夜が明け、眠る前に締めた雨戸を開くと一面は雪化粧で彩られていた。 其処彼処が真っ白に染まり、犬夜叉と七宝が言っていた通りに雨ではなく雪が降り積もっている。 ただ遠い山々は変わらず深緑か赤、若しくは黄に染まったままで雪の姿は見えない。 普通、雪は高い場所から降り始めるものだ。 村里にだけ降る雪は無い、なのに積もっている雪は間違いなく本物だった。 然し、通常で有れば気付く筈の不可思議な現象も今の彼等の前では些細なことだったのかもしれない。 「何、此れ…」 呆然と呟く珊瑚の隣でかごめもまた絶句する。 吐く息は白い。 雪が降ってもおかしくない気温へと急激に下がったとしか思えない。 其の真っ白に塗り替えられた庭に浮かび上がるのは無数の深紅。 「椿?」 昨日まで確かに垣根の花など咲いていなかったのだと記憶しているかごめ達には、 どんなに美しくとも異様にしか映らなかった。 幾つかは収まりきれずに雪の上にぽつりぽつりと落ちている。 まるで血のようだとぞくりと背筋に冷たいものが走った。 ふと、かごめが気付いたように辺りを見回す。 視線は同じ一線上を走った、否、走るしかなかった。 「かごめちゃん?」 「…居ない」 え、と珊瑚は首を傾げた。 少女の台詞に大きな欠伸をしていた犬夜叉が弾かれたように顔を上げる。 「七宝と雲母が居ねぇ」 椿に目を奪われていた珊瑚も慌てて周囲を見渡す。 何時も在る二つの小さな姿が何処にも見当たらない。 眠っていた部屋にも姿は無く、垣根の椿の存在と共に、 漸く屋敷の異変を感じ取った珊瑚とかごめは緩んでいた気を引き締めた。 犬夜叉が弥勒を振り返ると彼は在らぬ方向を無言で見やり、静かに目を伏せた。 危険が無いと言ったのは彼だった筈だ。 言外に如何いうことだと犬夜叉は睨むが、其の瞳には焦りが浮かんでいた。 彼が大丈夫だと言ったことも有ったが、 向かって来る気配のないものに警戒心を僅かに緩めていたのも事実だった。 「時にかごめ様、ひとつ御訊ねしたいのですが」 真剣な面持ちの法師にかごめは徒ならぬものを感じ先を促す。 「若しや、今現在赤不浄の穢れを御持ちでは」 間髪を入れず、容赦無い破壊音が響いた。 鬼のような形相で倒れた弥勒を睨み付ける珊瑚の手には飛来骨が確りと握られており、 犬夜叉もまたかごめを背に庇うようにして拳を構えている。 「何てこと訊くんだい、此の助平法師っっ!!」 「ご、誤解です!」 「喧しいっ!かごめ此いつにだけは絶っっ対気を許すんじゃ無えぞ!!」 訊ねた内容に腹が立つか否かは兎も角、かごめは珊瑚と犬夜叉を宥め、 法師の前に座り込んだ。 幾ら弥勒が女に対して節操無しでも、 大っぴらに失礼極まりない無粋な真似をしたことは無かった――筈だ。 女の手を握ってみたり、尻を撫でたり、手癖の悪いのことは有ったとしても。 「若し添うだったら、関係、有るの?」 何時に無く真剣な面持ちで、弥勒は頷く。 「若し添うならば、かごめ様の霊力は衰えていらっしゃると考えて良いでしょうね」 赤不浄の穢れとも呼ばれる月経は、穢れと呼ばれる程には忌み嫌われている。 其れ故、赤不浄を持つ女は山などの聖地、 熊野など特別な謂れを持つ場所は例外として足を踏み入れることが敵わないこともまま有る。 遡って平安の世で宮仕えとも成れば、里下がりと称して暇を頂くのが常だった。 つまりは、添ういうものなのだ。 「考えたこと、無かった」 「衰えていらっしゃると言っても、常人とは比べようも無く御強いので、気に為さる程でも無いでしょう」 「だけど、かごめちゃんでも分からないんだろ?」 珊瑚は浮かんだ疑問を口にする。 ふむ、と弥勒は顎に手を寄せた。 腕に巻かれた数珠がじゃらりと揺れる。 「此うは、考えませんか。かごめ様に気付かれるまでもない微弱なもので在る、と」 確信を帯びた彼の言の葉に、犬夜叉は眉を顰める。 彼という男が喰えないと思うのは此ういうときだ。 知らない振りをしながら、実は全てお見通し。 けれど其れを気付かせることもなく、結果彼の思う儘にことを終える。 幾ら彼が仲間を慮ってのことだとしても、腹立たしいこと此の上ない。 其れは、彼との繋がりが切れない限り此れからも続くのだろう。 「言え、何を隠してる」 危害が無いと言われたが、此うして仲間が消えた。 状況が状況なだけに、犬夜叉も焦りが募る。 胸倉を掴まれ、睨まれながらも弥勒は飄々としたものだった。 琥珀色の瞳の前に立てられた人差し指が映る。 彼は言った。 鬼ごっこですよ、とにべも無く。 殴り倒したい衝動に駆られる犬夜叉を牽制するかのように、 弥勒はふと真剣な面持ちを浮かべた。 ただし、と付け置く。 「捕まらないように、此方が鬼を見つけなければ成らないだけのね」 合図のようにして、ちらほらと蕾だったはずの椿も合わせて全てが花を綻ばせる。 一斉芳香と呼ぶに相応しい芳しさが屋敷中に広がった。 鬼さん此方、手の鳴る方へ。 ぱちん、とひとつの椿が花弁を散らして爆ぜた。 肆 * 戻 * 禄 |