・TOE・
昼間だと言うのに、薄暗い。
どれほど慣れたといっても、根底にある違和感は拭えない。
「キール?」
「ん?」
「ココんとこ、皺の寄ってるな」
眉間を指差し、彼の真似をする。
読んでいた本から顔を上げ、キールはぷい、と顔を逸らす。
「そっ、そんなことない!」
「そんなことあるよ」
くすくすと笑いながら、
淡い紫の髪をした少女が散乱した彼の本を片付けていく。
「こっちはもう読んだな?キールはお片付け下手ー」
手際の良い少女に感心しながらも、
何処か子ども扱いされた気がして、言い訳染みた返事をする。
「後でやろうと思ってたんだ」
昼間に彼が家にいるのは珍しい。
取り合えずひと段落したので、今日は休みなのだと言っていた。
それでも嬉しくて、少女は彼の邪魔にならない程度に、
一日中傍にいる。
キールとしても彼女が傍にいてくれるのが心地良くて、
何も言わなかった。
「メルディ」
「はいな?」
片付けを途中に、メルディは振り向く。
「…ここは、寒いな」
言われて、部屋を見回す。
暖房は動いていないが、窓は閉めているし、それほど寒くは無いだろう。
夜のような寒さは感じない。
「そか?メルディ、全然ヘーキだけどな」
片付け終えて、ティーセットをリビングへと運んでくる。
紅茶の良い香りが漂った。
「そういう意味じゃなくて」
寝転んでいたソファから起き上がり、茶菓子に手を伸ばした。
ホワイトソディたっぷりの、甘すぎるクッキーにはもう慣れた。
メルディはカップに紅茶を注ぎながら、彼を見やる。
「やっぱり、春は無いんだなと思ってさ」
「ハル?」
冬将軍が去り、春の女神が訪れる。
その恵みが、大地に、海に、全ての生き物に降り注ぐ。
「あたたかい季節のことだよ。気候でも良いけど」
キールの台詞に、メルディはうぅんと首を捻る。
彼の言っていることは、何となく分かる。
インフェリアは確かに、ここセレスティアとは気候が違い、暖かい。
バロールのような、飛び抜けて暑い気候を例外とするのならば。
「んー…セレスティアはインフェリアよりもチョット寒くて、チョット暗い」
今は行くことの出来ない彼の地を想い、苦笑した。
「仕方無いな」
手渡されたカップを受け取ると、口に運ぶ。
少しの沈黙。
先に切り出したのはキールだった。
「もうすぐ、さ。どうにかなりそうなんだ、インフェリアへの道」
きょとん、とメルディはクッキーを銜えたまま動きを止める。
「今頃はラシュアンに花が咲く。一面、ドエニスの花が」
だから、とキールは口篭る。
メルディが首を傾げれば、首まで真っ赤に染めて、半ばヤケになって叫んだ。
「メルディにも見せたいって思ったんだよ!」
大声を出したキールに目を瞬かせ、次いで、ころころと笑い出した。
「何だー。メルディ、インフェリアがこと恋しくなっただけかと思ったよ」
「お前は僕を一体何だと…っ」
真っ赤な顔をしたまま怒鳴るキールに、メルディはますます笑う。
春はすぐ其処で、手を伸ばせば触れられる場所まで来ていて。
ひとりじゃない春が、こんなにも嬉しいものだとは織らなかった。
君の笑顔、それがこんなにも心を満たしてくれるだなんて。
誰かが隣にいる、それが今の自分を支える奇跡。
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・犬夜叉・
楓の村に戻って数日。
何とは無しに、かごめと犬夜叉は歩いていた。
半ば、邪魔だからと追い出された犬夜叉と共に歩いているこの状況を、
散歩、と呼んでも差し支えないのならば、其れでも良いのだが。
「此れって、桜の木?」
脇に聳え立つ大木を見上げ、感嘆の声を漏らす。
興味無さそうに、犬夜叉も同じものを仰いだ。
「んー?あぁ、確か」
矢っ張り、と目を輝かせ、ぱたぱたと其の根元へと駆け寄った。
「此れだけ大きいんだから、春は綺麗でしょうね」
「さぁな」
気の無い返事に、かごめは頬を膨らませる。
「何よ、見たことあるんでしょ?」
簡単に見繕っただけでも数十年は軽いだろう大木に、そ、と触れる。
微かな温もり。眠っている、花の嵐。
「綺麗なものを綺麗って想うのは、当然だわ」
「当然、ねぇ」
かごめの背後から手を伸ばし、同じように木に触れる。
ざらりとした感触が手のひらに残る。
其れが嫌いでは、無い。
「犬夜叉は」
漏らされた言の葉に、犬夜叉はかごめを見下ろす。
「其の時、綺麗だって想わなかったの?」
背後からでは、表情など良く分からない。
怒っている、とも違う。泣いている、とも違う。
痛い、とだけ、音にされずに沈んだ言の葉を感じた。
「自分の目に映った其の景色を、美しいとは想わなかったの?」
「…いや」
微かにたじろぎ、目を逸らす。
春の風越しに映った景色。
五十年前の、春の、いろ。
広がった、甘く、切ない感情。
「私はね、犬夜叉が少しでも添う感じてくれていたら良いなって思った。添う、想えるだけの心があったとしたのなら」
自分以外の誰かが、其の時傍に居たとしても。
「嬉しいって想ったのよ」
堪らず、目の前の少女を抱き締める。
掻き抱いても、足りないくらいに。
やっとのことで、搾り出す。
「春の雪かと、想った」
何処までも降り積もる、溶けることの無い真白な。
かごめは、目を瞬かせた。
彼にしては、何と風流な物言いだろうか。
余りにらしくなくて、思わず噴出してしまった。
「…何で、笑ってんだよ」
「だ、だって」
笑いの収まらないかごめの肩に、憮然とを乗せる。
頬に触れる銀の髪がくすぐったい。
今は、此れだけで良い。
他愛も無く交わせる言の葉があるだけで。
未だ遠い春を想い、傍にあるぬくもりに身を委ねた。
手を繋いで、肩を並べて。
春が来たのなら其の時は、一緒に桜を見上げましょう。
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・最遊記・
春が来て、何かを思い出せそうで、何も思い出せないこの感覚を、
一体、あと何度繰り返せば良いのだろう。
何時か、終わりは来るのだろうか。
終わりの来なかった自分にも―――…。
渡殿の飾柵に腰掛け、咲き誇る桜を見上げる。
大きなそれは、幾百の春を迎えたのだろう。
その内、呑み込まれてしまいそうな花弁の洪水。
「桜は、春が来る度に咲き続けるんだね」
意図せずに漏らされたそれは、独り言であったのかもしれない。
不安定で、虚ろで、どうしようもなく泣いてしまいそうな。
「三蔵。終わりは、あるのかな」
何時の間にか背後に立っていた僧侶へ、振り向かずに問い掛ける。
面倒臭げに答えると、火の点いていない煙草を銜えた。
「あるだろ」
今度は肩越しに振り向いて、問うた。
逆光で、表情は暗がりにしか見えない。
「俺にも、あるかな」
カチリ、とライターの音が静かな廊下に響くかと思った。
だがそれも、風の音に掻き消される。
「何時かな」
吐き出された紫煙は、春の風に攫われ、あっという間に見えなくなった。
もう一度、桜を仰ぐ。
「そっか」
小さく、良かったと呟いた幼子の目には、何が映っていただろう。
遠い、遠い古を想い、馳せる。
嘗て、護りたいものがあった。
それが何かは思い出せない。
それでも、失った洞は未だ埋められないままで、ぽっかりと穿たれている。
此処に無いものを取り戻そうとするように、春が来る度、縋り付く。
桜の色に自分を重ねて、深い夢へと堕ちて行く。
貴方を思い出したその時に、大声で泣いても良いですか?
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・ハリー・ポッター(親世代)・
何時も唐突な彼の提案に、今更驚いてやる義理も人情も無い。
と言うよりも、このようなことで一々驚いていては、身が持たない。
「春と言えば恋の季節だね、リリー!」
「一体全体、何処のどなたがそのように定めたのか織らないけれど、少なくとも、私には欠片ほども関係の無い話ね、ジェームズ」
きっぱりすっぱり言い切って、リリーはにっこりと微笑んだ。
漸く最近になって、デートにも付き合ってくれるようになったリリー。
まだまだ色恋とは程遠い気がしないでもないが、彼にとっては大進歩だ。
「そんなことは無いはずだ!だって僕の目には、見る度に君が綺麗に見えるのだから」
「あらソウ。だったら、眼鏡の度合いを上げるべきね。宜しければ、腕のいいマグルの目医者を紹介しましょうか?」
「僕の心配をしてくれるだなんて、何て君は優しい心の持ち主なんだろう!」
「まぁ、ありがとう」
馬の耳に念仏。豚に真珠。暖簾に腕押し。
丸っきり、意味の無いこと。
何処かの国ではそのような諺があるらしい。
踏まれてもヘコたれない、ジェームズの心意気には心底尊敬の念すら浮かんでくるが、
どうにもこうにも、空回りしている気がする。
そうして、それに気付いていない彼の想いの深さには脱帽だ。
彼女の台詞はどんなものでも、ポジティヴシンキングに摩り替わるらしい。
長所と言えば、長所なのではあるのだが。
「ね、散歩しよう」
悪意の無い笑顔で手を差し出され、リリーは一瞬考え込む。
果たしてこれを取っても良いものかどうか。
仮にも彼は、学校中で名を馳せる悪戯と添い寝が出来る人種である。
じっ、と用心深く彼を見つめると、だらしなく掛けられた眼鏡の奥で、
嬉しそうに目が細められた。
首を傾げれば、あちこちに跳ねた癖のある髪が揺れる。
「散歩くらいなら」
今のところ、疑わずとも良いようだと判断した。
子どものように、否、まだ子どもではあるのだろうが、
無邪気な仕草が憎めない。
時折、淋しそうに大人びた表情をする彼が、放っておけなくなる。
「ジェームズ」
呼ばれ、即座に振り返る。
横切ろうとした中庭の真ん中で立ち止まった。
「何?」
少しだけ強く、繋がれたままの手を握る。
「こういうので、良いわ」
「こういうの?」
呆れたような顔をして、リリーは溜息を吐いた。
どうして、肝心なことには鈍感なのだろうか。
「貴方は色々考え過ぎよ。私は、こういうことが嬉しいもの」
ジェームズが、彼女を喜ばせようとして色々なことを画策しているのは分かる。
彼の友人が、その所為でたまに自分に泣きついてくるのも。
「貴方と手を繋いで、散歩して」
手を掲げて、にこりと微笑む。
「今は、それだけで良い」
面食らったジェームズ、瞬きを繰り返す。
くしゃり、と表情を崩し、困ったような笑みを浮かべた。
「そう、なんだ」
繋がれた手を引き寄せ、手の甲に口付ける。
上目遣いに見上げる彼に、とくん、と心臓が跳ねる。
「そんなことでリリーの微笑が見られるのなら、いくらでも」
「調子が良いわね、いつも」
そのような彼にどうしようもなく惹かれているのだから、
自分も好い加減、調子が良いとは思いつつも。
仕方の無いことと言うのは、本当にあるものなのだと、
リリーは彼に気付かれないように苦笑した。
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・ロスト・ユニバース・
『好き』と『大好き』と『愛してる』。
どれが一番、私らしい?
貴方に聞いたら、きっとどれでも良いって紅い顔して言うんだろうね。
私はそれが嬉しくて、思わず微笑ってしまうのだわ。
洗い立てのシーツを広げ、物干し竿に引っ掛ける。
温かな風が、弧を描かせて通り過ぎた。
「ほら、ケイン。見てないで、洗濯物くらい手伝っ…」
言いながら、白いエプロンドレスを靡かせた少女が振り返る。
だが、全てを言い切らないうちに、あら、と漏らした。
ケインはテラスに持ち出された椅子に深く腰掛け、こくり、と船を漕いでいた。
気候が暖かく、気持ちが良い。
異国では『春眠暁を覚えず』と言うくらいなのだし、仕方の無いことかもしれない。
そう結論付け、少女は諦めて洗濯籠を持ち上げた。
穏やかな日々。戦闘や厄介ごとばかりで、こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。
自分が、誰かの傍にいるなんて、考えたことも無かった。
ずっと、そんな日を願っていたのに、願えるはずも無いと分かっていた。
拭えない傷跡。血の、匂い。
「…ん」
背後で漏らされた声に、思わず振り向く。
洗濯物も干し終わり、空になった籠をテラスへと置いた。
ワンピースの裾を払って、彼の隣に腰掛ける。
直に座れば、足に触れる芝生がくすぐったい。
「良く寝るわよね、ホント」
男性にしてはやや細いものの、整った顔立ちを下から見上げ、笑みが零れる。
あどけない表情。気兼ねも無く、寛げる場所。
気を許してくれているのが、たまらなく嬉しい。
「ケイン、あのね」
言って良いだろうか。貴方に届くだろうか。
口篭り、そのまま閉じられる唇。
「…どした、ミリィ」
半分ほど寝呆けた口調が降ってくる。
顔を上げれば、欠伸をしているケインが目に入った。
不意に、予期せずしてあたたかいものが頬を伝う。
ぎょっとして、ケインはミリィの前に座り込んだ。
「何だ、どうしたんだよ?ミリィ?」
彼の言葉で、漸く自分が泣いていることに気付いた。
慌てる彼の様子が可笑しくて、思わず笑ってしまう。
「違うの、嬉しいのよ」
涙を拭い、首を振る。
彼へと手を伸ばし、その胸へと顔を埋めた。
確かに彼が此処にいるという鼓動と、ぬくもり。
「ケイン。私、貴方にありがとうって言いたかった」
「ミリィ?」
「ありがとう、傍に…いてくれて」
一度だけ、心臓が大きく鳴って、ケインは何も言わずにミリィを抱き締めた。
貴方に出会えた奇跡を、今なら全てに感謝することが出来る。
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