手に、
額を押し付けた。

「ココにいて…っ!!」

俺は、座り込み、
黙って、彼女を見ていた。

「一人が平気なんて嘘よ」

「………」

「死ぬのが怖くないなんて、そんなの嘘…っっ!!」

紗倖は、泣きじゃくる。

「本当は、ずっと怖かった!!」

「紗倖」

もう片方の手を、彼女の頭に触れさせて、
自分の胸へと引き寄せた。

「本当は、ずっと誰かに傍にいて欲しかった……っっ!!」

壊れそうな彼女を、
俺は、抱きしめた。

どうして…?

どうして何も出来ないんだろう。


「一人は嫌…っ」

彼女がこんなにも苦しんでいるのに。

悔しくて、目を閉じる。

何も出来ない自分の無力さを、
呪うことしか出来なくて。

どうにかしたいのに、
どうにも出来ない。


「死にたくないよ…ぉっ!!」

「紗倖!!」

叫んだ俺の声に、
彼女の肩が、ビクリと震えた。
小さな彼女の身体を、
さっきよりも、強く抱きしめた。

「俺がいるから」

彼女は、静かに俺を見上げた。
だけど、涙は止まってない。

「ずっと、傍にいるから」

だから。

「もう…泣くな…」



『好き』じゃ足りない。

『大好き』でもまだ足りない。

『愛してる』じゃ括れない。

それほどいとおしい彼女を。





助ける術なんか、俺は持ち合わせていなくて。





無力な自分が、



何も出来ない自分が、













悔しくて、しょうがなかった。










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