・最遊記・
夏は、来なかった。
どんなに待っても、春から先に、もしくは後にも夏など無かった。
―――夏が来たら、川に遊びに行こうぜ
―――そう、だな。夏が…来たら
織っていたのだ、彼は。
夏など来ないことを。
散らない桜。
穏やかな気候。
それらばかりが埋め尽くす楽園と呼ばれる、愚かな天上の楼閣。
「…約束…」
幼子が動けば、手と足を繋ぐ足枷が音を立てる。
幾重にも張り巡らされた呪の結界と、狭く冷たい岩の牢屋。
格子から差し込む光すら、あまりに残酷で。
「…何、だっけ」
ぼんやりと外を見つめ、肌に張り付く風から夏が来たのだと織る。
寒くさえあるこの岩牢の中では、懐かしさを思うことも出来ない。
聞こえていたはずの声は、遥か遠く、音にもならずに掻き消えた。
「誰と、の…」
思い出せない。
土に汚れた手で、顔を覆う。
頬にざらりとした感触が残った。
格子へと近付き、外を見下ろす。
きらきらしく輝く緑と水面が眩い。
蝉の声だろうか、喧しく鳴き続けるのは。
岩牢の外には、等しく季節が廻る。
ちりり、と何かが焼け付く衝動。
幼子は思わず胸元を掻き毟った。
ぽたり、ぽたりと何かが頬を伝う。
そうしてようやっと、自分が泣いていることに気付いた。
「…ごめ、ん」
嗚咽に消え入りそうな声を、幼子は搾り出す。
「約束、護れなかった…多分」
誰と交わしたものかすら、憶えてはいないけれど。
「ごめ…っ」
最後は声に、成らなかった。
夏が来る。
纏わり付く暑さと、凍り付く切なさが混じった夏が、来る。
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・犬夜叉・
高く、高く昇る月。
妖しく輝く其の煌きに、ヒトは未だ見ぬ夢を馳せる。
なよ竹の輝夜姫が帰ったとされる都は、
どのように煌びやかなものなのだろう。
其の物語に連なる、雅なる宮中で詠われた枕事。
今も親しまれるべき其れは、長く語り継がれている。
かごめの学ぶべきものも例外では無く、諳んじることは当然の如くして在る。
「『夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ』」
「『蛍の多く飛び違いたる』ってか」
暗唱していた少女は驚いた顔で、隣の少年を見やった。
余りにまじまじと眺めすぎたのか、犬夜叉の表情が徐々に険しくなって来る。
「…何だよ、その顔」
「いや、織ってるとは思わなくて」
正直に言えば、ふん、と鼻を鳴らして背を向けられた。
機嫌を損ねたらしい。
添う理解するには時間は要らない。
彼の気は滅法短く、はっきり言ってしまえば、気にするだけ時間の無駄だ。
「…おふくろが…」
「え?」
「好きだったからな。添ういうの」
ぽつり、と漏した犬夜叉の顔を覗き込む。
昔を懐かしむような、不思議な表情。
自分の織らない顔。
けれど、嬉しい。
普段から顰めっ面ばかりの彼が見せてくれない表情を、
安心したように見せてくれるのは。
かごめは少年の腕に身を寄せ、指を絡めた。
「…な」
うろたえる犬夜叉に思わず笑みを零し、
かごめは其の腕に頬を摺り寄せる。
恐らくは、今頃真っ赤な顔をして慌てていることだろう。
ちょっとだけ、と呟くかごめにぶつぶつと何事かを漏らしていたが、
終いには観念したらしく、おぅ、と返した。
「嬉しいね」
「…何が」
「思い出が残ってるってことが」
「死んだら、何も残らねぇ」
「犬夜叉の中に、犬夜叉のお母さんが生きてるってことよ」
「屁理屈だ」
「本当のことだわ」
事実、理解しているだろうに、天邪鬼な返事ばかりする犬夜叉に苦笑する。
其れを弱さだと思うかもしれない。
けれど、其の弱さこそが強さなのだと織っている。
だからこそ、彼が強くあるのだと織っている。
虫の音が其処彼処から響き、秋はもう直ぐ其処なのだと風が囁いた。
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・TOR・
クロダダク砂漠と呼ばれる高温地帯。
足元から焼けるのではないかと錯覚するほどに暑い。
目の前を揺らぐ蜃気楼で、時折頭がぼんやりしてくる。
「ユージーン、暑くないの?」
平気そうにしている隣のガジュマを見やり、マオは尋ねる。
「ガジュマは体温調節が出来るからな」
ははは、と笑うユージーンに少年は口を尖らせた。
こちらは笑う余裕すらないように思う。
「えー、いいなぁ。僕もガジュマだったら良かったのに」
「マオ」
少しだけ叱るような口調。
ガジュマもヒューマも、同じヒトである。
どちらが良いなどと、区分けするような物言いは好ましくない。
彼の言い分が分かって、マオは俯く。
「だって、さ。ガジュマだったら、ユージーンとも本当の親子に見えるんじゃないかなって」
頬を膨らませ、陽射し避けに被っていた外套をはためかせた。
どんなに同じヒトだと言っても、マオはヒューマで、ユージーンはガジュマ。
親子のように仲が良くても、親子だとは思われない。
それが少し寂しい。
声をかけようとしたユージーンに、マオは突然顔を上げた。
「なーんて、ネ!」
大きな歩幅で飛んで前を行き、くるりと振り返った。
「僕、暑いのは平気だし、ユージーンも大好きだし。今の所、問題無いんだよね」
腕を組み、わざと仰々しく頷く。
片目を瞑ったまま、口の端を吊り上げた。
「そうか」
「うん、ソウ」
フードを被ったマオの頭をぽん、と撫でて、ユージーンは先を促す。
置いて行かれないように慌てて彼の足並みに合わせた。
自分2人分では足りないほどの身長の彼を見上げ、
マオはユージーンの外套の端を引っ張った。
「暑くないんだったら、さ、ユージーン」
「何だ?」
言い難そうに口ごもるマオは、うん、と強く頷いた後、手を差し出した。
「手、繋いでもイイかなっ?」
驚いたように目を見開くユージーンに、マオは少しだけ不安そうに瞳を翳らせる。
けれどそれはすぐに打ち消された。
「子どもみたいだな」
手に触れた温かくて柔らかなものを感じて、マオはえへへとはにかんだ。
「僕はまだまだ子どもなんですぅ」
風が湿り気を帯びて来た。
もう少し歩けばオアシスに辿り着けるだろう。
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・ハリー・ポッター(親世代)・
不意に、リリーが微笑んだ。
「どうしたんだい、リリー」
「ちょっと思い出しただけよ」
ジェームズが淹れたアイスティーを受け取り、
もう一度、ふふ、と笑う。
「夏休みに入る前日だったわね、真夜中のお茶会」
向かい側のソファに腰掛け、彼はあぁ、と合点が行ったように頷いた。
開け放ったテラスから、涼しい風が入り込んで来る。
「あの時は、本当にしてやられたよ」
「やり返したくせに」
「当然だろう?」
顔を見合わせて思い出すのは、まだ2人がホグワーツ魔法学校に通っていた頃。
学校全体を巻き込んでの、星降る真夜中のお茶会。
織らなかったのは、2人だけ。
彼らの友人、否、悪友とも呼べるシリウス達にまんまと騙された夜。
「楽しかったわね」
ぽつり、と漏らす。
「そうだね」
小さく頷く。
すぐそこまで足音を忍ばせている黒く強大な影など、
忘れてしまえるくらいの喜びが溢れていた。
彼女の顔に浮かぶ翳りに気付く。
恐れているのだ、この時間が、この空間が壊れてしまうその瞬間を。
決して杞憂では無いと理解しているからこそ。
涼しい夜風に瞳を閉じる。
「リリー、今日の天気は何だった?」
「天気?fainだったと思うけど」
「当たりだけど、ハズレ」
え、と漏らすことは出来なかった。
彼がいつの間にか取り出した杖を横に振ると、
庭にテーブルと5人分の椅子。
匂やかな紅茶と焼き菓子、それに3人の人影。
振り出した、星々。
「ジェームズ…!」
「お気に召しましたか、姫君?」
「今度は、私だけが騙されたと言う訳ね?」
苦笑して嘆息するが、どうにも嬉しさの方が勝っている。
テラスへとエスコートされ、姫君よろしく椅子を勧められた。
「久しぶり、リリー」
「よぉ、何ヶ月振りだっけかな?」
「えぇと、クリスマス以来だから…」
リーマス、シリウス、ピーター、ひとりひとり名を呼んで、
リリーは久しぶりと声をかけた。
「先ににリリーに声をかけるなんて、良い根性をしているなリーマス」
「むさ苦しいのと綺麗な花なら、どちらを選ぶかなんて一目瞭然」
「まぁ、僕のリリーは咲き誇る薔薇のようだからね!」
手にしていたスコーンをジェームズの口に押入れ、
リーマスはリリーのカップに紅茶を注ぐ。
乾いた笑いを浮かべ、ピーターとシリウスは出来るだけ遠めにその光景を眺めた。
「…さすがリーマス。ジェームズの扱いに慣れているよね」
「…俺は、リーマスに勝てると思った試しが無ぇよ」
ぱちぱちと音を立てて降ってくる星々は、
紅茶の中に溶けると淡い光を放つ。
飲んでみると、甘酸っぱい風味が口の中に広がった。
懐かしさと嬉しさがこみ上げて、言葉に出来ない。
ほとりと零れたものを気付かれないように横を向いたが、
目元に落とされたキスに、リリーは顔を上げた。
「今度は僕達の子も一緒に、素敵な思い出をいっぱい作ろう」
抑えきれなくなった涙が頬を伝い、リリーは幾度も幾度も頷いた。
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・鋼の錬金術師・
じりじりと照りつける太陽。
その言葉の何と似つかわしいことか。
黄金にも見える広がる砂漠は、こうなると忌々しくてたまらない。
流れ落ちる汗を拭くことも諦め、
エドワードは何度目になろうかという台詞を繰り返した。
「暑い」
「5回目」
うんざりとした様子で、鎧姿の弟は言の葉を紡ぐ。
「暑いモンは暑いんだからしょーがねーだろ!」
「ハイ、7回目。感覚なくても、聞いてたらこっちまで暑くなるから止めてよね」
トランクを振り回し、エドワードは食って掛かるがアルフォンスは相手にしない。
否、相手にするのが煩わしい。
暑さの所為での苛々が伝染したのだろうか。
「冷たいぞ、弟よ!」
接続部分が熱を持ち、動いても動かなくても火傷しそうに熱い。
コートで覆っていても、あまり効果は無いらしい。
「それ以上言ったら抱きつくよ」
ピシリ、と何かが凍り付く音が聞こえた気がした。
実際に凍るくらいに寒い方がありがたいとも思うが、この場合は事情が違う。
「…お前、自分の体が目玉焼き焼けるくらいに熱いの承知で言ってるんだよな?」
「勿論だよ、兄さん」
いっそ清々しいくらいにこやかな声で返され、
エドワードは重たい足を無言で引き摺った。
足元の砂が靴に入っているが、気にしていては歩き続けることなど叶わない。
「どっかに水場ねぇかなぁ…」
溜息のついでに吐き出された兄の台詞に、
やれやれ、とアルフォンスは広げた地図と前方を見比べた。
あれ、と漏らす。
「ねぇ、兄さん。あそこの町、リオールじゃない?」
胡散臭そうに顔をあげ、辺りを見回す。
「蜃気楼じゃねぇのか?」
「大丈夫だってば。ほら、もうひとふん張り」
少年は歩みの重たい兄の背を押し、トランクを担いだ。
世界中が秋か春ばっかりの気候だと良いのに、と呟いたエドワードに、
アルフォンスは莫迦なことばっかり言わないで、と呆れて溜息を吐く。
次はもう少し涼しい土地へ行こうと思った。
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