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 ・TOR・
 
 
 
 キキィ、と甲高い声が届く。
 肩に感じる微かな重み。
 ヴェイグは肩に乗った小さな生き物を見やった。
 「どうした、ザピィ」
 同じ年頃の少年に比べて、幾分大人びた落ち着いた声音だ。
 薪割りだの、農作業だのを終えて、リビングで一休みしていると、
 ザピィに続いて、可愛らしい金髪の少女が階下から姿を現す。
 「やっぱり帰ってたのね、ヴェイグ」
 嬉しそうに微笑み、彼の向かい側に掛ける。
 彼の飲んでいたコーヒーをするりと奪うと、
 一口ちょうだいね、と言って失敬する。
 「欲しいなら淹れるのに」
 「少しだけで良かったの」
 カップを返しながら、肩越しに窓の外を見た。
 ヴェイグがザピィの首辺りを指で撫でてやれば、気持ち良さそうに身を摺り寄せている。
 段々と曇り、薄暗くなっていく外は、心が騒ぐ。
 「雨が降りそう」
 視線を戻し、辺りを見回す。
 いつも居るはずの父母が居ない。
 「おじさんとおばさんなら買出しに行った」
 「そう。じゃあ、父さんは荷物持ちに任命されたんだわ」
 難を逃れたわね、と暗に示すクレアに、ヴェイグは苦笑する。
 ラキヤが張り切って買い出しに行く時は、大抵の場合大荷物だ。
 ぱたり、と窓に何かが当たる。
 かと思えば、振り返るよりも先に勢い良く窓を打ち付けるものが。
 「降り出した」
 「うん」
 ヴェイグは残っていたコーヒーを一気に飲み干すと、席を立った。
 彼の肩から飛び降りたザピィは、クレアの膝元へと収まった。
 流しで軽くカップを洗い伏せ、玄関へと向かう。
 不思議そうにクレアは彼の背を追った。
 「何処行くの?」
 玄関先に立て掛けてある傘へと手を伸ばす。
 「傘を持って行ってない」
 簡単に告げられた台詞に、クレアはザピィをテーブルに降ろしてヴェイグを追う。
 「私も行く」
 「良い、俺1人で行く」
 「私も、行くっ!」
 「クレア」
 言い出したら聞かないのは、幼い頃から重々承知している。
 袖を引かれ、その上、是と頷くまで放してはくれないだろう。
 ふと、傘立てを見やれば本数が少ない。
 マルコ達が傘を持って行ってないのは確かだ。
 怪訝そうに見ていると、それに気付いたクレアが声を上げる。
 「そういえばこの前、雨が降った時にモニカ達に貸したままだったわ」
 荷物を持ったマルコは傘を差せない。
 必然的に、マルコとラキヤは2人でひとつの傘を使うことになる。
 迎えに行く時に使う傘も1本と考えれば。
 「傘が無いんだったら仕方が無いだろう。クレアは留守番」
 「もし、父さんが大荷物だったら、ヴェイグ手伝うでしょ?」
 「?」
 「そうしたら、どうやって傘を持つのかしら」
 ねぇ?と言って差し出された少女らしい手。
 クレアの意図を察して、渋面になる。
 昔からそうだった。
 結局クレアに敵った試しはない。
 深々と溜息を吐き、至極当然のように差し出された手に自分のそれを重ねる。
 それが、答え。
 幼馴染の手を握り返し、彼の腕に頬を寄せた。
 「ありがと、ヴェイグ」
 押し問答をしている間にも、雨脚は強くなるかもしれない。
 考えて、それでも予め決められていた妥協。
 ヴェイグは傘を2本持つと、玄関のドアを押し開けた。
 
 
 
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 ・犬夜叉・
 
 
 予期せずして降り出した雨。
 かごめは慌てて、開け放していた窓を閉めた。
 ついでにカーテンを引く。
 「駄目だ、集中出来ない」
 ひとつ溜息を吐いて、ベッドへと倒れ込んだ。
 机の上には参考書とノートが開きっ放し。
 筆記用具も転がされたままで、
 ノートには書いては消し、消しては書いている数学の公式が目に入った。
 壁側に寝返りを打つ。
 途端、無遠慮にドアが開いた。
 「…お前、勉強するとか言って帰ったんじゃ無かったか?」
 寝転がっているかごめを胡乱げに眺め、見下ろした。
 紅い水干を纏い、腰よりも長い白銀の髪。
 頭に覗いているのは獣の耳。
 透き通った琥珀の瞳は、ヒトのものではない。
 「ひとやすみ中なの」
 起き上がりもせずに、枕を抱く。
 「それよりも、もう迎えに来たの?あと三日は帰れないわよ」
 「あっちでも雨が降ってて、情報集めも出来ねぇんだよ」
 言われて見れば、赤黒い斑点が彼の衣に浮かんでいる。
 ふぅん、と呟き、上半身を起き上がらせた。
 「じゃあ、皆もひとやすみだね」
 腰元から刀を鞘ごと引き抜く。
 ベッド脇に腰を下ろす犬夜叉は、至極不機嫌そうだ。
 「冗談じゃねぇ、大迷惑だ」
 むっつりと顰め面で不貞腐れる。
 ヒトでは長生きの老人すら敵わない程の長い年月を生きておきながら、
 いつまで経っても子どものような少年だ。
 その様に苦笑して、かごめはベッドの上から犬夜叉の顔を覗き込んだ。
 「たまにはゆっくりしたって良いじゃない」
 鼻を鳴らして、顔を背ける。
 耳がぴくりと動く。
 「のんびりしすぎなんだよ、お前らは」
 「…そんなだから、余裕がないのよ。犬夜叉は」
 「どーいう意味だ」
 「そーいう意味よ」
 かごめを見やれば、伝染ったようにむすりとしている。
 どれが失言だったのだろう。
 何が気に障ったのだろう。
 そもそも、彼女の沸点は未だに分からないことが多い。
 犬夜叉がとんでもなく鈍い、ということを含めないのであれば、の話ではあるが。
 不意に、肩が重くなる。
 「かごめ?」
 彼女の額が押し付けられていると気付くまで、数秒かかった。
 動くに動けず、ただ固まる。
 「ちょっとだけ、こうしてて」
 元気の補充中、そう言って笑っている声が耳に届く。
 微かに頬に感じるぬくもりが、たまらなく愛おしい。
 「…ったく、しゃーねぇな」
 仄かに頬を染めて悪態をつくと、かごめの髪へと頬を寄せた。
 たまには雨の日も良いかもしれないと思ってしまう自分が、
 どうしようもなく現金だと思った。
 
 
 
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 ・最遊記・
 
 
 
 ぱたり。
 ぱたり。
 ぱたたた。
 さあああ。
 
 
 雨が、降る。
 
 
 綺麗に磨かれた格子の窓を濡らす雨を見上げた。
 向こう側の景色は、もうぼんやりと歪んでしか見えない。
 「降ってきたよ、金蝉」
 「…あ?あぁ、そうだな」
 長い金髪をした男は、手元の書類から顔も上げずに曖昧に返事をした。
 少し高い場所にある窓は、幼子が背伸びして何とか届く程度。
 枷の付いた足首の筋が、もう少しで音を上げそうな気がする。
 だが、幼子は嬉しそうに窓にぶつかる音へと耳を傾けていた。
 「…何がそんなに嬉しいんだ、お前は」
 何時の間に席を離れたのか、幼子の背後に立つ金蝉を、首を仰け反らせて見上げた。
 「皆が、嬉しそうだから」
 「?」
 怪訝な面持ちで見下ろせば、幼子はくすぐったそうに目を細めた。
 「気持ち良い、って言ってる気がする」
 果たして、幼子の言葉の意味を理解出来ていたのだろうか。
 金蝉は己よりも遥かに下部にある幼子の頭を抑える。
 急に抑え付けられた当の幼子は、思わぬ方向へと重心が傾き倒れそうになった。
 慌てて体制を立て直す。
 「聞こえるか、悟空」
 外を見やり、窓枠へと触れる。
 彼の幼子に与えられた業。
 目に見えぬものを悟る者。
 「この世に無駄なものなど無い」
 不思議そうに首を傾げる悟空は、黙って金蝉の視線の先を追う。
 やはり、濡れた窓からは朧げに輪郭が浮かぶだけだ。
 まるで、世界全てが水の中に飲み込まれたように。
 「雨は恵み。お前を産み出した大地が、何度も産声を上げる」
 神族の住まう場所は天。
 そこに大地は無い。
 だから、織らない。
 けれど、焦がれる。
 
 
 「雨は廻る。だからこそ『恵みの雨』足り得る」
 
 
 地上へと降り注ぐ雨は、どれ程あたたかなものなのか。
 
 
 「何度も慈しみ、何度も憂う。恵みを与えんと全てを抱く」
 
 
 母なる大地。
 誰かがそう評していたのを思い出す。
 それはヒトにとっては深いところで真実で、
 悟空にとっては言葉そのものであった。
 「う…ん?」
 「お前にはまだ、難しいか」
 呆けた顔をした悟空に苦笑する。
 かり、と頬を掻いて、金蝉を見上げた。
 「よく分かんないけど、雨は好きだよ」
 彼はそうか、とだけ答えると、微かに笑った。
 何となく、それにつられて悟空も笑う。
 不意に、目の前の景色が揺らいだ。
 幾度か瞬くと全ては立ち消え、暗闇が広がる。
 何時眠ったのだろう。
 よく憶えていない。
 冷たい大地の感触がざらりと肌に残る。
 ゆっくりと起き上がれば、耳障りな金属音が狭い洞の中で響いた。
 「雨、降ってたんだ」
 ぼんやりと寝ぼけ眼を擦る。
 夢を見ていたような気がする。
 随分と懐かしい夢を見ていた気がした。
 それが何かは、やはり思い出せない。
 ただ、懐かしくて。
 ただ、恋しくて。
 ただ、切なかった。
 
 
 雨が降る。
 遠い昔を夢に見せてくれたのは、ただの気まぐれだったのだろうか。
 
 
 
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  ・ハリー・ポッター(親世代)・
 
 
 移動教室の途中に、廊下の窓から見えた空。
 深く霧が満ちていく。
 硝子戸も無いその窓から雨が入り込んでこないのは、
 何かの魔法がかかっているからだろう。
 「雨ね」
 「雨だ」
 同時に漏らした台詞に、真似をしないでとばかりにリリーは頬を膨らませた。
 「退屈だわ」
 何が悔しいのかは分からなかったが、取り敢えず苛立ち任せに口を開く。
 雨が降れば、外での箒の授業は自習になるし、
 中庭でのランチタイムもお預けだ。
 雨が降ると、良いことは無い。
 「そうかい?」
 隣を歩いているジェームズは、リリーの歩幅に合わせながら並ぶ。
 薄暗い廊下では時折生徒の喧騒も聞こえるが、その殆どが雨音に遮られていた。
 「違うの?」
 意外そうに目を丸くするリリーに頷いた。
 てっきり、悪戯がやりにくくなるだの、
 クィディッチの練習が延期になるだの言い出すかと思った。
 まぁ尤も彼の、否、彼らの悪戯がこれしきのことで挫かれるなど、
 微塵ほども思ってはいないが。
 「目を閉じるとね、僕の中に雨音が広がって尖っていたものが穏やかになってく」
 魔法を使う時と似ている感覚。
 不確かな何かを手に入れる瞬間。
 リリーはよく分からないとばかりに、肩をすくめる。
 そう、とだけ呟き、ジェームズは笑った。
 彼を垣間見れば、普段よりも大人びた顔。
 こんな時、何を考えているのか分からなくなる。
 「私は」
 不意に漏らしたものは、彼女すら意図していなかったのかもしれない。
 零した後に考えあぐねて、ようやっと口を開いた。
 「貴方の雨になれるのかしら」
 唐突にぶつかる率直な言の葉。
 視線を交わすことなく、返されることなく。
 「リリーはリリーだ。他の何にもならなくていいよ」
 「なりたいの」
 「どうして?」
 毅然と前を向いたまま、リリーは足を速める。
 3歩ほど、ジェームズとの距離が出来た。
 
 
 「私は貴方を癒せるものになりたい」
 
 
 面と向かってでは照れ臭い。
 ついでに言うと、余計な台詞まで喋ってしまう。
 これはリリーなりの譲歩。
 じゃあ、とジェームズは距離を縮めることなく歩き出す。
 
 
 「傍にいて」
 
 
 手を伸ばして、抱くことの出来る場所に。
 声が届く場所に。
 「言葉を交わして、触れ合って、共に生きていて」
 君の笑顔が見える場所に。
 それだけで、満月へと向かう上弦の月のように心は満ち満ちてゆくのだから。
 「僕はいつだって、君に救われているんだってことさ」
 背の高い彼との歩幅が違うことくらい承知している。
 さっさと距離を縮めて並び、追い抜かれた。
 わざと不機嫌そうな顔をすると、彼の横へと並ぶ。
 「そうね、半分くらいだったら信じてあげないこともないわ」
 べ、と舌を出して顔を背けた。
 可愛いと口に出し、人目も憚らず頬にキスを落とせば、
 次の日まで口を聞いてもらえないに違いないのは目に見えている。
 ジェームズは苦笑して、ふわりと揺れる赤毛の少女を愛おしげに見つめた。
 
 
 
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 ・ロスト・ユニバース・
 
 
 
 今にも泣き出しそうな空を見上げ、ミリィは顔を顰めた。
 
 
 急いで洗濯物を取り込み、リビングへと放り込む。
 それらは自然、ソファで愛しの武器の手入れをしていたケインの上へと降り注いだ。
 「おい」
 「え?何、ケインいたの?」
 「酷ぇ…」
 「苦情は後で聞いたげる」
 彼の呟きも何のその、忙しなくリビングとテラスの往復を繰り返す。
 全てを取り込み、テラスへのドアを閉めた瞬間、
 大きな雨粒がタイミング良く降り出した。
 「やっぱり降ってきた」
 一息吐いて、向かい側のソファへと掛ける。
 ばさばさと、ケインは誰も掛けていない一人掛けのソファへと洗濯物を放り投げた。
 「ここ」
 「ん?」
 「皺寄ってる」
 軽く自分の眉間を指し示し、ミリィへと見せた。
 目を見張ったかと思うと、視線を落として目を閉じる。
 確かに、他愛ない仕草は可愛らしいもの。
 けれど彼女の仕草はどこか、危うさが散らつく。
 辛い、とも、苦しい、とも彼女は言わない。
 だからこそ、心の機微に注意深さを以って気付かなければならない。
 手を差し伸べたからとて、するりと逃げていくのを織ってはいるけれど。
 「雨は厭か?」
 「洗濯物溜まるし、出掛けるにも億劫だし」
 尋ねてみれば、見当違いな返事をされる。
 わざとだと分かっているものの、それを追求することはない。
 微かに上げた瞼を震わせて、手元へと目を落とす。
 「…じっと、さ」
 ケインはごろりとソファに寝転がり、足を放り出す。
 「静かな時に雨の音聞いてると、俺眠たくなってくるんだよな」
 細い指先が白くなるまで強く握り締められた両手。
 きつく、寄せられた眉根。
 くるくると変わる愛らしい表情は、こんな時、急に大人びる。
 「煩いじゃない。耳障りだわ」
 「安心する」
 ケインの台詞に、顔を上げた。
 
 
 「耳に届く音がある。この世界には俺1人じゃないんだって思えた」
 
 
 両親との確執。
 慕う祖母との永遠の別れ。
 世界があまりに意味の無いものに思えた。
 誰も居ないのだと、思い違いをした。
 雨音に気付いて顔を上げると、不意に涙が頬を伝った。
 理由が分からないまま、窓辺で声を上げて泣いた。
 思えば、泣いたのはあれが最後だったかもしれない。
 瞬きを繰り返すミリィの表情は今にも泣きそうで、
 だからと言って、抱き締めて慰めるのは何か違う気がした。
 ケインは彼女に気付かない振りをする。
 触れるのは簡単だ。
 言葉は何とでも言える。
 けれどきっと、ミリィが望んでいるのはそんなことではない。
 私はまだ怖い、と呟きが漏れる。
 「音だけ響いて、ひとりぼっちなんだって思い織らされる」
 ひとりではない。
 今は、決して。
 理解している。
 それでも、否、だからこそ。
 「怖いのよ」
 そう言って微笑う。
 何に対しても器用で世渡りが上手い彼女は、どうしようもなく不器用だ。
 仕方無さそうに溜息を吐き、ケインは手招きをする。
 誘われるがままに彼へと歩み寄る。
 傍らに腰を下ろすと、手を掴まれた。
 「ケイン?」
 「ここにいるだろ」
 一瞬、何を言われたのか分からずに、首を傾げた。
 「平気になるまで、ずっとこうしていてやる」
 触れ合った手のひらは、思い出したようにぬくもりを増す。
 心の奥の方が、厭になるくらい優しく揺らぐ。
 ミリィは声無く頷き、彼の傍らにふわりと倒れ込んだ。
 
 
 
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