・最遊記・
―――ああああああぁぁぁっっっ!!
切り裂くような悲鳴。
あぁそうだ、此れは―――…。
「…俺の、声だ」
悟空はゆっくりと目を開く。
最初はぼんやりとしか映っていなかった景色が、
ひとつひとつ確かなものに変わっていく。
まだ明けきらない空。
しんと広がる夜の帳は、もう暫く下ろされたままだろう。
「…あれ」
寝ぼけ眼を擦ると、あたたかなものに気付く。
そうして目尻をごしごしと手の甲で拭った。
隣の寝台から見える金糸の髪は、ほんの少しも揺らがない。
規則正しい寝息が聞こえる。
何故か安堵した。
夢を見た。
遠い、夢を見た。
あったのは光と、闇と―――目の前を一瞬にして覆う深緋。
―――悟空
呼ばれた瞬間、何かが弾けた。
泣いていた理由は織れない。
織りたくても、織れない。
本当に夢だったのだろうかと、ふと疑問が浮かぶ。
夢だと言うのなら、此の胸を締め付けるような痛みは一体何だと言うのだろう。
ただの思い過ごしかもしれない。
けれど違うかもしれない。
それすらも分からない。
「……っ」
誰かの名を紡ごうとして、声にならないもどかしさ。
音すら忘れてしまった、多分大切だったろう名は何処に行ったのか。
どうせなら、声まで奪ってくれたら良かったのに。
もう一粒、雫が落ちる。
どうして、此の涙が己では無いのだろう。
落ちて、吸い込まれ、消えてしまうことが出来たのなら、どんなにか。
―――俺だけが、消えてしまえば良かったのに
立てた膝に額を押し付け、悟空は漏れそうになる声を懸命に抑え込んだ。
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・犬夜叉・
時は戦国。
妖かしとヒトと神の入り混じる混沌の世。
夜は漆黒より昏く。
闇は奈落よりも深い。
「犬夜叉」
愛らしい声が響く。
振り返ろうとすれば、ぼすり、と背中に何かがぶつかった。
「何やってんだ、御前」
「…うん」
「かごめ?」
少女は、ぎゅ、と深緋の衣に額を押し付ける。
心配そうに――添うとは決して見えないが――、
妖かしの少年はようやっと肩越しに振り返った。
ざわり、と木々が揺れる。
どのくらい時間が経ったろうか。
木のように立ち尽くし、ただ、かごめの言葉を待った。
腰にしがみ付くようにして回された頼りなさげな腕が解かれることは無い。
「泣いてんのか」
堪えきれなくなり、前へと視線を戻して犬夜叉は口を開く。
「分からない」
「何だ、其れ」
「分からないけど」
「けど?」
「泣きたいのかもしれない」
涙は苦手だ。
幼い頃見た母の涙は痛くて、寂しかった。
涙は、嫌いだ。
寄せられた眉根は、雄弁に其れを物語る。
「…泣けよ」
何時ものように、泣くな、とは言えなかった。
かごめが静かに驚いたのが、空気で分かる。
理由など聞かずとも直ぐに織れる。
「良いぜ、泣いても」
もう一度、繰り返す。
ぽつり、と大地に一滴の涙が吸い込まれた。
ぽつり、ぽつり、ぽつり。
二つ、三つ、四つ。
押し殺した嗚咽が獣の耳に届く。
抱き締めるだとか、慰めるだとか。
想い合った者同士が交わす言の葉だとか。
其れらは何か、違う気がした。
此処では無い何処かで泣かれるよりは、自分の傍で泣かれる方がずっと良い。
犬夜叉はただ静かに、かごめの声が止むのを待った。
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・TOS・
コレットはふわりと微笑んだ。
そ、とリフィルの手を取り、
同行している少年にするのと同じように指で手のひらに文字を綴る。
「だ、い、じ、よ…」
『だいじょぶだから』
じっと、手のひらを見つめ、視線を上げる。
目が合うと、コレットはくすりと笑った。
手のひらを指が走る。
『かなしまないでください』
『わたしはへいき』
『だから』
「…なか、な、い…で」
『なかないで』
リフィルは口を開きかけたが、空気を呑み込んだだけで音を成すことは無かった。
きゅ、と口を食い縛り、きつく眉根を寄せる。
そうして力無く首を振って、コレットの手を両手で包み込んだ。
「コレット、私は貴女に旅を止めろと言うことは出来ない」
神子として生まれた少女は、哀しげに瞳を揺らす。
俯いてしまった彼女は気付かなかったけれど。
「だからと言って、損得で動けるほど、私は大人ではないのよ」
少女の手を握る力が強まる。
痛いほどに、彼女の想いが伝わる。
顔を上げ、リフィルは真っ直ぐにコレットを見つめる。
「本当は貴女が消えてしまう事実を、受け止めたくなど無い」
例えそれが、予め決められた未来であったとしても。
「世界が救われて再生されても、そこに貴女が居ないなら、そんなの意味が無いってロイドなら言うでしょうね」
コレットは小さく首を振った。
握られたままの手を解き、彼女の手のひらをゆっくりと開く。
リフィルの手を取り、また指を走らせた。
『いみならあります』
びくり、と微かにリフィルの手のひらが揺れる。
それでもコレットは綴ることを止めない。
『ロイドがいる』
『ジーニアスも せんせいも みんないる』
『さいせいされたせかいで みんながしあわせなら そこにわたしがいるってことでしょう』
『それが わたしのきえる いみ』
この世界とひとつになるようなもの。
それが、彼女の消えた後に残るもの。
誰の心にも、名を織らずとも残るもの。
「コ…」
『ありがとう』
先手を取り、コレットはさっと文字を綴らせた。
リフィルは堪らず少女を抱き締める。
「コレット、ごめんね…ごめんなさい…」
力任せに抱き締められた身体は、ほんの少し痛かったけれど。
それがとても嬉しくて。
「何にも出来なくて、ごめんなさい…っ」
あたたかくて、切なくて。
これで、今度こそ最期。
本当に最期。
コレットはリフィルの肩に顔を埋め、声無き声で涙を流した。
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・勇者王ガオガイガー・
「私、泣いてばっかりだ」
命は微笑って涙を拭った。
擦った場所が微かに朱に染まる。
頬に伸びる筋を拭おうとして、寸前で止まる鋼の手。
「大丈夫、ごめんね」
さり気無くではあったが、確かに後ろに引いた少女の身体は、くるりと凱に背を向けた。
彼女に触れられない理由は、ひとつだけではない。
重々承知しているからこそ、命は何も言わない。
「ホントに、大丈夫だから」
「…あぁ」
重ねて言い募る。
明るく紡がれる言の葉は、ほんの少し不自然で。
その理由も織っていたけれど、指摘することは出来なくて。
触れることの無かった冷たい手をぎゅ、と握る。
金属の擦れる音。
決して、ヒトとは違う鋼の身体。
ヒトであるからこそ、もどかしい思い。
「凱」
背を向けたまま、命は口を開く。
「絶対、無事で帰って来て」
思わず、息を呑む。
それは、約束の出来ない約束。
どんなに願っても叶わない、約束。
「なんて言わない」
でも、と振り返る。
「祈ってる」
あと一歩。
距離が近付けば触れられる。
昔のように抱き締められる。
けれどそれは赦されない。
決めたのは、自分自身。
「だったら、命は勝利の女神だな」
凱は嘆息して微笑んだ。
あら、と彼女は口に手を添えて目を瞬かせる。
「大変、責任重大だわ」
言った後、悪戯っぽく笑うと、命は軽くウインクしてみせた。
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・D.Gray-man・
泣け。
泣け。
泣いてしまえ。
―――それが出来るんだったら、とっくにやってる
天井を仰ぎ、呟いた。
「情けね…」
呟いた自分に苛立って、ごろりと寝返りを打つと固く目を閉じた。
安心して眠ることの出来ない状況も手伝ってか、眠気が襲い来ることはない。
「…ザマ無ぇさ」
眼帯で覆われた片目には絶えず闇が付き纏う。
慣れているはずのその闇も今はただ煩わしい。
傍に居れば、助けられた。
間に合っていれば。
離れなければ。
もしも、あの時―――…。
―――『あとの祭り』って織ってるかい?
ふと、何時か上司が零していたのを思い出す。
くそ、と悪態を吐いて起き上がるも、気分が晴れるワケではない。
仕方が無かったのだと激昂したのは、決して少女だけに向けた言葉じゃない。
そうまでして口にしなければならなかったのは、自分自身に納得させる為。
自分自身に言い聞かせる為。
理解したくなかったのは、己自身だったのだから。
後悔しないように生きるのは、簡単なようで難しい。
ヒトは後悔し続ける生き物だ。
「甘すぎるんさ、アレンは」
ラビは険しい面持ちのまま口を開く。
「ユウに散々言われてたの織ってンだかんな!」
ぼす、と寝台に拳を叩きつける。
―――ラビに言われたくありませんよ
歳相応な顰め面で口を尖らせたアレンは、きっとそう言うだろう。
そりゃないさ、と此方が項垂れれば、呆れたように微笑う。
彼は甘いのではない。
優しいのだ。
誰よりも、優しすぎるのだ。
痛みも苦しみも全て甘受して微笑う少年。
それが、アレン・ウォーカー。
「ダチ、だかんな」
彼の視る世界を垣間見た瞬間、そこは地獄だと思った。
「仲間じゃなくなったって、ダチだかんな」
地獄を見ても尚、微笑っていられる彼の中の強さをも垣間見た。
「忘れんなよ、アレン」
ほとり、と握り締められたシーツに、小さな染みがひとつ浮かんだ。
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