ふわりとしたあたたかさが漂う囲炉裏のある部屋を見つけると、 中には膳に並べられた食事が整えられており、 囲炉裏には薪がくべられ、天井から湯を張った鍋が吊るされていた。 人数分の膳、円座だけ膳より一枚多いのは雲母の分だろうか。 余分な円座の前には小皿にほぐした魚の身が盛られている。 確かこの屋敷に足を踏み入れたのはつい先程だったはずだ。 出来あわせを運んだにしても、気付かない間に此処まで出来るものだろうか。 かごめにふと浮かんだ疑問は追い付いた珊瑚の呼び掛けで掻き消される。 「うわ、立派な食事だね」 既に腰を下ろしている七宝と雲母は皆が席に着くのを今か今かと待ち構えている。 四方に配された行灯が薄暗くなってきた部屋を明るく照らす。 次いで姿を現した犬夜叉と弥勒も並べられた膳に軽く目を瞠った。 「此れは此れは」 「…おい、弥勒」 何事かを言い掛けた犬夜叉を無言で制し、弥勒は膳へと足を向ける。 「どなたか村の方が届けてくれたのでしょうね。折角の御厚意を粗末することもありませんし、有難く頂戴致しましょう」 腰を下ろした彼に、珊瑚達も倣う。 だが、犬夜叉だけは難しい顔をしたまま立ち竦んでいた。 「犬夜叉」 少しだけ鋭い声で弥勒が呼ぶ。 「どうしたの、犬夜叉」 櫃を覗き込んでいたかごめも、立ったままの少年を不思議そうに見上げた。 白い湯気が芳しさを含んで天井へとゆらりと昇る。 もう一度、弥勒は犬夜叉を呼んだ。 「毒なんぞ入ってないから頂きなさい」 念押しのようにして紡がれる法師の台詞に嘘偽りはない。 毒なぞ入っていれば、言われる前に鼻が利く犬夜叉が気付く。 彼は益々眉間に縦に皺を刻んだ。 (『だから』妙なんだ、と) お前が気付いていない筈が無いだろう? 険しい視線に気付きながらも、弥勒は其れを受け流す。 彼が話していないことがあるのに違いないのだと、犬夜叉が確信するには十分だった。 村の者が食事を届けてくれたのだろうと弥勒は言った。 (有り得ない) 確信を以って犬夜叉は彼の台詞を否定する。 (此の屋敷には誰も来ていない) 訪れてはいないのだ、と。 だからと言って、屋敷の中に誰かが居るのかと言われても其れは否だ。 ヒトの気配はしない。 けれどひとでなしの気配もしないのだとかごめも言う。 弥勒は兎も角、かごめの言を信じていない訳ではない。 実際、彼女が嘘を言っているようには見えなかった。 其れでも感じる噎せ返るような血の臭い。 突然咲き出す真っ赤な椿。 誰も居ないのに整えられた膳。 気のせいの一言で済まないものだ。 然しながら、危険が有るのなら弥勒が何も言わない筈がないこともまた事実。 大丈夫だと言い切る彼にこそ、違和感を感じずにはいられない。 無言で犬夜叉はどかりと膳の前に腰を下ろす。 弥勒と犬夜叉が並び、向かい合わせに珊瑚とかごめ。 上座にあった膳には七宝が陣取り、 下座に雲母が七宝と向かい合わせでちょこんと円座に乗っている。 中心にある囲炉裏を囲んで座した彼等は、犬夜叉以外談笑しながら箸を進めた。 屋敷内には広い湯殿が設けられていた。 あまり風呂に入る習慣のない此の時代に於いて、 かごめにとって広い屋敷での寝泊りの利点のひとつは此処に有る。 湯を張った憶えはないが、これも村の者が準備してくれたのだろうと、 かごめと珊瑚は然程疑問も持たずに湯屋へと向かった。 七宝と雲母も共に付いていったのを見計らい、犬夜叉は口を開いた。 並べられていた膳を隅に寄せ、 囲炉裏の炭が爆ぜるのを眺めていた弥勒は徐に顔を上げる。 「いい加減に、何を企んでいるのか話せ」 視線を逸らして、法師は火箸で炭を突く。 宿った橙色の炎が応じるように炭の奥でじわりと滲んだ。 「企むとは?」 一息置いて、少年は肩に立て掛けている鉄砕牙の鞘を強く握る。 「段々、強くなる。かごめは何も感じないと言うが、確かに居る」 「ほう」 「大きい気配と、小さい気配。ヒトのようで、ヒトでない気配だ」 感心したのか、弥勒はぱちぱちと手を叩く。 じろりと睨むが効果はない。 「凄いな、犬夜叉。かごめ様も気付いていないものを其処まで考察出来るとは」 茶化して誤魔化されるのは何時ものことだ。 惑わされないように、犬夜叉は弥勒から視線を外さない。 大きな気配と小さな気配。 犬夜叉の感じたものは曖昧で、姿形までは見えて来ない。 小さな気配は大きな気配に付かず離れずと言った風体で、 敢えて近付こうとしていないようにも思えた。 まるで其れは。 (―――…?) 不意に、犬夜叉は思考を留める。 (何だ、今、何か、が) ―――引っ掛かっ、た…? 懸命に先程迄の己の思考を探る。 何処だ、何処に違和感を感じた。 否、違和感ではない。 近いけれど、違う。 此れは。 (…どういうことだ) 浮かんだ感覚に、犬夜叉は眉を顰める。 弥勒、と少年は目の前の法師をじっと見据えた。 「本当に、危険は無いんだな?」 「有りません」 「此処に留まった理由は」 昔のように一人旅なら、決して留まろうとはしなかった。 今の弥勒だからこそ、留まろうとした。 理由は容易く、単純だ。 「お前と、かごめ様が居た。其れだけだ」 弥勒と珊瑚では駄目なのだ。 調伏するのでは意味が無い。 決して誰も救われない。 だからこそ村人ば願い、乞うた。 安寧と、平穏とを、如何か。 枯れることのない涙が止まりますように、と。 ただ、其れだけを。 弐 * 戻 * 肆 |